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ルチアーノ・ベリオ
Luciano Berio  
(1925−イタリア)

2001年7月12日。岩城宏之指揮の大阪フィルハーモニー交響楽団定期演奏会
カリンニコフ、藤家渓子、ルチアーノ・ベリオを聴く
2001年7月12日の岩城宏之指揮の大阪フィルハーモニー交響楽団定期演奏会プログラムは、前半にカリンニコフの交響曲第1番、後半に藤家渓子の「おもいだすひとびとのしぐさを」ルチアーノ・ベリオの大作「シンフォニア」。ずいぶん極端な組み合わせが、これらの作曲家の音楽の目標の違いを際立たせた。

カリンニコフ(1866−1901)は、プロフェッショナルな作曲家としての、精緻に組みたてるという玄人ぽい思考が匂わない、不思議な作曲家だ。
こんな楽器の音色で、こんなメロディを朗々と聴きたいという素直な欲求をもった聞き手が、そのまま作曲が出来てしまったような人。
自分のネイティブの歌を、純粋に歌うことで、作曲が成立してしまった人。
チャイコフスキーやシューマンやブラームスやドヴォルザークなど大作曲家の作品は、どんなに感情的で叙情的なところでも緻密な構造を思考している醒めた知性を感じさせるのだが、カリンニコフは、こうした知的戦略とか、時代様式の総合とかいった意識を感じさせず、ただ自分が環境から受けとって育んだ歌を大切に歌っているだけという純粋さというか単純さが稀有だ。
オーケストレーションは、極端に言ってしまえば各セクションに、それぞれの楽器にふさわしい歌=旋律を個々に完結したかたちで順番に割り当てているだけ。ブラームスのように各パートをモザイクのように精緻に組み合わせて音楽的な構造を成立させるようなことはしていないので、逆に各奏者は完結性をもった歌謡的な旋律や踊りのリズムを、自分のパートだけで成立させて歌うことが出来る。そこがオーケスト内部の個々の奏者にとっては見通しのよさや演奏行為の満足にもつながっているのだろう。作曲家がただ自分の歌を歌うことに集中した音楽。ローカルな自分の存在に撤した音楽。

一方、ベリオは、ヨーロッパ、アメリカ、さらに周辺まで、1000年以上の人間の音楽の営みを回顧し考え、ひとつの交響曲の中に、反映させようとし、沢山の人間の歌や声が、それぞれ聴き取れないほど重なり合った世界を前にしたような音の状況を作りだしている。
世界のいろいろな人間、いろいろな人間の種種雑多なそれぞれの歌に、なにか宗教的な寛容な視線で同時に耳を傾け記憶にとどめようとするような音楽。
しかも、あらゆる様式の音楽を書き分け、巨大な錯綜とした世界をコントロールする異常なほど精緻で高度な職人的技術と世界の構造への明晰で徹底した思考。
ベリオが声を使うとき、モンテヴェルディ、パレストリーナなどイタリア音楽の伝統を感じさせるハーモニーがある、音はあくまでイタリア音楽の輝かしい明るさとカソリック的響きがある。第2楽章のオー・キングの祈りの音楽は、古い音楽の定旋律のようにシンフォニアの基底にある。
引用が数多くでてくるが、マーラーからドビュッシーやベートーヴェンやストラヴィンスキーが目立つところは、ブーレーズ等戦後のヨーロッパの前衛に共通のバックグラウンド、過去の伝統音楽への共通の価値判断を感じされる。
過去の調性から逸脱する音のつながり、重なりの部分おいても、伝統的美しさと人間感情の表現力を捨てないところはダラピッコラを思い起こさせる。
ミヨーの、個々の歌が聴き取れないほど錯綜したしばしば多調となる部分と、晴朗な空間に取り残されくっきりと歌われる少数の声がかわるがわる現われる音楽、「男とその欲望」など声をともなった舞台作品がベリオに影響を与えたのだろうか。美しい混濁と透明な歌への解決。
セリー音楽のパラーメーターの選択肢の最大化のための、多様なアタック・強弱・特殊奏法の採用というより、むしろ個々の声部の歌わせ方、個々の楽器の歌い方の個性をより多様化するための多彩な音のつくり方。
聴ききれないほど多くの人間の歌に満ちたこの世界を、果敢に受けいれようとする音楽。

藤家渓子「おもいだすひとびとのしぐさを」は、様々なスタイルが交錯する点で、一見、ベリオの音楽に近い指向かと受けとめられるかもしれないが、実は、むしろ本質はカリンニコフに近い素朴に自分の歌を綴った音楽だ。
カリンニコフの時代、人が聴き育つ音楽は、あるローカルのある時代、その場にある音楽であったから、彼の交響曲の場合、ローカルなその時代・その土地の歌・音楽のスタイルで一貫して歌う事が出来た。藤家渓子は、現代日本の人だ。クラシックも前衛も世界のポピュラー音楽も、民俗音楽も、身近に供給されている環境にある。現代日本に育ったからといっても、現代日本で生まれた音楽だけを聴くわけではない、CDやコンサート、ライブハウス、放送、あるいは旅行先などで、カリブの音楽だろうが、アフリカの音楽だろうが接する機会があり、その中で自分が共感したものに何度も耳を傾け、いわば雑種な音楽環境に自分を置いて、雑種である作曲家自身の歌を育てる。
雑種的環境で育った、一人の音楽家の自分の歌が、雑種的外観を呈しているのだ。

2001年7月18日
近藤浩平 記

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