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近藤夫妻の1999年11月山行記録、写真撮影の旅<緑求めて4>

冠山1257m <奥美濃>  199911/6

 前回、岐阜県側から入ろうとして通行止めに阻まれた為、福井県側から入る。冠山峠には紅葉を求めて多くの観光客やハイカー達の車が並ぶ。私達は運転手(写真の師匠)とその娘3歳を残して山に向かったのだ。(「私も行く〜」と泣き叫ぶ娘の声が峠一帯に響き渡り、ハイカー達の失笑を誘う。夫いわく「ヒマラヤ登山遠征に来て、登頂隊に選ばれなかった隊員の絶叫…」)
 冠山は、「日本三百名山」、「21世紀へ残したい日本の自然百選」などに選ばれ、名の通り、烏帽子冠の山容を持つ。からは往復2時間半というお気軽さも人気の所以であろう。今年の紅葉は、本当に悪い。まあけれどもお天気よく、明るい光のお陰で色は綺麗に見える。またブナ等自然の森は美しく気持ちがいい。展望も申し分ない。
 山頂直下の急な岩盤を登りきると、憧れの
能郷白山が正面に、他周辺の奥美濃の山々、遠く白山、御嶽山、伊吹山まで、360度見渡せる。開放感があって、素晴らしい頂きだ。紅葉の季節柄か、入れ替わり立ち替わり、老若男女、色んな登山客で賑わって華やぐ。のんびり昼寝などしたい所だが、人を待たせているので出来ないのが残念だった。紅葉に彩られた森に囲まれ、樹林から覗く、冠の秀麗な容姿を愛で惜しみつつ、何度も仰ぎ見ながら、下った。
 車に戻り、岐阜県側へ下り離れて行くと、南側谷底からスックリと大岩盤のそそり立つ山の全容が現わた。頂部だけが岩盤の険しい山だと信じていたのに、こんなに全体が岩山で、威厳あふれた立派な山であったのか!ウ〜ン、すごい。
 さて、今回の旅の目的は徳山ダムである。徳山村は、巨大ダムを造る為に、強制移動させられ、まるまるダムに沈む。隣の藤橋村が吸収合併し、その助成金で建てたというお城を笑いにと、工事の具合を見に来たのだ。
 世の中や、地元住民の意見を無視した巨大ダム建設は、止まることなく推し進められる。その象徴的事例である。
奥美濃と言う地味な山域であるが故に、林道が縦横無尽につけられて、(お陰で今回の車の旅が成立出来たのだが)、由緒ある峠道や山村が次々と廃され、その跡の寂寥感さえを踏みにじるがごとく、空々しく山川を削り取る工事が続いている。
 工事道路を通る為に、車輌No.から住所氏名電話職業まで、記帳せねば通させないやり方にも、不信感を抱かせてくれるじゃないか。一体国土は誰のもの?資金は誰のお金?いつになったら欧米並みに、自然環境が見直される時が来るのか。どうか来世紀には望みを持てますように。見事なほど、景色に不調和する
お城も、期待通り笑わせてくれた。

〈行程〉梅田――吹田―名神―北陸自動車――武生―――冠山峠………・冠山……峠、−車―――藤橋村―――関が原―名神―――吹田―梅田