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近藤夫妻の1999年7月山行記録

霞沢岳(北アルプス)2646m  1999年7/24−26

伝統ある徳本峠へ

 上高地から、焼岳穂高岳に感嘆の声を上げても、対岸のこの山を仰ぎ見る人はあるまい。実際、その容姿はそれらほど心高揚させてはくれない。夫好みの地味な山である。しかし、伝統ある徳本峠を行くのは魅力的だ。
 私が
上高地を訪れたのは3回目になる。いつも清洌な流れの梓川や、洗練された美しい森には感嘆するが、人が多すぎて気が散ってしまう。明神から峠に向かと静かになるが、離れるほどにあの端正な森の雰囲気が失われ、普通の林に変わっていくのが不思議だ。
 道は一部崩れた上を進むが、まもなく本道に戻る。日帰り登山者も結構下りてくる。
 
徳合峠小屋の椅子で賑わう集団の中心は神奈川RCCの池学氏(著書もあり)と岡山のまなべ氏で、途中、手ぶらで私達を抜いていった印象的なおじさん達だ。懇意の小屋の主人に会うべく横尾の野営地から陣中見舞いに来ていた。周りにいる人達を巻き込んで話の輪を広げていく、パワーと不思議な魅力があって、ミ−ハ−の私は有名人に会ったみたいで嬉しかったな
 峠の小屋はすごい!なんてぇ年代物なの。夫が、20年前(中学生の頃)に見たままの古小屋が、更に傾いで数本の丸太に支えられて、辛うじて立ってるようだ。でも上手に補強されている。
 小屋からすぐの展望台からは、正面に夕陽に燃える筈の
前穂高の写真を撮るべく、カメラマン達が並ぶ(それ程の夕焼じゃなかった)。その日は非常に混んで(35人位)、寝場所はとても窮屈だった。寂れゆく峠も、小屋主人らが霞沢岳へ登山道を整備してつけた努力で、宿泊客が増えたらしい。

静かな北アルプス、霞沢岳

 翌朝、4割位が霞沢を目指し早出した後、私達は朝食を食べてのんびりと出発した。樹林の登りの途中、「スタジオジャンクション」の立て札のある所からガスに覆われた穂高が望める。登りつくとジャンクションピ-クである。島々谷が開け、小嵩沢山、飯盛山など私の知らない山名を唱える夫であった。
 その後も、ひたすら樹林の上り下りを繰り返す。午後の天気の回復を期待しながら休み休み進む。すると
蝶ガ岳常念岳は見えてきたじゃないか!下ってきた人達は、何にも見えなかったらしい。
 最後の長い急登後、
K1に立つ。ここは上高地がまるで、「仁川高丸から見た我が家のように近い」と夫が日うが、帝国ホテル程我が家は大きくないぞ。でも、眺めはよい。霞沢谷の向うに松本の盆地や美ガ原等、ガスも時々は切れて前穂の頭を除いては、焼岳西穂山荘ジャンダルムの端が見えるのだ。
 
K2を越すとやっとK3霞沢岳の頂上に着いた。結局、この日の登頂者は我らを入れて15人。皆下りているから、とても北アルプスとは思えない、二人だけの静かな味わいのある頂きで、「うん、いい山だ」と噛み締める事ができた。色んな高山植物のお花達も可憐であった。
 小屋は、「わび寂び」の静かな峠小屋に戻っていた。
岩魚留を通って島々に下る予定は、今年の豪雨で崩れた道が通行禁止の為、変更して連泊する。
 快晴の翌朝は、朝日に赤く染まる
八ヶ岳がはっきり浮び、昨日のヴェ−ルが剥がされた穂高も初々しい。朝食の後、小屋の仕事がやっと、一段落ついたらしい優しそうな主人の、道や小屋や、前記の岩学氏の話をゆっくり聞くことが出来た。峠を下りすがらの我らの話は、前の二氏の様に「体の細くない妻と体の硬い夫はクライマ−にはなれないねぇ…。」
 
梓川を渡って嘉門次小屋明神池ウェストン碑など上高地を散策して、帰途についた。

<行程>
7/24新大阪ーJR名古屋松本ー松電 新島々ーバス上高地ー→明神→徳本峠小屋泊
 
7/25→霞沢岳→徳本峠小屋泊  
 
7/26→明神→上高地ーバス平湯、温泉ーバス高山ーJR岐阜米原大阪