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紀子の日本百名山体験記〜北アルプス編A 1999年8月記

 百名山は北海道東北など、遠いところから行ったので、北アルプスは残された。登りやすく、時間さえ許せば串刺し山行が可能である。残ったのは、結婚して仕事を辞めてから、夫には悪いが一人で登った。申し訳なくも、何事かを達成するには強い意志が必要である。それを許し認めてくれる彼は、貴重な夫である。また、不思議な夫である。彼は行ってもいないのに、私の話だけでカラパタ−ル(ネパ-ル)や百名山完登した気になっている。登山をしてきて良かった事の一つは、そんな人と結婚できたことでもある。
 今年1999年は北アルプスに縁があった。
毛勝三山、霞沢岳、針ノ木岳蓮華岳、燕岳餓鬼岳、百名山以外にもまだまだ登る山尽きなくて、静かな頂もあり、本当に深い山域である。でも、書いていると山小屋の印象がおおきいなあ…。
 日本アルプスの開祖、ウエストンの本の中でおもしろいエピソ−ドを一つ。
 嘉門次と共に、穂高に初登頂して意気揚々と下っていた時、
彼の普通でさえ妙な顔に、異常な変化が起った。彼の顔付きは日光の家光の大廟の前に番をしている『雷神』のような顔付きになり、彼の姿は雷神のような恰好になった。嘉門次は、一番よいときでも恰好よくないであろうが、この時の彼の様子こそ、もの凄いものだった。彼は途方もない恰好で飛び廻り始めたので、私は、しばらくは気が狂ったのではないかと心配した。」と日光の家光廟の雷神の写真を載せ、嘉門次が蜂の巣を踏んだ様子(笑)を描写した。
 しかしながら、まもなく彼も大変不格好に踊り始める事になるのだ。この出来事は、イギリスの諺「厄介なことは道連れなしにはやって来ない」と同じ意味の、日本の諺「泣きっ面に蜂が刺す」とぴったり当てはまったらしい。その前には登山で破れた服を嘆いていたので。

写真は笠ヶ岳にて

薬師岳 2926m●黒部五郎岳●鷲羽岳 2924m●黒岳(水晶岳) 2986m●槍ガ岳 3180m●穂高岳3190m(奥穂高岳)●常念岳 2857m●笠ガ岳 2897m●焼岳 2455m●乗鞍岳 3026m 

●薬師岳 2926m 1997年8月31日 単独/曇時々晴

 薬師岳の印象は「でかい…」。重量感ある山容は、けれども優美でもある。白と緑の稜線をぐっと伸ばし、続く越中沢岳からは、行けども行けども、たどり着かないらしい。
 私は、串刺し山行のため、
太郎兵衛平から往復した。森林帯から砂礫帯へ登る途中、小庭園のような原があり、秋花がひっそり咲き、晩夏の寂しさ漂う。山頂はカ−ルの眺めが良く、北には剱立山がそびえ立つ。太郎平小屋に二泊、飯が美味しかった!同室の女性単独行者達は、立山から縦走してきた人や黒部五郎から笠ガ岳へ、槍へとそれぞれ皆たくましく、励まされるのだった。

●黒部五郎岳 2840m 1997年9月1日 単独/曇時々晴

 太郎平からの縦走路は、天上の楽園か、お花咲き乱れる広い野原を絶好の展望を仰ぎつつ行くはずだが、生憎と濃い霧雨の中、一人立ち向かった。心細さは、足元の可憐な花達の雨露をたたえて健気な様が私を励まし、喜ばしてくれる。夏の華やかさも秋の艶やかさもないこの時期は地味だが、静かである利点がある。
 次第に雨も上がり、時々光が差して緑のなだらかな稜線が現れる。山頂から、期待のカ−ルの奥底が覗けて良かった。カ−ルとは氷河の浸食跡のU字谷で、その広い谷底は汚れなく、歩くのは全く素晴らしい。黒部五郎の人気はこれに拠るものだ。皆必ず大休止していく。そして小川を渡り灌木帯を抜け小屋のある草原に出る。総て初秋の色に染まっていた。初夏には雪田が点在し潤いに満ちて鮮やかだとか、行ってみたいねぇ…。
 新しい小屋は奇麗で、揚げたての天ぷらとおそばが美味!この辺の小屋の食事はレベルが高い、薬師沢小屋の方が良いとの情報もあるので、いつか訪れるのが楽しみだ。

●鷲羽岳 2924m 1997年9月2日 単独/晴

 この日一番の快晴に恵まれて三俣蓮華に登る。黒部五郎の雄姿、憧れの雲ノ平が朝日に輝く。草斜面にはモレ−ン(氷河の先端に残された岩や砂礫の堆積丘)が、濃緑に散らばる。
 
三俣山荘展望喫茶で一服して後、鷲羽を目指す。振り返ると、三俣蓮華の山塊がバランスを欠いて浮遊するように見えて面白い。
 
鷲羽は、北アの百名山中では一番地味というか、存在理由薄く通過点という印象を拭えない。火口湖の鷲羽池あり、黒部川の源流であり、槍ガ岳の眺めが一等であるということだ。その西鎌尾根を正面に長く伸ばし、槍の穂先は黒々と輝いた。

●黒岳(水晶岳) 2986m 1997年9月2日 単独/晴

 俗塵を払った仙境に住む高士のおもかげ」の山、ああ、この頂こそ私の愛する処である。午後のおよそ3時間、飽きもせず、周りの山々を眺めた。光線の角度によって、岩肌に立体感が生まれ、どんどん良くなって、目が離せない。立山、剱、後立山、赤牛、野口五郎、薬師、黒部、三俣、鷲羽、槍、穂高、笠、四方山に囲まれ、そのまん真ん中にいるという満足感が幸福感となり私を支配する。
 
太郎、黒部で会った人達も、双六や笠へは着いたかな、特に笠からは、下ってその日に、西穂高山荘を超えて、上高地迄出る!と聞いたので、関西人の私は驚いた。
 山頂にいると、
高天ヶ原から直接登ってきた人、東沢谷を詰めてきた人ら、つわもの達、雲ノ平、烏帽子からの人達、10人位になって、夕日を浴びる。雲ノ平に差し込む光のカ−テンが美しかった。小屋は売る水さえ無い小さい所なので食事を期待してはいけない。
 翌朝も晴れて、白いだだっ広い野口五郎を登る。黒々する水晶(黒岳)の頂と、赤い赤牛岳の稜線を横目に、それぞれの名前の由来を納得。
 
燕餓鬼稜線は、この尾根からは恰好良く見えない、地味であった。三ツ岳あたりに猿もいた。烏帽子小屋から、烏帽子岳を往復する。小さいコブのような岩峰であたが、青や赤の実をつけた草木あり、初秋漂わす庭園風景がちょっと良い。天気は下り坂、翌日ブナ立尾根を下った。

●槍ガ岳 3180m 1998年9月13日 同行夫/晴

 言わずもがな、である。
 面白く読みやすいのは、新田次郎氏の小説「槍ガ岳開山」、彼の山岳小説にはまったのは、「 女流登山家に美人なし」 という小説「縦走路 」のヒロイン(実は美人 )を思わせた」と、縦走中、抜き合いをした登山者に言われたことがあったからである。彼の著書で好きなのは、「孤高の人」である。進学塾の小六用推薦図書にもなっていたので、知らない人はぜひお読みください。
 それはさておき、「いやしくも登山に興味を持ち始めた人で、まず槍ヶ岳に立ってみたいと願わない人はいないだろう。」というのに私ときたら、後生大事に一番最後にやり残しておいた。痛恨の失策だった。
 夫は東鎌尾根は登ってないというので、王道の表銀座コ−スを行く。
 
燕岳は、花崗岩の特異な姿の岩峰でその下の風化した白い砂が特徴で、その岩質は常念山脈を支配する。紅葉とのコントラストが美しい。へ向かう展望も申し分ない。
 
大天荘で夕日朝日も望め、期待は高まる一方だ。秋の澄んだ空気が彩る山肌を際立たせる。特に西岳辺りが美しく、が迫るのだ。
 が、この年地震で東鎌が通行不可能となり、泣く泣く槍沢へ下ることとなる。(電話で言ってなかったゾ)
 急登、登り着いた
槍岳山荘から、怪我人を乗せたヘリが飛び立っていく。そして穂先の岩には生々しい血痕が残り、登山者達は渋滞する。
 2時間以上待たされて、偉そうに皆を長く止めて、よたよた下って来る初心者に、「そこ危ないですよ。」と言われた時には、「アンタの足の方が危ないわい !下見て、さっさと歩け〜!!」と怒鳴り反したくなるほど切れていた。むろん、登頂を噛み締める喜びもなく、記念写真を撮ってすぐ降りた。高嶺の花は眺めるだけが良い。
槍ガ岳、怒りの思い出である。

●穂高岳3190m(奥穂高岳)95年9月24日 同行S嬢近藤氏/濃霧、 (北穂98/9/14 同行夫)

 山と言えば穂高しか登らない人もいる、愛好家の多い山である。その天高くそびえる岩峰群が、上高地に入る大正池辺りのバスの中から仰がれる時、乗客から思わず感嘆、拍手、喝采が起るほど、素晴らしく、胸のすく容姿である。殊に、朝夕の空等に映えるその岩峰の姿は、人の魂をひきつけるのだ。
 アルピニスト達の心の故郷、憧れの涸沢にテントを張る。紅葉の全盛にはまだ少し早く残念。
 適齢期の女性二人(S嬢は私のハイキングの会の友人)を連れた現夫は、嬉し楽しくも、私に渡され担いだ食料袋から鉄板や大量のお肉が出てきた時は驚いたろう。食べ切れなくて困ったものだ。
 不安定なお天気であったが、95年ガムシャラ登り回った頃の私を止めるモノはなかった。結果
真っ白の山頂」展望の代表格として残った私につき合っただけの彼には気の毒だった。奥穂を往復しただけだった。
 
98年槍ガ岳から大キレットを通り北穂へ。見れば見るほど、登りようのない尾根は、一歩一歩、進めば進むものである。人に飽き飽きしていた私は、静かになってほっとする。北穂の小屋は、危なかっかしい位置に建っているように見えるが、建て付けよく、品と風格があり、クラッシック音楽流れ、落ち着く。
 けれど、
穂高とよほど相性が悪いのか、天気は下り坂でどんどん視界が白く染まるのだった。翌朝霧の涸沢へ下った。
 目下の課題は、前穂と西穂である。事故の絶えない山ではあるが、「それでもなお穂高はそのきびしい美しさで誘惑しつづけるだろう。」と、次こそ期待したい。

●常念岳 2857m 1997年6月14日 同行夫/晴のち曇り

 象さん常念」と私は呼ぶ。だって、優美とされる三角錐の姿は、前常念が引っかかりずんぐりしてまるで象さん、又はマンモスの鼻の様に見えるのだもん。けれど、松本、安曇野に住む人々にとっては他の深山と違い、麓と関わりある格別の山なのかな。「常念を見よ」という有名な言葉がある。
 本沢から、まず蝶ガ岳を登る。槍穂高の一大展望台である。
 6月、残雪をたっぷり乗せ、
梓川の谷からまっすぐ立ちあがり、それは神々しく、壮大な感じがする。展望はずっと続き、冬毛と夏毛少し混じる雷鳥が可愛い。
 樹林帯に下り、登り返すと大きく常念が立ちはだかる。頂きは大岩が積み重なり、岩質は
と同じ花崗岩である。槍ガ岳がいい。ガスが出て大天井方向はよく望めなかった。
 小屋は夏とは違って、そう騒がしい登山者はいないし、談話室など広く暖かく落ち着いて、蔵書が沢山あり楽しめる。
 朝、
のシルエット中心にした白い雪の岩峰屋根がほのかに照らされ、夜明けも間近…、というところで私達は山を下りねばならなかった。午後大阪で友人の指揮する甲山交響楽団のコンサ−トを聴くため、一ノ沢を駆け下った。

●笠ガ岳 2897m 1995年8月19日 同行H氏近藤氏/快晴

 高度差1100M、均勾配19.3度、急な笠新道を登る。つもりがその年、笠新道は崩壊してしまった。  新穂高で途方に暮れる私達は、さらに長い道程になる、クリヤ谷の道をとることになった。岩屋達の聖地?錫杖岳の堂々たる大岩盤が朝日に光り、ハイキングの会の友人クライマーH氏は、嬉しそう。前週登ってたそうだ。
 男衆2人率いての姫様登山。けれど、足の捻挫が直らないまま無理して来て、野営装備の重さに絶え切れず、ちょっと滑落したり、ふらふらする。
 しかしお山は美しく、瑞々しくお花咲き乱れ、青空に白と緑の稜線のこれぞ北アルプス!!を登れるのが嬉しくてたまらないのだ。
 対岸に
槍穂高の岩稜が迫るが逆光で、期待には沿わなかった(蝶常念からの方が良い)。
 
笠ガ岳は、何処から眺めても笠の形を崩さない、名前に忠実な山である。古くから信仰の対象になり登られたが(「 槍ヶ岳開山 」 参照)、迷信深い麓の村人の抵抗にあい、ウエストンの登山は挫折したが、イギリスの?「汝最初に成功せざるとも再度挑むべし!」の諺に従って、再度挑戦、そして成功させた。この時こっそり案内してくれたのは、眉目秀麗な猟師達で、うん、写真の写りもなかなかよい。
 
抜戸岳、弓折岳と通って、鏡平でかき氷を頬張り、槍の映らない(時間帯が悪い )鏡の池を観賞し下る。
 帰りに、どうしても温泉に入りたい私は、新穂高温泉へ急ぐ。杖を使っての三本足をフル回転させて走る勢いは、他の登山者達が、思わず避けてくれるのだった。誰が捻挫中やねん!

●焼岳 2455m 1998年5月31日 同行K夫妻と夫/晴

 彦根の友人、K夫妻の車に乗って行く。栃尾の道端の露天温泉に入り、新穂高辺りの、誰もいないのに、立派で綺麗な駐車場(トイレの中の更衣室で寝れる位!)(こんなの必要か?税金で作ったのだろうに)で、野営した。
 朝、正面の
錫杖岳が、黄金色に輝く。中尾のゲ−トから登る。雪を乗せた笠ガ岳がすっと両裾をひいて美しい。けど、この年は全国中、異常に雪が無くて、槍穂高や他の山々も5月とは思えない、初夏位の山容で、黒々しくて変な感じだ。
 
焼岳北ア中唯一の活火山で、毎時噴煙を上げている。だから、こちらは元々、雪が付かないらしい。山頂へは進入禁止だったが、最近解禁になったようである。噴火口は迫力があり、今後どうなるかはわからない凄みがある。
 
上高地の地形は、この焼岳の活動に拠るものであり、大正4年の爆発で梓川を堰き止めて出来た大正池が見下ろせる。年々小さくなって、川へ還元していくようである。

●乗鞍岳 3026m(剣ガ峰)1997年6月1日 同行夫/晴

 北アルプスとはいえ、それら連峰とは独立して御嶽と並んで立っている。3000Mを越し、幾つかの高峰群でなる総称が乗鞍である。
 バスで上がれる
畳平は2700M、最高峰、剣ガ峰を往復する。お気軽登山となりはてた山は、お気軽に登ればいい。雪面を横切ったりするのに、観光登山者達は勇敢だ。そんな軽装でよく登ってるのを各地で見るよね。摩利支天に建つコロナ観測所の白い丸いド−ムが目立つ。黒々したガラ場を登れば山頂に立つ。
 見渡す白き峰々は、気高く美しく、初夏の強い紫外線にさらされて、ぎらぎら眩しかった。