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近藤夫妻の1999年6月山行記録

西方ガ岳・さざえガ岳(敦賀)764M・685M 1999.6/12−13

敦賀三山、西方ヶ岳

 山で泊まらない週が続くと、寝不足が解消されないで辛い。今回の目的はズバリ「惰眠を貪る」。お手軽そうで海が美しいだろう、この山は前から目を付けていたのだがとうとう登られる日が来た。敦賀半島の中心を縦走し、山頂の避難小屋に泊まる。
 朝、ゆっくり家を出て、
敦賀で昼食をとりバスに乗る。有名な「気比ノ松原」を通り、敦賀湾添いを走る。登山口の常宮神社前の海では、家から水着を着て飛び出してきた子供達が男の子も女の子も一緒になって泳ぎ遊んでいるのがたまらなく好い。
 日本で一番おかしいと思うのは、子供が外で遊ばないことだ。小学校の頃、近所のお姉さんや年下の子達と一緒に遊んだ記憶がある私には、そんな当たり前の風景が、本当に嬉しく、羨ましく感じる。
 神社には
国宝の新羅の鐘などあり、都近い海の交通の要所として栄えた、この地の歴史を感じさせる。
 登山道はよく手入れされており、花崗岩から成る山らしく、大きな石英が転がって、その昔、六甲で水晶採りをした夫は「こういう処で採れるのだ」と言って喜んでいる。
 一時間程で
銀命水に出て、美味しい湧き水を補給する。そこかしこの林床に、ササユリの清楚な花が咲き、豊かな自然の森の道が続く。結局約二時間で登頂した。
 小屋は先客もなく、小綺麗で、荷物を置く。小屋前の広場から東へ少し下ると、敦賀湾が一望できる大岩がある。
 半島が突き出しているので湾が長細く、青い海に白波をまっすぐ引いて船が往来している。空も青く、
奥美濃の山々が連なる緑の対岸辺は、小さな漁村か漁業基地が点在し、一番奥まって敦賀の街がある。海と三方山に囲まれた典型的海辺の地である。
 「
敦賀三山」こと野坂岳岩篭山とここ西方ヶと、それぞれ趣はあるが、植生が豊かで、道は程よく整備され、山が立派でかつ静かな山行が楽しめる点は共通する。ここは、海が近く頂に小屋がある点で、また楽な事でも気に入った。

日本海の恵みに抱かれて

 岩上で、ぼうっと風景を眺めつつ、昼寝に入る。夕食を作り食べてから、またこの岩上に戻り西側に、太陽が沈み、空の暮れゆく様を味わった。夕方から夜に変わりゆく、この青の色彩こそ、私の最も愛す色である。
 空と海の境界が消えて、やがてぽつりぽつりと、漁船に明りが灯る。まるで一つの星座の様であり、それがだんだんと星空の様に散らばり広がっていく。いつのまに、こんなに多くの漁船がこの半島を取り巻いたのだろう。明日山を下りたら、どれかの船が釣ってくれた、イカやお魚を食べるのだ!!
 翌朝、白々と夜が明けて、はっきりしない御来光を拝んだ後、再び暴睡する。登頂者の物音で目覚めると、8時過ぎだったかな。朝食をとって出かけた。
 縦走路は樹林帯の中、所々大岩が突き出していて、その上や周りが良き展望台や休憩場所になっている。そうして両側の青い海や、緑続く中に、満開の山帽子の花が、白い塊で散在するのを眺めては、休む休む。
 昨年まで、その名を知らなかった
ヤマボウシも、こんなに沢山ある木だったのか!と改めて、名前を知るだけで、印象が違う事に驚く。水芭蕉が群生する小さな池もあり、4−5月の花の頃、感動だろうな。
 さざえガ岳からは、南国のようなエメラルドグリ−ンの沖に白砂洲の美しい、
水島が近く、多くのウインドサ−ファ−らが遊んでいるようだ。この水島は半島のホンの一部分なのだが、大きくポスタ−に使われて敦賀の宣伝になっていた。
 ところで
敦賀半島には、悪名高き原子力発電所が2基もあり、見たくなくても見下ろせる。それが唯一の汚点だが、海は綺麗しよく眠れたし、秋の紅葉も素敵そうだし、またまた来たい山であった。
 さて、魚市場で甘エビイカを安く、たらふく買って(少量では売ってない)、お刺身定食に舌鼓、ああ幸せ!
 以前、奥美濃の笹ガ峰の帰りも、
敦賀に寄って、安い旨い魚を買って帰ったことがある。旅行けば、市場巡りをするのが私の最大の楽しみである。安く食材を手に入れたり、地元の珍しいものに出会えれば本当に嬉しい。

<行程>大阪-JR→近江今津敦賀=バス→常宮(1420)…→(1630)西方ガ岳<避難小屋泊>(920)…かもしか台…さざえガ岳…(1340)浦底=バス→敦賀長浜大阪