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自然をうたうロマン主義作曲家、ヨーゼフ・ヨアヒム・ラフ

メンデルスゾーンとリストに見出された作曲家。1822〜1882年。スイス出身。
若い頃は、リストの助手などして交響詩のオーケストレーションを手伝ったりしている。
その後、ヴィースバーデンを本拠に活動。交響曲が11曲、ピアノ協奏曲などがあり、当時は、ブラームスなどに匹敵する大作曲家として評価されていた。
 メンデルスゾーン、シューマン、ショパン、リストといった1810年代生まれの大作曲家と、チャイコフスキーやブラームスなど1830〜1840年代生まれの大作曲家との間の中期ロマン派は、現在日常のレパートリーから忘れられているいわば狭間だが、ラフはこの中間期に大きな評価を得ていた作曲家と考えられる。ラフの交響曲は1番が1861年、11番が1876年である。
 シューマンの3番「ライン」が1851年初演。リストの「ファウスト交響曲」と「ダンテ交響曲」が1857年初演されてから、交響曲の有名作品の空白期にはいり、待望のブラームスの1番がやっと1876年初演。ボロディンの2番が1877年、チャイコフスキーの4番が1878年初演、ブルックナーの3番が1877年初演であるから、ラフはブラームス「1番」出現までの約20年間は、現存の最大の交響曲作曲家として君臨していたというのも納得がいく。
 
 新ドイツ楽派の標題音楽と、2管編成での古典的交響曲様式を総合しようという立場をとり、これが後世に折衷的と評価される要因ともなっている。
しかし、作曲年代を詳しく追っていくと、彼の音楽が折衷的な寄せ集めであるというのは不当であり、むしろ、後世の様々な作曲家に広範な影響を与えたため、もともと彼の創意、着想であったものが、後の多くの作曲家の作品にとりこまれ、普遍的なあるいは定石の語法、あるいは常套として使われていったために、現代の私達がラフの音楽を聴くと、折衷的なものに思われてしまうというのが実情かもしれない。
彼の交響曲やオーケストラ作品、ピアノ作品の影響は、チャイコフスキーやリムスキー・コルサコフ、ドヴォルザーク、マーラー、リヒャルト・シュトラウス、ブゾーニ、マクダウェルなど非常に広い範囲に及んでいると考えられる。 
 一旦、ベルリオーズやリストで完全に崩壊するかに思われた交響曲が、暗示的標題と雰囲気をもちながら4楽章の古典的交響曲様式を保ったロマン派の交響曲という形で、チャイコフスキー、ドヴォルザークや数多くの周辺作曲家において1880年代ころから息を吹き返すことに、ラフの交響曲は重要なモデルとなっているのではないかと思われてならない。

 演奏会用序曲「ロメオとジュリエット」「マクベス」などは、R.シュトラウスに影響を与えたとされる。交響曲5番「レノーレ」(1872)は、第3楽章が行進曲、最終楽章が天国的に消えるように終わる後期ロマン派的構成の傑作でチャイコフスキーやマーラーに影響を与えたとされる。10の管楽器のための「シンフォニエッタ」という、20世紀の新古典的室内交響曲の先駆のような作品もある。バロック音楽への関心を示す作品もある。
交響曲「3番 森の中で」「7番 アルプスにて」「8番 春の響き」「9番 夏に」「10番 秋」「11番 冬」など、自然を標題にしたものが多く、これらは自然へのあこがれをもつ現代の聴衆の共感を得て再評価される可能性がある。
ピアノ協奏曲も当時、影響力のあった作品で、ビューローのレパートリーであった。
弟子にはアメリカのマクダウェルがいる。

 20世紀における「室内交響曲」へとつながる、交響曲の小編成化や擬バロック、新古典主義のはしりとしては、ブラームスのバロック、古典形式への関心の高さはよく知られている.
同時代者ラフの「シンフォニエッタ ヘ長調」は、1873年作曲、2フルート、2オーボエ、2クラリネット、2ファゴット、2ホルンという編成の4楽章交響曲。彼の古典・バロックへの関心やバロック、古典派的楽器編成への指向はメンデルスゾーンから引きついだものであり、後任ラインベルガー(オルガンの大家)をへて、レーガーやブゾーニにもつながっていくものと考えられる。
小編成の多楽章形式の流行としては、19世紀の「セレナード」も20世紀の室内交響曲へつながるものでしょうか。ブラームスの「セレナード第1番」1859年。フォルクマンの「弦楽セレナード第1番」1869年、チャイコフスキー、ドヴォルザーク,ライネッケなどと続くセレナードの系譜もある。あるいはシュポアあたりの9重奏曲など多楽章の大編成室内楽曲の系譜も室内交響曲への伏線だろうか。こういった流れがあわさって20世紀の室内交響曲が準備されたのだろう。

チャイコフスキーがメック夫人への手紙にこんなことを書いている。「ビューローの意見では、音楽の未来は5人の作曲家にかかっているという。その5人としてビューローは、ラフ、ブラームス、サン=サーンス、ラインベルガーと私をあげています。」(注:ラインベルガーはオルガン曲の大家としてドイツでは今も演奏される)

ラフはCDは結構恵まれていて、Marco Poroから交響曲全曲。
5番はバーメルト指揮ベルリン放送響ほか数種類、
3番もタヴァロス指揮フィルハーモニア管ほか、
8番から11番はVenzago指揮のバーゼル放送響の録音もあり。
ピアノ協奏曲も聴いたものだけで2種でています。
なお「カヴァティナ」という小品は、エルマンの愛奏曲だった。

さて、ラフが、他の大作曲家に伍して高い評価を受け続けることができなかった理由、音楽的弱点は、リズムの単純さにあると私は考えている。ラフの音楽は、しばしばリズム的にあまりに単純に拍節にのった繰り返しにおちいる。フレーズの構造はあまりに素直で、いわば引っ掛かりに欠ける。ブラームスのようなリズムの対位法と多面性に欠けるのだ。
それでも、ラフの音楽の自然すぎるほどの率直さ、朗々と響き歌う各楽器の息吹、森や野原の空気。自然への愛。淡々と森の中を走るような心地よい前進。これは、他の作曲家の音楽では得られない喜びを与えてくれる。

ラフ協会のサイトは是非、訪れてみて欲しい。
The Joachim Raff Society

2000年2月22日 、3月2日補足、5月30日補足
記:近藤浩平