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音楽における自然さと把握のしやすさについて。調性対無調ではなく。

20世紀の西洋音楽において、機能和声、調性の崩壊と無調、12音、セリーという文脈での議論はたくさんされてきました。
実際には、西洋の音律とは異なる音階や旋法が世界にあり、中心音があったり各音にヒエラルキーがあったりの機能をもたした音組織が、いろいろとある。
同時にいろいろな旋法を重ねたり、耳には調性を代替するような聴取感覚をもたらす音階や旋法を合成することもできる。
広義の「自由調性」とも言え、狭義の調性ではない、このようなものが実際にはたくさんある。

狭義の調性ではなくても、音に、なんらかのヒエラルキーや規則性をもたらして、聴く人に、音の動きの先読みをさせたり把握をしやすくした音楽は、比較的、受け入れられやすい。

終止形なども、主和音がでると終わりというものでなくとも、たとえば、打楽器のみの作品でも、必ず区切りのところで、ゴングが鳴るとか、速度がが変わって楽器群と音色が変化する手前に、必ず決まったタンバリンのリズムが出てくるとかいうように、耳で規則性が記憶される仕掛けをしたときには、音楽が把握されやすくなる。
調性というものは、こうした規則性のうち、非常に長年、多くの人に使われてきた強力なものと思いますが、こうした「規則性」というものは、実際、非常に多様なものが共存しえるものだと思います。

西洋の調性がなくても、先が読めて規則性があり不快でないもの
といえば、木魚を叩きつつ読経をして区切りごとにチーンと鳴らすとかいうのは典型ですね。

ブーレーズの曲でも「リチュエル」などはこうした意味で、比較的、聴く人に把握しやすいものですね。

ところで、ホルストが晩年に書いている多調の作品はおもしろく、譜面は各パートに異なった調号がついたような大胆な多調なのだけども、エンハーモニック(異名同音)や、巧妙な対位法で、縦の関係は、非常に協和的で美しいハーモニーを生むように作ってある。
覚えやすい旋法的メロディもありながら、曲のトータルとしては、伝統的調性音楽ではない透明で不思議な協和的和声を生み出している。
ミヨーの多調も美しいし、ルー・ハリソンのスレンドロ音階や、ペロッグ音階の曲もガムランに素朴に影響を受けた聴きやすいものだが、機能和声、狭義の調性からは逸脱している。

こうしたものを聴きつつ、西洋音楽の調性が唯一の自然なものや回帰すべき唯一の故郷だとは思わず、またタブーとも思わず、新しい旋律と和声の可能性と、旋律や和声以外の音楽の要素を繊細に聞き取る感性とをもって、自由にこれからの音楽を聴き、作っていきたいですね。

2002年4月12日
近藤浩平

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