山の作曲家、近藤浩平 トップページへ戻る

知られざる名曲、作曲家と出会う方法・・・・クラシック音楽愛好者の方への提案

クラシック音楽のコンサートへ行くと、18−19世紀の一握りの大作曲家の有名名曲と、20世紀前半のわずかの有名曲だけが繰り返し演奏されています。
ベートーヴェンやブラームスやチャイコフスキー、マーラー、ストラヴィンスキーなどの有名曲に繰り返し接することになります。
しかし少し関心の広がりのある方、知的好奇心のある方なら、CDショップや音楽事典などで無数の作曲家と作品の存在に、気づいているかと思います。
「忘れられた名曲」「知られていない名曲」など存在しないと暴言を吐く人も、有名でない音楽への関心を、単なるマニアックなコレクター趣味と片付ける人もいるかもしれませんが、私の経験では、まだまだ、広くは知られていない名曲、佳作は多数あります。過渡期の小作曲家でも、スケールや様式の完成度は低くても、他の大作曲家にはない独特の個性をもった音楽を作った人たちもいます。
しかし、名前も知らない作曲家のCDを、手当たり次第、偶然の出会いを求めて買いあさるのも、座標軸がなく、なかなか思い切れないものです。また、この方法だと、当然ながら、「はずれ」の確率が高くなり、しかも、どんなスタイルの音楽なのか見当もつかず、ちょっと最初の取っ付きの悪い渋い作品だと第一印象のまま積んでおくだけということにもなってしまうことにもなりやすいことと思います。
そこで、比較的「はずれ」の確率を低くして、しかも既知の大作曲家との関連など知的興味も満足させ、聴く前にどんな傾向、時代様式の音楽かおおまかな推測をたてながら自分の出会いたい音楽に近づいていくコツを、書いてみます。

 まず音楽史を大作曲家だけの点で理解せず、線で理解すること。
天才は突然には出てこないので、すばらしい音楽がある前後左右には必ずそれが生まれる土壌があります。
たとえば,ショパンのピアノの扱いと、モーツアルトのピアノの扱いでは大きな違いがあります。しかもベートーヴェンやシューベルトとはかなり異なった要素がありますので、その間をつなぐ創意にあふれた作曲家が何人もいたということは十分想像されます。フィールド、ウェーバー、フンメル、カルクブレンナー、デュセック、トマーシェクあたりはこうして芋づる式につながってきます。あなたの好きな大作曲家が何を学び、どんなライバルと競い合ったのかを知ることは、その作曲家をより深く知るためにもとても役立つことです。ショパンの音楽の様式や内容のうち、どこまでがその時代に共有された様式や雰囲気なのか、どの点で彼の音楽は、個性的だったのかも一層くっきりと理解できることになります。
ボロディンやチャイコフスキー(1870ー1890年台前半)は、同時代のヨーロッパの作曲家の交響曲に大きな影響を受けたといいますが、ブラームスはロシアで不人気でしたしボロディンより年代が後になるので、より直接の影響を与えた作曲家が他に当時いたはずです。シューマンやメンデルスゾーンは、1840−1850年頃ですから、少し年代が遡ってしまいます。直接のモデルとなった同時代のヨーロッパの作曲家はラフやフォルクマンなどだった可能性が高いということに気づき興味が湧いてきます。ブラームス出現まで19世紀中葉に君臨したこういった作曲家の作品は、大きな影響を与えながら、一時代後の作曲家によってよりスケールの大きな完成が達成されたため、今では陰の存在ですが、やはり、この時代の世界で屈指の作曲家だったわけで、作品は当然ながら素晴らしいものもあります。
当時書かれた文章に接するのも良い手掛かりになります。ハンス・フォン・ビューローが、「音楽の未来は5人の作曲家にかかっている。ラフ、ブラームス、サン=サーンス、ラインベルガー、チャイコフスキーだ。」と言っているのを知れば、ここに挙げられている、ラインベルガーとラフを聴いてみたいという興味が湧いてきます。

 地域と時代のマトリックスの空白を考える。面で考える。
たとえば、20世紀の前半にハンガリーを代表するのはバルトークだが、同時代のルーマニア、メキシコ、ブラジルは誰が代表するのだろうかと考えます。少し音楽史の文献を探せば、すぐエネスコ、ポンセやレブエルタス、ヴィラ=ロボスなどに出会う。ラフマニノフと同時代のアメリカはというとマクダウェルに出くわす。20世紀はじめには、この極東の日本でも山田耕筰や貴志康一などがオーケストラ曲を書き始めた、ではトルコなどのヨーロッパ周辺国ではどうだったのだろうかと考えれば、トルコの大作曲家セイグンなどに出会う。

古い時代では、例えばベルリオーズ出現寸前のフランスはどうだったのだろう、そのころスペインは、イギリスは、などと考えると、情報の空白に気づくでしょう。
19世紀のスヴェーデンを代表する作曲家は、ベルワルトですが、知られるようになったのは最近のことです。これほど音楽活動のレベルの高い国が19世紀の100年間に一人の才能も生み出さないはずがあるでしょうか。面で考えれば、ここにもきっといるはずというポイントが見えてきます。

 18−19世紀のヨーロッパ音楽の場合は、よく知られた大作曲家の傑作に匹敵する作品に出会うことは滅多になく、その前後の興味深い中小作曲家という範囲であることがほとんどですが、20世紀の音楽に関しては、レパートリーが今だバランスよく落ち着いた状況になく、とんでもない傑作が、ほとんど知られていないままということがしばしばあります。とくに、日本の音楽界、演奏家はドイツ、オーストリアあるいはフランスの価値観の影響が強く、20世紀に入ってとくに重要な音楽を生み出している南北アメリカ大陸や、イギリス、北欧、東欧、中東などの情報が不当に欠落しています。ニールセンやヴィラ=ロボス、マルティヌーでさえ日常的のレパートリーにはいりはじめたのは、ごく最近のことです。ヴィラ=ロボスやヒナステラのオーケストラの代表作でも演奏会で聴く機会がどれほどあるでしょうか。プロコフィエフの交響曲あたりでも、2−4番あたりを演奏会で聴くチャンスは滅多にありません。マルティヌーのピアノ協奏曲の実演なども稀です。ミヨーの交響曲などもコンサートでとりあげられるレベルに一体いつなることでしょう。エネスコやシマノフスキあたりの代表作でもまだほとんどコンサートには登場しません。
とくに、20世紀音楽については、まだまだ充分には知られない第1級の傑作がたくさんあるのです。

近藤浩平 1999年11月1日記


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