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国民楽派、音楽、民族、国家、国民音楽

 国民という概念が、そもそも19世紀あたりからの近代国家的な概念とも言える。
国という政治システムが、単に支配者の版図という以上に、全ての社会階層、庶民を含んだ国民という概念をもった共同体として強調されるのは、国と国との関わり合い、戦争などが、国に住んでいる全ての階層を本格的に巻き込むようになってからではないでしょうか。
 ごく自然にその土地の音楽、地域文化として存在していたものが、愛国的な音楽、国民の共同体意識、結束を強調する音楽として意識されたり、あるいは古い伝承や神話などが国民統合のシンボルとして「再発見」され、国民的スタイルが創造されたりするのは、19世紀、まさに国が、単なる貴族の支配版図から、国民国家に変質し、戦争が貴族達の戦いではなく全国民を巻き込んだ総動員戦に変わっていった時期とかなり一致するところがある。
とくに東欧など国家の政治的独立が脅かされる状況にあった国ほど、強調されたのは無関係ではない。

 国に住む大多数の住民が、帰属意識と集団的エゴイズムの単位としての国や民族国家を意識しはじめるのはそう古いことではない。近代国民国家が対立し戦争となった場合、相互の国民対国民の対立と憎悪に至る。
ヨーロッパにおいて現在の国の輪郭が出来たのはそう古い起源ではない。フランク王ルイ1世の3人の息子たちが国を分割相続したからといって、どうしてアルザス・ロレーヌ地方が20世紀に戦場にならなければならないのか考えてみれば馬鹿馬鹿しい話ではある。
自分の住む土地が神聖ローマ帝国であろうが、ハプスブルグ家の領地であろうが領民にとっては暮らしこそが大切である。ドイツが統一性をもった国家として住民に意識されるのはそれほど昔のことではない。
日本でも応仁の乱や戦国時代の群雄割拠の時代、それぞれの大名の領民同士が対立し憎悪が残ったという話はあまりきかない。
 国境近くの人間が、ほんの10km先の隣人の利益を妬み、はるか数百キロ離れた遠い地方の住民の不景気の要因として怒り、国対国の対立に至るのは実に人工的近代的現象ではないだろうか。
 国境が交流を遮断し、文化の不連続線を作り出す。国家の統一という政治体制の要請と、同質の文化と意志疎通をもった国民同士の一体感と他者排除の感覚が国民意識を顕在化させる。
 列強が人工的に国境を引いたアフリカ、アラブ、バルカン諸国などでは、国民意識は本来希薄であり、宗教や部族がより重要な共同体となっているが、20世紀には欧米が引いた人工的な国境から芽生えた国家意識部族、民族、宗教の共同体意識が、複雑に入り組んで、共同体の境界線と国境線との果てしない矛盾を引き起こしている。

 国民音楽というと、こうした近代の国家意識の明確化と関わるものとしての政治的意味をはらんだものと、単に郷土、民族など自分の帰属する共同体の文化を意識するというより素朴な地域文化主義と、2つの意味があり、そのどちらを強調するかによって、ずいぶん意味が変わってくるように思います。

 前者の意味につては、長木誠司氏編集の季刊「エクスムジカ」のプレ創刊号が、特集、国家・音楽となっていて参考になります。後者については、ヴォーン=ウィリアムスの「National Music」が参考になると思います。

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