山の作曲家、近藤浩平 トップページへ戻る

山と旅には音楽を持っていかない

 私の場合、旅行というと、ほとんどイコール登山ですが、CD、MDあるいはラジオなど一切、音楽を聴く為の道具は持って行きません。木々の音、水の音、動物の音、雪の音、風の音、石が転がる音、虫の音、蛇が進む音、自分の足音、雨の音、鳥の音・・・自然の音を聴きます。

 現代の音環境は、非常に人工的な音が定常的に鳴り続けている非常に濁ったものになっています。家で静かにしていても、よく聴くと、冷蔵庫や蛍光灯、パソコンなどいろんな音が、空間を埋めています。また、電気的な再生音に非常に長時間さらされています。テレビとラジオとステレオと電話、外の様々なスピーカーの音を聴く時間を合わせると大変な時間です。本当の自然の静寂が貴重になってしまっていて、耳が鈍感になっていっているのではないでしょうか?

 長い山旅などで自然の静寂の中で過ごし、下山して最初に聴く音楽は素晴らしく鮮明に聞えます。とくに雪山などでは雪面のちょっとした音にも敏感になって、動物的な感覚の鋭敏さをいくらか取り戻すことになります。ひっきりなしに音楽を聴いていると、いつも何かの音楽の記憶が頭の中で鳴っている状態になってしまい、思考に大切な空白が失われるように思います。山で音楽を聴かない時間は、いわば耳をリセットして頭の中の音をリセットして透明な音空間を取り戻す貴重なプロセスになっています。こんなわけで、私は山旅には音楽を持っていきません。山で鳥や風や木々の音に耳を傾けている時に、ラジオなどで音楽をかけてやって来られるとがっかりです。

 また、登山ではなく、普通の旅でも、音楽は持参しません。土地の音楽が聴ければ最高。また土地の言葉を聴くのも楽しい。鉄道に乗っても、列車の音、汽笛、アナウンス、車掌の号令・・・皆、土地の個性をもっている。旅は、自分の知らない世界、文化、人、音との出会いだから、自分のいつも聴いている音楽で耳を覆ってしまうのはもったいない。例えばイスラム圏を旅するなら、西洋音楽はしばらく離れて、現地の音を聴くと、次第にそれがいろいろ変化に富んだ音であることがわかってくる。 もっとも、味気ない出張での急ぎの夜の新幹線、味気ないビジネスホテルでは、音楽は持っていきたいですが・・・いい音に出会える旅なら、音楽を持参して耳をふさぐのはもったいないと思っています。 

2001年5月26日
近藤浩平