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自由な喫煙への4つの条件

煙草は個人の嗜好品であり、たとえ本人の健康に害があるとしても、一つの生活文化であるわけで、これを権力が強制的に禁止したり、煙草を好まない人が煙草の存在そのものを撲滅したり、煙草を吸う人を差別してはならないだろう。他人に害悪を及ぼさない限り、煙草を吸うということは、個人的嗜好・趣味・生活スタイルであって、他人がこれに干渉したり禁止したりするものではない。
法的禁止や、嫌煙者による喫煙阻止運動というもので、個人の嗜好そのものを禁じることは望ましくない。
たとえ不健康でも好きなことをやる権利はある。危険なスポーツや、肉体に不健康なまでの負担を強いる競技スポーツ、睡眠不足の不健康をもたらすようなゲーム三昧、金欠をもたらすギャンブル、不道徳な内容の表現物を楽しむなどの個人的な嗜好が認められることと同様、煙草を吸うという嗜好も個人の自由である。
ただし、この自由は、他人の自由を侵害せず、他人に社会的不利益・負担を与えないことを条件に享受されるべきだと考える。そこで、自由な喫煙のために、以下のような条件をクリアすることを義務とすることを提案する。

1.非喫煙者の嗜好を妨げないこと

喫煙者が煙草の味や香りや煙を嗜好することが自由であることと同様、非喫煙者は煙草のにおいや味、煙に汚されない空気を吸うことを妨げられてはならない。喫煙者は、非喫煙者に煙草の臭いや煙を強要してはならない。非喫煙者には煙草の臭いと煙にさらされない自由が保証されなければならない

たとえば、レストランなどで、料理や酒の香りを楽しもうとしている時、店内の閉鎖的空間で、一人の人間が個人的嗜好で他の匂いと煙を放って、店内にいる人全ての味覚と嗅覚に干渉し台無しにすることは許されるだろうか。
ワインも松茸も匂いを妨げられたくはない。
もし、線香でも持参して突然料理屋の客席で焚きはじめたらひんしゅくを買うだろう。煙草を例外とすることはおかしい。
銭湯で湯上りのかすかな湯の香りを楽しんでいるときにでも妨げられると、ちょうど煙草を吸っている人間が煙草を取り上げられて自分の好きでない食べ物でも強制的に口に突っ込まれたようなものだ。
コンサートでは聴衆は音を楽しみに来場しているので、会場で騒いだり物音をたてたり携帯電話を鳴らしたりするなど、皆が楽しんでいる音が聞えなくなるような行為は排除されている。これと同様のルールを守りたい。
自分の好む香りや煙を嗜好する自由は、同時に、自分の好まないにおいや煙を強制されない自由でもある

新幹線など交通機関では禁煙車と喫煙車がわかれるようになっている。禁煙車が満席となって、喫煙車に空席があるとき非喫煙者は、やむなく喫煙車で煙草の煙と臭いにさらされることになり、自分のクリーンな空気への好みを無視されることになるが、これも結果的には強制だ。禁煙エリアを臨時的に拡大するなど分煙は柔軟に対処すべきだ。
喫煙車で、線香でも焚いたら文句を言われるだろうか。煙草が許されている空間なら、香を焚いて、においと煙を放つことも許されていると思うのだが。たばこの味がわからなくなると可愛そうだから、やめておきますが・・・
なお、喫煙者の注意すべきこととして、人間の嗅覚というものは、いつも接している臭いに対しては鈍感になるということがある。煙草を吸う人は気づかないかもしれないが、かなり広い部屋や車輌で、離れた位置で煙草を吸えば、それほど他人に臭いや煙が到達しないだろうと判断するかもしれないが、煙草を吸わない人にとっては、背後の離れた場所の人がちょっと煙草に火をつけただけで臭いと煙を感じるものである。広い部屋の一角で火をつけるだけで、部屋の空気全体に影響を与えるほど強いにおいと煙を出すものだということは忘れてはならない。
皆の共有空間の空気に、個人的嗜好の臭いや煙を付けることはやめよう

2.非喫煙者の健康を害さないこと

煙草の煙が、健康に悪影響を与えるということは既に知られた事実です。本人が不健康な嗜好品を嗜むことは全く自由ですが、他人を巻き込むことは許されません。
煙草の臭いや煙を嫌ったり気にしたりしていない他人に対しても、煙草の煙や成分で汚された空気を吸わせてはなりません。
タバコの臭いや煙を気にしない非喫煙者や、タバコの煙の害について知識のない人(子供や高齢者の一部など)にも受動喫煙の健康阻害は分け隔てなく影響を与えます。
誰かを受動喫煙させることのない場所で喫煙しましょう

3.喫煙による本人の健康の阻害については、本人が責任を持ち、第三者に負担させないこと

喫煙を原因・誘因とする疾病や健康障害は、喫煙者本人の責任によるものです。この健康阻害による負担を、非喫煙者が負う必要はありません
喫煙を原因・誘因とする疾病や健康障害は、社会保険・健康保険の対象外とするか、あるいはその部分については喫煙者のみの保険料負担から支出されるオプションとすべきです。(地震免責と違って自業自得でしょう)
また、任意の保険(生命保険・入院保険など)でも、喫煙による疾病の発生率増大を考慮して非喫煙者と喫煙者の保険料は差額をつけるべきです。非喫煙者が、喫煙が要因になった疾病分まで含んだ健康保険料を余分に負担する理由はありません。
自動車の保険が、自動車に乗る人だけの加入によっているのと同様です。

4.喫煙行為を原因とする社会的コストは喫煙者が負う事

煙草は、火災の原因としてトップクラスにあります。喫煙による失火は、喫煙者が責任をもつものです。喫煙による失火は火災保険の対象外とするか、喫煙にともなう義務として加入する「喫煙失火保険」とも呼ぶべきものから補償されるべきです。
自動車の保険が、車に乗る人だけが加入する保険になっていることと同様に考えられるべきです。
また、加害者が特定できない火災(山火事や公共の建物の火災などで時々あるケース)や、本人に補償能力がない場合は、喫煙者の互助組織が補償するか、煙草の販売者が補償することとします。(販売者負担となれば、販売者は価格に転嫁することが出来ます)
負担範囲は、失火により失われたものの回復や補償、また、消火活動などのコストも含むものとします。
消防予算のうち煙草を原因とする火災に対応する部分は喫煙者が負担することとなります。

また、公共的空間での分煙実施にともなうコストについては、喫煙者が負担するべきです。禁煙車と喫煙車を分けることにともなうコスト、喫煙場所や灰皿の設置、吸殻の清掃費用、吸煙装置の設置など様々なコストが発生していますが、この費用を煙草を吸わない人が負担するのは不合理です。喫煙者の利用料金に応分の差額を付けるか、喫煙者から何らかの方法で集めた費用から出費されるべきです。オフィス・病院などでの分煙費用も、個人の嗜好を満たす為の費用を非喫煙者にも均等に負担させることになるのは望ましくないので、喫煙者のみが別途負担する方法が望まれます。

なぜ飲酒には寛大で煙草には厳格なのかという意見を喫煙者からきくことがありますが、酒は飲んだ本人だけが酔い味わうものです。同じ空間にいるだけで、アルコールを摂取することにはなりません。
飲酒運転や酔っぱらっての暴力などは、その行為そのものとして処罰やルールがあります。酒を飲んでいるだけで、関係の無い他人をアルコール中毒にしたり害を与えることはありません。煙草は、暴れなくても、車を運転しなくても、他人に一気飲みを強要しなくても、おとなしく吸っているだけで自覚無く他人に受動喫煙という影響を与えてしまうことがおおきな違いです。

上にあげた4つの条件さえ満たせば、煙草は個人の自由な嗜好品であり、不合理な課税や法による禁止の対象とするものではありません。個人で責任と応分の負担を持った上で、自由に嗜んで差し支えないものと思います。
不健康な趣味や嗜好も、個人に許される社会であってほしいものです。

2002年1月6日
近藤浩平記 

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