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調性感について考える・・・・様々な音楽を聴く調性感/それぞれの調性のイメージ

調性感というものは何かという問いは、2つの意味の質問になります。

長短調あるいはその他旋法の中心音、または主和音を軸とした機能の感覚という意味、音楽を構成する音の階層づけという意味での「調性感」について
 これについては、旋律的進行の問題と、和声の緊張と解決というものに大まかに細分されるかと思いますが、どちらについてもまとめて単純化して言えば、 例えば、長短調の伝統的調性でつくられている音楽を聴いているときには伝統的調性感がはっきりとあります。一方、拡大された調性や、教会旋法、あるいは、様々な民族的音組織でつくられた音楽を聴くときには、それぞれの音楽の音組織に応じた、「調性感」を代替する「音楽組織」の感覚をもって聴きます。
古典派様式の音楽を聴いているときには古典派の調性感、後期ロマン派の音楽を聴く時にはその様式の拡大された調性感、そして、西洋音楽以外のたとえばペロッグ音階の音楽を聴く時には、それに応じた音組織への感覚でもって聴くわけです。聴いている音楽が前提としている音楽組織(調性や旋法や、ラーガなど)を、即座に判断し、耳は音への秩序づけの方法を切り替えていくと言ってよいのではないかと思います。また、和声進行や特定の和音進行がどの程度、調性的かどうかは、その人ごとの固定した感覚があるというよりも、その音楽ごとに設定されたレベルがあるといえるのではないかと思います。
古典派時代に解決が必要な不協和音が、後の時代には解決の不要な和音になったりと、時代により調性感は変わっていきますが、だからといって、古典派の音楽を聴いたときに、和声の緊張が感じられなくなったりはしないわけです。(弱まったかもしれないが)
 あるいは、逆に全く無調の現代作品に、突然長3和音の根音5度進行などが唐突に現われると、異様な緊張感が発生するという逆転現象も、音楽的シチュエーションの設定によりつくりだすことが可能です。

 話はすこしそれますが、おもしろい音階組織があります。通常の音階は12の半音(オクターブ)ごとに周期的に音程間隔があらわれるようになっている・・・・いわば12進法・・・ですが、この周期を異なった周期・・・・例えば5度やその他の音程・・・に切り替えた音階をつくると、それなりにもっともらしい主音ができあがります。完全5度間隔だと、音域ごとに主音が異なった音名で、全ての音名が、どこかの音域で主音になっているなんていうへんてこな音階が出来あがります。
 なにが調性感を形作っているかというところに遡り、再構成して調性を代用する音組織をつくることも可能です。バルトークの「機能転移」なども、こういった試みの一つと言えるでしょう。
 ところで、カデンツの終止形や、主音への解決というのは、長い歴史の中で定着した、「コロトミー構造」(注)の一種かと思います。
根音が5度下の和音へ進行する、あるいは導音の進行は、音そのものが、そういった性質を持っているというよりも、そういった性質を帯びるよう音が配置された西洋音楽が長い歴史の中で植え付けてきた聴習慣と考えられないでしょうか。
 「コロトミー構造」は例えば、各楽章の終止に必ず特定の打楽器(たとえばタンバリンの一打ち)の音で終わる多楽章形式の作品を作曲するなど、一つの音楽作品の中だけで通用する特殊なものさえ作ることができます。

(注)「コロトミー構造」・・「新音楽辞典」音楽の友社刊の解説から引用すると下記の通り。
「音楽構造の時間的区分に関する用語。形式上の区分、下位区分、フレーズ、モティーフなどの終わりの部分に相当するところを特定の音響方法で明示する工夫を言う」

それぞれの調には固有のイメージ 、性質はあるのか
 変ホ長調、嬰へ短調、へ長調、イ短調・・・長調と短調だけでも主音をどの高さにするかにより、様々な調性があります。
多くの音楽作品は、特定の調性を指定して作曲されています。それぞれの調性には、様々なイメージと響きがあり、それぞれ独特の色彩があるとも言われています。 スクリアビンなどは、それぞれの調性と色彩を関連づけていたと、いくつもの文献に書かれています。
しかし、音楽の現場では、演奏の便宜上、こだわりなく他の調に移調して演奏することもさかんに行われます。
音階の構造が同じのまま、移調さえた場合、音楽は異なったものになるのでしょうか。 例えばEを主音とするものだけでも、長調もあれば、短調もあり、様々なその他の旋法(ドリア調ほか)もありますが、それぞれは固有の性格をもっているのでしょうか
長短調だけで24種類の調性があり、さらにそれぞれの音を主音に様々な旋法を想定すれば、非常に多くの調というものが存在しています。
 ここで言う、個々の調についての調性感覚。音組織が同じ構造のまま、移調されたとき、異なった調性感になるかどうかですが、絶対音感は私はないので、明白に違いがわかる、判別可能だとは言い難いと思います。(MIDIでシフトさせて何人か被験者を集めて実験してみるとどうなのでしょう)
しかし、作曲しているときには、この調、高さで、というこだわりは、はっきりあります。それどころか、素材を移調すると別のものになるように感じ、最初に出現した高さのまま使う傾向があります。
 ピアノ曲の場合は黒鍵と白鍵のどれをたたくか、という多分に視覚的な、あるいは、指の運びからくる感覚も作用しているようです。
移調楽器、たとえば、B管とA管のクラリネットを両方使う人など、どうなんでしょうか?
管楽器ならその管の調、弦なら解放弦とストップされた音、というように楽器操作に影響されるものもあるかと思います。ギターならやはりあの4度間隔の解放弦の音というのはある種の中心になっているのではないでしょうか。ホルンの主体になる作品はへ長調が多く、クラリネットの曲は変ロ長調が多いですね。オーケストラ曲でも当然考慮します。嬰へ長調のホルンのパッセージなどきっとうまく響かないかと思います。
 ほか、例えば、その調で書かれた過去の有名な作品へのイメージなどといった文化的な記号や象徴が、作曲者の調選択に影響するケースも多いかと思います。
 例えばハ短調はベートーヴェンの5番、ホ短調はメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲のイメージがありますね。それぞれの調はそれぞれ代表的な過去の音楽作品のイメージを背負っていますが、こうしたこともとても大きな影響をもっているようです。
 

1999年11月28日
近藤浩平
 

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