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和声と対位法

和声と対位法についてどのように勉強したらよいのかという質問を音楽を勉強されているという方から、よくいただきます。また、学校や教科書で学ぶ和声や対位法の規則と、実際の作曲、とりわけ20世紀の和声や対位法との違いをどう受け止めたらよいのかわからないというような趣旨の相談をいただいた方もいます。
私自身は、和声や対位法をきっちり学校や教科書で体系的に勉強したことがなく、またその種の勤勉さにも欠けていますので、こうした規則の忠実な勉強がどのような意味を持ちうるのか、どのような重要さがあるのかを語るのには適格とはいえませんが、私個人としてどのように受けとめているのか簡単にまとめておきます。

和声や対位法というのは過去の音楽家が効率的に経験を伝えるためにまとめたものです。

自然法則に従って化学の実験を行うのとは違い、自然法則と違って和声や対位法の規則は人間が変えられるものです。過去の規則を破ったからといって爆発するものでもありません。法律を解釈して裁判を行う司法でもありません、作曲家には立法権もあります。

自分は、どんな音楽をつくりたいのか?
そういう音を作り出すには、どういう音の秩序をもたせれば良いのか?
過去の和声や対位法を参照しつつ、自分の音楽にふさわしい和声と対位法をみつければ良いです。
あなたが、不協和音が3度や6度に解決しないと音楽的に満足しなければ解決すれば良いし、その必要を感じなければ解決の必要はありません。
連続5度や連続8度で声部間のバランスが乱れるのが音楽的に望ましくないシチュエーションなら避ければよいし、連続5度がふさわしい音楽的シチュエーションなら、連続5度で良い。
自分の耳を信じること。聴いてどちらが良いか自分で判断することです。
規則の展開・適用で楽譜を作るのではなく、自分の音楽を作るために和声や対位法は利用するものです。
自分で自分の耳の判断が信じられないような人に自立した作曲は出来ません。
もし、あなたの音楽性が、20世紀の対位法や和声法よりも、古典やバロック時代の音楽の規則を求めるのなら、無理してそこから逸脱する必要はありません


2003年5月16日
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