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ホルストのフルオーケストラ作品

2000年8月27日作成 ,12月9日更新
近藤浩平

タイトル(訳題) 原題 年代 出版社 参考CD 備考
冬の牧歌 A Winter ldyll 1897 David Atherton/LSO
Lyrita SRCD.20
グリーグ、ブラームス、ブルッフ、ワーグナーが同時代であった時代の音楽。師スタンフォードに学んだ成果がはっきりと現われた作品。初期にとって最も影響を受けた作曲家が、メンデルスゾーン、グリーグとワーグナーであったことがわかる作品。
ウォルト・ホイットマン序曲
Op.7(H42)
Walt Whitman Overture
Op.7 (H42)
1899 Faber Douglas Bostock/Münchner Symphoniker
CLASSCD 284
師スタンフォードから学んだメンデルスゾーン・ブラームスの音楽とワーグナーへの心酔が反映した初期の作品。
題材の好みはこの時期からすでに明らか。
バレエ組曲変ホ調
Op.10(H43)
Suite de Ballet in E flat Op.10(H43) 1899 Novello Adrian Leaper/CSR so. Naxos8.550193
初演は1904年。後年のホルストの個性のきざしが微かに見られる。様式的には全く19世紀的バレー音楽にとどまるが、第3曲のヴァイオリン・ソロなどロマンティックな魅力的箇所がある。1912年に改訂されているので本人も愛着のある初期作品だったのだろう。
コツウォルド交響曲
Op.8(H47)
(「ウィリアム・モリス追悼のエレジー」を含む)
Cotswolds Symphony
Op.8(H47)
Includeing“Elegy in memory of William Morris”
1900 Faber Douglas Bostock/Münchner Symphoniker
CLASSCD 284
コツウォルドはホルストの生地チェルトナム周辺の丘陵地帯。イングランドでも最も美しい地方。
アーツ・アンド・クラフツ・ムーヴメントで大きな影響を与えたウィリアム・モリスを追悼する「エレジー」は哀切な初期の秀作で、しばしば単独で演奏されてきたもの。
交響詩「インドラ」
Op.13
Indra,Symphonic Poem 1903 David Atherton/LSO
Lyrita SRCD.20
サンスクリットの題材による最初の大作。インドラとは、ヒンズーの神であり、日本での呼び名としては、帝釈天に相当する。
アルジェリア旅行以前の作品であるが、執拗なリズムの反復への指向など後年の様式を思わせるものと、ワーグナーの影響を感じさせる金管のファンファーレが入り混じり、輝かしく熱い光により神秘的高揚感を求める。
サマセット狂詩曲
Op.21 No.2(H87)
A Somerset Rhapsody
Op.21 No.2(H87)
1906 Boosey Richard Hickox/LSO
Chandos9420
ウィリアム・モリスの運動と並行するように、この時期、イギリスではフォークソング・リバイバルが大きな動きとなった。サマセット地方の民謡を素材とするこの作品はフォークソング・リバイバルを主導した民謡研究者セシル・シャープに捧げられている。1910年初演。使われている民謡はSheep Shearing Song, High Germany, The True Lovers's Farewell, The Cuckoo。
ベニ・モラ(東洋風組曲)
Op.29 No.1(H107)
Beni Mora(Oriental Suite)
Op.29 No.1(H107)
1909-1910 Faber Sir Marcom Sargent/BBCso.
EMI  CDC7 49784 2
1908年ホルストはアルジェリアを4週間にわたり一人で自転車で旅した。この時はじめて非西洋音楽に接して受けた熱い衝撃が生々しくあらわれた作品。終曲In the Street of the Ouled NaÏlsの徹底したオスティナートは、ほとんど阿波踊りのような世界を現出する。ロンドンでの初演は不評だったようだが、もしパリで初演していたらヨーロッパ中で評判になっただろうとヴォーン=ウィリアムスは思ったらしい。1912年初演。
惑星
Op.32(H125)
The Planets
Op.32(H125)
1914-1916 Faber 多数。アンドレ・プレヴィンの解釈は作品の本来の性格をバランスよく伝えているようだ。
詳細は論文参照。1913年4月、バルフォー・ガーディナーに招かれホルストは、作曲家アーノルド・バックス、文学者・占星術師クリフォード・バックスの兄弟とともにスペインで休日を過ごした。ホルストはこのクリフォード・バックスから占星術について学んだようだ。
ストラヴィンスキーの音楽と、シェーンベルクの「オーケストラのための5つの小品」の実演に接した強い印象、アルジェリアでの非西洋音楽、フォークソング・リバイバル、イギリスの古楽、民謡などに由来する多くの要素が混在した大作。
フレスコ画的明晰さは、同時代のシェーンベルクやリヒャルト。シュトラウス等の複雑なテクスチャーとは一線を画す。
日本組曲
Op.33(H126)
Japanese Suite
Op.33(H126)
1915 Boosey
ロンドン公演を行った日本人舞踊家伊藤道郎のために作曲。日本の民謡が使われている。
ルアー(誘惑)
(H149)
The Lure(H149) 1921 Faber David Atherton/LSO
Lyrita SRCD.209
ろうそくの炎とそれに引き寄せられる餓というシナリオ(Alice Barney)による短いバレエ。ホルスト中期の明確な輪郭をもったリズムと簡潔で効果的なオーケストレーションで、「日本組曲」や「どこまでも馬鹿な男」のバレー音楽と共通するスタイル。
バレー上演記録がなくイモージュン・ホルストとコリン・マシューズの編集による1982年の録音まで演奏されないまま埋もれていた作品。
「どこまでも馬鹿な男」
からのバレエ音楽
Op.39(H150)
Ballet music from The Perfect Fool
Op.39(H150)
1918 Novello Andre Previn/LSO
EMI  CDC7 49784 2
オペラ「どこまでも馬鹿な男」のオープニングとなるバレー音楽。トロンボーン奏者であったホルストらしく、トロンボーンがダンスを呼び起こす魔術師の役割をになってめざましい。”Dance of Spirits of Earth","Dance of Spirits of Water","Dance of Spirits of Fire"という3つのダンスが次々と踊られる。
「惑星」の「天王星」と共通する魔術師と踊りの音楽。
輪郭のきわめてはっきりした奇数拍子のパターンが特徴。
イモージュン・ホルストの著作によればこのバレー音楽はもともと"The Sneezing Charm"という作品として書かれたものが転用されたものだという。
作曲者自身の台本によるオペラは(ユージン・グーセンス)Goosensの指揮、British National Opera Companyによりコヴェント・ガーデンの1923年のシーズン初日に初演されたが、好評を得ることは出来ず、現在、全曲を聴く機会がない。
バレー音楽のみエードリアン・ボールト(Adrian Boult)の指揮で1921年7月に初演、また同年12月アルバート・コーツ(Albers Coates)の指揮で再演されている。
フーガ風序曲
Op.40No.1(H151)
A Fugal Overture
Op.40No.1(H151)
1922 Novello Richard Hickox/LSO
Chandos9420
オペラ「どこまでも馬鹿な男」の序曲として1923年に初演された。中期の簡潔なパターン化とリピートを徹底した構造と、後期のポリフォニックで精密な構造をつなぐ重要な作品。
全音階から調性の無いものまで、それぞれ明確で個性的なリズムと旋法をもったパターンが、グロッケンなど金属打楽器も伴い、19世紀的濃密さとうねりの全く排除されたクリアな音色で大胆に組み合わされる。パターンを重ねる大胆さと終結部の唖然とさせるオスティナート、後年の「エグドン・ヒース」を思わせる不思議な瞑想の中間部など短いながら傑作。演奏時間わずか5分もかからない。
ホルスト自身“Ballet Fugue”あるいは“Fugal Ballet”と呼べるかもしれないと書いている躍動的で精緻・簡潔な作品。
同時代の新古典主義の傾向に追随するもののように見えるかもしれないが、ストラヴィンスキーの「管楽八重奏」(1923初演)、ヒンデミット「室内音楽第1番」(1922)という年代と比較すると先進的ポジションが理解できる。
「金色のガチョウ」からのバレエ音楽Op.45No.1(H163) Ballet music from The Golden Goose
Op.45No.1(H163)
1926 Oxford (組曲版)
Imogen Holst/Eiglish Chamber Orchestra
Lyrita SRCD.223
(全曲版、合唱付き)
Hilary Davan Wetton/Guildford Choral Society, The Philharmonia Orchestra
Hyperion CDA66784
グリム童話の笑えなくなった王女様の話。Morley CollegeとSt.Paul's Schoolの生徒の野外上演のために書かれた合唱バレーからオーケストラのみによる演奏会用にイモージュン・ホルストが編んだ組曲版。
生徒のための作品といってもホルストは新しい自分の様式を妥協していないので上演は容易ではなかったらしい。
合唱バレーというのは、モーリーやウィールクスの歌い踊られるバレー=ダンス=マドリガル、あるいはテュ−ダー朝時代の仮面劇、セシル・シャープらのフォークダンス復興などいろいろな影響を受けて新しくつくられたジャンルで、1914年にバントック(Bantok)が書いたThe Great God Panが最初らしい。
もとの合唱バレーも現在CDで聴く事ができる。
「一年の朝」からのバレエ音楽
Op.45No.2(H164)
Dances from The Morning of the Year
Op.45No.2(H164)
1927 Oxford (組曲版)
Imogen Holst/Eiglish Chamber Orchestra
Lyrita SRCD.223
(全曲版、合唱付き)
Hilary Davan Wetton/Guildford Choral Society, The Philharmonia Orchestra
Hyperion CDA66784
イギリス・フォークダンス協会(English Folk-Dance Society)のために書かれた合唱バレーから、イモージュン・ホルストとコリン・マシューズ(Collin Matthews)が編んだオーケストラのみによる演奏会用に編んだ組曲版。
テキストはSteuart Wilson。The Morning of the year すなわち、春分の日をモリス・ダンス等で祝うイギリスの伝統の現代における再創造の試みであるという。(Raymond HeadによるHyperion盤CD解説参照)
「自然の声(The Voice of Nature)」の呼びかけと首長と馬と若い男女、世代更新。
ホルスト自身がスコアに付けた説明によれば、“a representation of the mating ordained by Nature to happen in the spring of each year"(自然によって毎年春に必ず起こるMating(生き物がつがいになること、交配、結婚)の表現だという。(Imogen Holst "THE MUSIC OF GUSTAV HOLST and HOLST'S MUSIC RECONSIDERED"P.152"参照)
春の生命の更新への古代の儀式的踊りという設定であっても「春の祭典」とは大きくことなり、古い生命が犠牲となり新しい世代が生まれるという死と再生の踊りに残酷で狂暴な踊りは伴わなず、愛と連続性が強調されている点がイギリス的であるとRaymond HeadはCD解説で指摘している。
終結部分の歌詞は"You have shown my mystery. You have danced to my worship. Let all mortal answer the call of Love"というもので、ダンスと神秘主義と愛の交換との一致というホルストの一貫した世界観を示すものとなっている。
 民謡・フォークダンスと神秘主義、知的な多調的対位法がまざりあった不思議な作品で、ホルストの最も重要な作品の一つといえるが、初演は「芸術的におそろしく混乱している」("terribly confused artistically")と不評であったようだ。
初演はオネゲルの「ダヴィデ王」と「Pacific231」の英初演と同じコンサートで作曲者指揮によりおこなわれた。
もとの合唱バレーも現在CDで聴く事ができる。
エグドン・ヒース
・・・トマス・ハーディへのオマージュOp.47(H172)
Egdon Heath

Op.47(H172)
1927 Novello、Faber Andre Previn/LSO
EMI  CDC7 49784 2
詳細なアナリーゼは論文参照。
トマス・ハーディ(Thomas Hardy)の『帰郷』(The Return of the Native)冒頭のフレーズがスコアに掲げられている。
エグドン・ヒースとはヒースの生えた荒地で、非人格的自然の象徴。
"a place perfectly accordant with man's nature-neither ghastly, hateful, nor ugly;neither commonplace, unmeaning, nor tame; but, like man,slighted and enduring; and withal singularly collossal and mysterious in its swarthy monotony"
『帰郷』のストーリーを描いた標題音楽ではない。
 作曲中、ホルストはハーディに会い、昼食をともにし、車でエグドン・ヒースのモデルとなった荒野を案内されたという。その時、ハーディは、季節が夏であることを残念がり、11月に再訪することを薦めたという。またハーディはレコードですでに「惑星」を聴いて知っていたという。( Imogen Holst "Gustav Holst A Biograpy"PP.126-127)
残念ながらハーディーはこの作品の英国初演(1928年)のわずか3週間前に亡くなり「エグドン・ヒース」を聴く事はできなかった。
 New York Symphony Orchestraの委嘱作品。ダムロッシュ(Walter Damrosch)の指揮によりニューヨークで初演。
英国初演はチェルトナムとロンドンでチェコの大指揮者ターリッヒ(Václav Talich)の指揮でなんとベルリオーズ、ブラームス、ドヴォルザークというプログラムとともに行なわれた。
 1929年にはパリにて、ピエール・モントゥー(Pierre Monteux)の指揮によってフランス初演された。演奏は優れたものだったが、聴衆には大不評で、ヒスもひどく、ホルストはコンサート後のレセプションで好きでもないカクテルを3杯も飲んだという。ホルストの生涯ただ1度のヤケ酒の話が残っている。( Imogen Holst "Gustav Holst A Biograpy"PP.140-141)
ハマースミス セカンド・バージョン
Op.52(H178)
Hammersmith Op. 52,
second version
1931 Boosey Richard Hickox/LSO
Chandos9420
ウインドアンサンブルの為の名作「ハマースミス」のオーケストラ版。
カプリッチョ
(H185)

(Jazz-band piece)
Capriccio(H185)
(Jazz-band piece)
1932 Faber Richard Hickox/LSO
Chandos9420
1932年ハーヴァード大学での講義のため渡米した際、短いラジオ用の小品を委嘱されて書いたもので、作曲者自身はタイトルも付けることなくJazz-band pieceと言及している。結局、使用されることなく忘れ去られていたが、1967年にImogen Holstがアレンジしてカプリッチョのタイトルで出版、1968年に初演。
原曲はサックスやコルネットなどによるバンドを想定したものらしいが、イモージュン・ホルストにより通常のクラシックのオーケストラ編成に編曲されている。全く、ジャズ的ではなく、むしろ全くイギリスの民俗的なバンドのような音楽。
スケルツォ(未完の交響曲)
(H192)
Scherzo(H192) 1933〜1934 Boosey Richard Hickox/LSO
Chandos9420
ホルストは最晩年に、習作期のコツウォルド交響曲以来のオーケストラのための交響曲に着手したが、このスケルツォ楽章のみを書き上げたのみで未完成のまま死去した。
このスケルツォは切迫したリズムで始まるが、ホルストの中期の音楽にはあまり見出すことのできなかった柔軟な抒情性としなやかな構成を持っており、ホルストの音楽が新たな段階に変化しつつあったことを示している。
ホルストはここに来て、それまで禁欲的に避けてきた個人的抒情の表現をついに自分の音楽に許容しはじめたのだろうか。
 1929年の「12の歌」(Twelve Songs)の初演の際、ホルストは強い不満足を感じ始め、冷たい孤独な領域に閉じ込められているように感じた。プログラムの最後にシューベルトのハ長調の5重奏曲を聴いている時、氷が溶け始めるように感じはじめ、禁欲的な態度により失っていた「音楽の暖かさ」(warmth of the music)が必要だと理解したというエピソードがある。厳しく荒涼とした「エグドン・ヒース」を書き上げた1927年以降、すでにホルストは漠然と疑問を感じ始めていたという。(Imogen Holst "THE MUSIC OF GUSTAV HOLST PP.89"参照)
ヴィオラと小オーケストラのための「叙情的断章」(Lylic Movement 1933)で暖かい抒情性の回復を目指したその先にあったはずの「未完成交響曲」である。

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