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「ホルスト(Gustav Holst)における脱西欧近代」(論文)

近藤浩平

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第7章 『イエス賛歌』の神秘主義

 年代的に『惑星』『エグドン・ヒース』の中間に位置し、ホルストの神秘主義の一つの頂点を成す代表作とされる『イエス賛歌』("The Hymn of Jesus"1917年作曲)について触れないわけにはいかない。
 この作品は新約外典《ヨハネ行伝》(注87)からの作曲家自身による英訳をテキストとした合唱とオーケストラのための作品であり、HymnとDanceの神秘主義的結びつき(注88)を中心としている。
 冒頭、"Plelude"では、セミコーラスによって歌われる拍節を持たない単旋聖歌(注89)に対して、『惑星』における交替する2つの和音の反復とまさに同質の、2つの交替する和音の反復が異なったテンポで対立する。(譜例55)
 主部である"The Hymn"の冒頭。'Glory to Thee, Father' という詞のコーラスによる賛美は、『土星』『エグドン・ヒース』「人間」を示す旋律と同様のバスの下行する音階進行を伴っている(譜例56) 'Glory to Thee, Holy Spirit!'(聖霊に栄えあれ)という言葉が歌われるのではなくppで語られる箇所(譜例57)を経てffの"Amen"に至るまでは、神への賛美が続き、バスの下降する音階進行を常に伴う(注90)
 続くAndante4分の4拍子から、同一の行為をあらわす言葉の受動態能動態が2群のコーラスによって交互に歌い交わされ、'I am Mind of All'という全者と一者の合一あるいは一致を示す言葉で合流する(注91)。この特異な歌詞と構成をもつ部分(譜例58)は、神秘的で穏やかな調和をもつ。
 'Fain would I be known'(喜んで私は知られる)という歌詞の箇所で突然4分の5拍子Allegro にかわり、オーケストラがオスティナートリズムを様々な音色で激しく反復する。この間に、コーラスが'Divine Grace is dancing, Fain would I pipe for you. Dance ye all'という、ダンスを喚起する言葉を投げかけ、練習番号11の'Amen'の後、「ダンス」へ突入する(譜例59-1〜4譜例60)。
 この「ダンス」の歌詞は、'The Heavenly spheres make music for us; The Holy Twelve dance with us; All things join in the Dance! Ye who dance not, know not what we are knowing.'(注92)に始まり、練習番号13の急速な下行音階からの「ダンス」の主要部では、'Fain would I flee, And fain would I remain, Fain would I be order'd ;And fain would I set in order. Fain would I be infolded ;fain would I infold…'(注93)という,
主語と目的語、主体と客体、受動と能動が一致し、fleeremainという反対の行為が一致する歌詞が、2群のコーラスによって歌われる。
 「ダンス」の頂点に続いて、ただちにLentoの漂うような音響空間に入る(注94)。ここでは、2群のコーラスが'To you who gaze, a lamp am I'(注95) という言葉を歌う(譜例60)。各コーラスの3和音がクレッシェンドしながら'gaze'(見つめる)という言葉の所で衝突し、不協和関係となり、イモージュン・ホルストが述べるように、眩するまばゆい光を発し、'lamp am I'という言葉で協和関係に戻って焦点を結ぶこの箇所は(注96)ホルストの全作品中の圧巻である。
 練習番号15で"Prelude"で登場した単旋聖歌"Pange Lingua"の旋律がコーラスによって歌われるが、歌詞は'Give ye heed unto my dancing: In me who speak, behold yourselves; And beholding what I do, keep silence on my mysteries.…'(注97)という神秘主義を明らかに示すこの外典の英訳に変えられている。
 以上で、ホルストの神秘主義を最も顕著に示す『イエス賛歌』もまた、新約外典というテクストを用いながら、対立→調和・融和→呪文・喚起→神秘的ダンス→融合・合一、という共通する構造を持っていることが明らかとなった。もちろん、テクストは新約外典であるから、「人間」に対峙するものは、「宇宙」「自然」ではなくて「神」と呼ばれる。
 新約外典『ヨハネ行伝』は、グノーシス主義「外典」とされるもので(注98)、キリスト仮現論の立場で紀元2世紀頃につくられたとされている(注99)

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