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イランの山旅 

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1998年8月13日−20日<デマバンド5671m登頂 8日間>

イランへの旅について


旅は短く高く安く

 日本の登山ツアー会社「アルパインツアーサービス」と、「アトラストレック」のツアーパンフレットが送られてくる。本来、旅・登山は個人で企画して行くのが好ましいのだが、日本のサラリーマンの悲しい性「長期休暇が短い」に縛られる夫には、未知なる海外の、しかもリスクを伴う登山を成功させるためにも、海外登山はツアーの企画に乗らざるを得ない。何かのトラブルに対応する手間、時間をかけるのはもったいないからだ。
 新婚旅行はアルパインの、1996年「ケニア山とキリマンジャロ」だった。それ以来海外にはご無沙汰、行きたいけれど、二人だとお金もかかるし、いつもパンフレットを見てるだけ。なのに、しげしげ詳細に読む夫に「どうせ行けもしないのに!」とたたきつけたら、「そんなことはない!」と彼の心に火が付いた。
 二つのパンフレットを見比べて、登頂の企画が多いアトラスに軍配が上がる。その中でいろいろ検討の結果、時期(お盆)、短期間(8日間)、山(5000M以上)、お値段(30万円前後)の厳しい?条件をクリアーできるのはただ一つ。しかもあの、イランなんて!珍しいことこの上も無く、未知なる物への憧れ人一倍強い私達にピッタリではないか。
 早速、申し込む。遂行人数が達しますように…。

イランの資料探し

 ところで、イランといえば「悪魔の国」と、欧米ではあの悪名高き国。イスラム自体、我ら日本人にも馴染みが薄く、そのイスラムの過激な国としかイメージが浮かばない。旅行書を探しても無い。宝塚の図書館で手に入ったのは、NHKのペルシャの文化撮影紀行の本で、要するに「書道が盛ん」という事が解っただけだった。ん?
 そこでインターネット、夫の出番である。イランの大使館のホームページを開くと、なんと、あのホメイニ師が微笑んでいる!らしい。(見てみたいような、見るのが恐ろしいような、…)

 98年当時、以前から東京には、出稼ぎに来ているイラン人が多くいたそうだが、関西では聞かない。本当に未知なる国だった。後日談だが、英会話教師のアメリカ人が読んでいた英語の「デンジャラス・ゾーン」という本の中で、世界中の危険地域の一つに、あげられていた(アメリカ人にはね・・・、)。
 資料として役に立ったのは、夫がインターネットで探してきた紀行文一件。        この作者は、よほどペルシャ語ができるのか、個人で自在に旅を楽しんでいるのがうらやましい。旅行社の案内は、余りに乏しく(ツアーは初めての企画のようだったし、なんと言っても山登りがメインなので仕方ない)、欲しかった女性の服装、お土産などの情報が詳しくて、読み応えがあった。
 また当時、新聞をよく読むとちょこちょこ出ていた。簡単にいうと、保守派と改革派の政権の争いがあるらしい。ハタミ大統領は、上記のようなイメージを払拭させるべく、理知的に確実に穏やかにも、改革を推進させてきた。現在も、いろいろ大変そうだけど、99年は、ヨーロッパで大活躍。「文明の対話」を広げるべく、更なる活躍を期待したい。
 イランに行ったことのある人の話なども、ちらりと仕入れたりして、旅への期待、気合は高まっていくのだった。

気になる女性の服装

 何よりも心配なのは、イスラム教の女性達どうも、イランでは旅行者も当地の女性同様、顔以外の素肌と髪、体のラインを隠さねばならない。「女性のみ黒系のロングコート、スカーフ着用」とあるだけだったが、調べるにつけ、厳しそうに思えてくる。
 夏だし、どうしたモンかと悩んでいたところ、イズミヤで、インド製の涼しそうな黒のストレートラインのワンピースを手に入れた(1980円)。これに
薄地の黒パンツ、と義母から借りた黒のスカーフをまとえば、完璧なイスラム女性!?(写真参照)
 ただし、スカーフは、もっと風通しの良い生地で白(何色でも良いとあったので)のを一枚持つ。首で結ぶと暑いので、黒のヘアバンドでスカーフを押さえれば、首が開いて涼しい。この格好は、イラン人に「アラビア人みたい」と言われてしまうのだが。
 こんなにも完璧に万全にしていったので、当然、旅行者達からは浮いてしまった…。明らかに旅行者と分かるので、こんなに無理しなくて良かったみたい。みんな地味目のパンツ姿で、スカーフで髪を隠す位だった。テヘランであったドイツの団体旅行客もそうだった。(これも改革の成果かしら)
 また完璧になりきったつもりでも、私の姿はどう見ても日本人。すれ違うイラン人からは、アジア各地で大人気のテレビドラマ、「おしん」と呼ばれてしまうのだった。
 さて、ご当地の女性達は、「チャドル」とよばれる大きな一枚の服?布を頭からかぶり、体全体を覆う。色は深緑が多かったが、エンジ等他、様々で黒一色とは限らなかった。またチャドルの下は、何を着ても良いらしく、裾からはジーパンが覗く若い女性も多い。
 事実、このチャドルから、ちらりと覗く部分がおしゃれの見せ所で、若い女性達はブレスレット、アンクレット等に力をいれるらしい。また一歩家に入れば(家族、同性内では)、このチャドルを脱ぎ捨てて、自由な服装をしているとの事だ。
 チャドルは頭できちっと止められているので、脱ぎ着が大変そうで、だからか、一人一人トイレが長くて、大変待たされたのがちょっと迷惑だったな。

イスラムについて少し勉強したこと

 とにかく、だいたいの日本人は宗教に無頓着というか、無知である。私もそうだ。仏教でさえ、よくわからない。信じる信じないは別にして、知識だけでももう少し勉強しないと、世界で起こる事や人々を理解することは難しい。それに、あまりに無知であるから、怪しい新興宗教などの理論?に引っかかったりするのではないだろうか。もちろん、一概にはいえないけれども。
 宗教が分かり難い点の一つに、同じ宗教でも時を経て、沢山の宗派に分かれ、解釈が変わる点がある。仏教然り、キリスト教然り。更に宗派同士の争いもあったりして、ややこしい。当然、イスラムも然り、である。 だから、一部の派が起こす過激な部分だけを見て、全体を見てはいけない。
 専門家でない私個人が、変なことを言ってはいけないので、アジア大陸を旅行する上でも、非常に参考になる本を紹介しておく。これは、イランとネパールに旅行した後で、手に入れ読んだので、旅には間に合わず残念だったが、実際行って見て空気を感じたからこそ、理解しやすいし、勉強意欲も湧くというもの。だから、本当に偉そうには言えない…。
 潟gラベルジャーナル社発行、旅行講座PART2〔インド・イスラム文化編〕マホメットはなぜ、九人の妻をもてたのか 2060円
 さて、イスラムである。上記の本によると、イスラムとは唯一絶対の神アッラーに「帰依したてまつる」と言う意味で、単なる宗教の名前でない。マホメットを最終預言者とし、彼が伝えた神の啓示を記したものが、「コーラン」である。このコーランの教えを守る人達が、「ムスリム」であり、イスラームはその社会、文化全体を包み込む総合的な制度であり、共同体の名称であるらしい。
 おもしろいのは、コーランには
キリスト教の聖書を下敷きに書かれた記述がある。同じ話(エデンの園、蛇の誘惑、天地創造、ノアの箱舟他沢山)があり、イエスは預言者の一人としている点である。つまり、元もとの神は同じなんだけど、何事も時代地域背景で変わるのがごとく、このアラビア的なるものに即しつつ、別々の教えになったわけだ。
 イエスの教えを忘れ、聖母マリア像はじめ多数の聖人像を拝むようになったキリスト教徒らを批判し、元々の、同じくする基本的思想、唯一絶対神、偶像厳禁などを厳重に引き締めたのである。
 
7世紀初めに起こり、当時のアラビアの慣習を元に、改革を加えながら、発展していく。今は悪しき女性蔑視と思われる制約も、当時としては女性の地位改善として、改革された制約であり、他生活一般にわたるまでのいろいろ具体的すぎる条文があって、おもしろい。
 またイスラムの代表的宗派は、スンニー、シーア、ワッハビーの三派がある。
 イランの宗派であるシーア派は、元々はカリフと呼ばれる代表者(事実上最高権力者)の権力闘争から生また。その4代目(シーア派では初代)カリフ、アリー(マホメットの従弟、娘婿)の子孫を正当な後継者としているのがシーア派(アリーの党)である。
 結局アリーは退却したのだが、その子孫、後継者にペルシャ朝の皇女の血を受けているらしい話が、イランの民族意識に訴えたという。イランは周辺のアラブ部族とは異なり、アーリア系のペルシャ人(が多数)であり、イスラム以前は拝火教を信仰していた。イスラムの台頭によってペルシャ帝国は滅んだが、輝かしい美術工芸などの伝統があり、イスラム文化の担い手となるのであった。
 上記の本の受け売りなので、興味のある方、旅行される方は一読されることを願う。また詳しく知るには、この本はわかりやすくも観光的すぎるので、また機会を持って勉強していきたい。
 ちなみに、イランは、アフガニスタンを中心とするタリバーンとは、対立していて、その辺りの事情も複雑なので発言は差し控えたいが、だから「イスラムは危険」などという、固定観念だけは捨ててもらいたい。

 

その他お薦め

 この地域(アジア大陸)に興味を持つ女の子らに、言わずと知れた?神坂智子のマンガがきっかけになった人もいるのじゃないかしら。かなり古くはシルクロードシリーズ、今はマルコポーロの連載をしていて、アラブ独立運動のT・E・ロレンス、インド独立時のマハラジャの物語など多く、紀行マンガなども描かれていて、大変おもしろい。
 マンガの良い所は、歴史など勉強するとき、イメージを持ちやすいし、何より馴染み難い名称(人物、地名など)を憶えられる所だと思う。最近、少ーし勉強して、「あっどっかで聞いたことある」と言う言葉は、昔勉強しないでマンガばっかり読んでた成果?かもしれない。とにかくも、固有名詞が頭にあれば、情報(内容)は入りやすいんだなあ、と最近特に感じている。(もちろん史実と違う所もあるので、混同しないようにしたい)
 今、連載中のマルコポーロの頃、ペルシャがイスラムに変わり、更にタタール(元朝、モンゴル系)に支配されていた当時の事情が出ている通り、イランの歴史は、複雑だ。その後も、現在も、革命が起こってまだ数十年・…。
 その都度の文化があり、交流して、洗練され、形成発展していった独自の文化・芸術は、多くの美術、博物館に収められている。、イランに行った際には、ぜひ、その美しさ、多様性に触れて欲しい。

世界の名峰、デマバンドDamavand5671M

 我らが旅の目的は登山である。目指すは、イラン最高峰、デマバンド峰5671M.。通称「イラン富士」である。当然、この名は日本人が付けたに違いなく、日本が誇る富士山と同じく円錐型の美しい山容である。晴れた日には、首都テヘランからも眺めることが出来る点も、東京から富士の関係に似ているらしい。 
 詳しい資料がないので、日本人とイランの山の関係は言えないが、デマバンドには昭和40年のころから、ちょくちょく登っていたようだ。あの、エベレスト女性初登頂の田部井淳子さんも、帰りによって登ったとか…。その内の誰かが呼んだんでしょうねえ、イラン富士と。
 テヘランで「Mountains of Iran」,「IRAN IN THE FOUR SEASONS」の写真集を買ってきた。見たところ、4千M峰が十数座、3千M峰と続く中で、デマバンドは飛び抜けている。イラン人の誇りの山である。眺めて、容姿美しく、心に染みる、望郷の念というか、われ等の富士山への想いと同質の感嘆を抱かずにはいられない。また日本と同じ、登山の盛んなお国柄のようで、写真集には多くの登山者が登場している。
 他の山々も、高山部はどうしても荒涼としているが、それぞれに風情あり、可憐な高山植物あり、
谷筋は緑の木々や草原広がり、四季の自然に囲まれた美しい国である。イラン高原、ザグロス山脈、エルブール山脈と、山域は広大、砂漠地帯もあり、変化に富む。近頃、注目を集めるイラン映画でも、自然豊かな映像美となって、紹介されている。もちろん写真集の印刷も綺麗だ

 イラクとの戦争の間は、登山どころではなかっただろうが、その時期にイランを訪れた船尾修氏(キリマンジャロ登山のツアーリーダー、アフリカの山のエキスパート、著書多数。私、彼のファン)に、はがきを送ったら、「親切だったイラン人が、登山を楽しめるようになって、本当に嬉しい」とあって、私も嬉しい。

 登山は5千Mの高峰にもかかわらず、一般的には2、3日で往復できる。テヘランから車5−6時間くらいの登山口は標高2901M。初日は登り約4時間、4020Mのアタック小屋を目指す。二日目に登り約7時間、下り4時間で小屋に戻る。三日目に下山約2時間と、楽そうな行程である。若い少年グループや軍隊が登山に来ていて、小屋はごったかえしていて、人気のほどがうかがえた。(ただし女性はいなかった)
 また、この山は活火山である。頂上付近、硫黄ガスが噴出して、参った。詳しくは、登山記をお読みください。

高山病高所登山と高山病

 悲しいかな、日本には3776Mまでの山しかない。日本人には、未知の4000、5000Mを越すと、必ず高山病といわれる症状が出る。なんといっても、酸素の量が地上の半分、(8000Mになると1/3という)のだから、体にいいわけないよなあ・…。酸素が、頭にまわらなくなって、脳細胞が破壊されるのだ。主な症状は、頭痛、むくみ、消化不良など、これも個人差によるのだが、ひどくなると、肺や脳にに水が溜まり、悪くすると死ぬ人も出る。死ぬ前に、ただちに下るしかない。
 従って、ツアー会社の対策も出来ていて、事前に、肺活量の検査など特別な健康診断をさせていて、高所に不適でないか専門機関で調べてくれる。登山中は毎日、血液中の酸素濃度を機械で調べてくれるし、「ガモウパック」と呼ばれる装置(気圧を下げて酸素を取りこみやすくする?寝袋のような形、ひどくなると入れられる)も用意してある。だからと言って万全ではない。
 詳しくは素人の私が説明できないので、私の経験として書いておく。
 以前、キリマンジャロ(ギルマンズポイント5682M)に登ったとき、私は寒さにも弱くて、頭痛よりも冷えからの胃痛や下痢で辛かった。高所体験は初めてで、体調も悪かったし、今よりは体力も無かった。3・半日間をかけて1日1000Mずつ登り、1・半日で下る(計5日)、キリマンジャロ登山の厳しさである。

 そこへ行くと、ネパールのトレッキングツアーは停滞ばかりして、登山に13日もかけて5545M(カラパタール)を往復したから、楽だった。3度目だったし、寒さ対策(貼りつけカイロ)も万全、気力体力も充実していた。
 上記の通り、私の場合、経験から寒さ対策が必要だった。が、一般的には、深呼吸と、水分補給と利尿が大切とされている。体が高所に慣れるには、深呼吸で酸素を多く取りこみ、そして、どんどんお茶を飲んで出して、体内循環を良くするしかない。
 ネパールの時のツアーリ‐ダーは、「座って深呼吸」(寝ると良くない)を連呼し続けた。利尿剤も有効である。アルコール厳禁、食事は少なめ(せっかくの酸素が胃で使われてしまう)、ゆっくり行動すること他、注意事項をよく守ることだ。
 高山病に体力は関係ないが、登山を敢行する上では、やはり体力がないと話しにならない。特に、登頂日は登ってすぐ下るために、長時間歩行が予定されているはずだ。楽に、歩く為には、日ごろのトレーンングこそ必要だと思う。
 今回、デマバンドに行く為に、キリマンジャロの雪辱を拭うべく、ほとんど毎日運動していた。週2、3回は水泳で1500M以上は泳いでいた。この時の息継ぎのタイミングが、歩行時の深呼吸になり、登頂時は本当に元気でぴんぴんしていた。あの時、「こんなに楽に歩けるなら、トレーニングをずっと続けるわ!」と誓ったはずなのに…今は昔…。
 ここからが問題である。はしゃぎすぎたのが、いけなかった。ルンルン下るうちに、疲れが出てきたのか、深呼吸を忘れてしまったのか、にわかに体が重くなり、頭痛に襲われたのである。下れば高山病は治るはずなのに。いや、高山病になってなかったのだから、治りようがない。なってしまったのだ!皆さん、下りにも注意しまししょう。 

旅の行程と案内

 今更ですが無事、ツアーは決定された。メンバー7名とリーダー1名。行程は下記の通り。ツアー会社でビザもとってもらっているので、詳しい手続きなどはわかりません。もらったごく簡単なインフォメーションも、スキャンしておきますので、ご参照下さい。

8DAYS IN IRAN---1998年8月13日−20日<デマバンド5671m登頂 8日間>
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