山の作曲家、近藤浩平

ミャーたんのトンボー

文章    ミャータンのなわばり  ミャーたんの居場所  ミャーたんの隠れ場

 ミャーは私が高校3年の時にあらわれた。家のそばの溝のところに捨てられていた子猫であった。
以前チロという犬を飼っていたが、その後は動物は飼っていなかった。
父はもともと猫嫌いで、猫を見ると物を投げて追い払う口で、拾って飼う訳にもいかないから拾うわけにはいかないと言ったのだが、子猫はまだ小さく、そのままほっておけばきっと死んでしまうだろうというほどで、家の前でなきつづけるのを見かねて、ひとまずミルクをやって延命し飼い主を探すなりしてみようという私の主張を受け入れた。
子猫はまだごく小さく、ちょんと「ニャー、ニャー」とはなけず「ぎゃぼ、ぎゃぼ」と不器用にかすれ声を出すので「ぎゃぼちゃん」と呼んだ。
ちょうどミャーが現われてから数日後、私は中央アルプス縦走に出かけ、帰宅して、ミャーたんの状態についての会話をしたことをおぼろげに記憶している。山行きの日付からすれば1983年の7月、高校3年の年であったはずだ。
ずっとうちで飼おうと決めたわけではなく「ねこ」「ぎゃぼたん」「みゃーたん」と呼び名は一定しないままであった。
 当初、猫嫌いを自認していた父が結局、「ねこかわいがり」するようになり、いつからか飼い主になる人を探すとか捨てるとかいった会話はなくなり我が家の一員となった。
 ミャーたんは捨て猫であったが、不思議と育ちの良い行儀のよい猫で、家のなかで用を足すといったことは一切なかった。家の中でしばらくいると、ドアを開けるのを待って我慢しているそわそわした様子がすぐわかる。
 特別しつけたわけではないのだが、テーブルの上の食べ物をかっさらったりするような真似は全然しない猫であった。テーブルなどに乗ってはいけないということが最初から躾られているかのようであった。
 テーブルの上のものに興味をそそられると、遠慮がちに体をにばして覗きこみテーブルの端に前足をのばすのであった。数回、テーブルの上に登りかけたことがあるが、おそるおそるこっそり悪いとわかっていながらといった様子で、気づくとあわてて降りるのだった。
 ミャーたんは不思議と洋風な好みの猫で、猫飯は好みではなかった。パン、チーズなどは好物であったが、パンについてはそのへんのスーパーやコンビニで売っているようなものでは満足せず、阪神間の一流ベーカリーの焼いた当日のパンしか気に入らないという贅沢な味覚をもっていた。
 当然、猫であるから魚介類は好物であり、「朝の魚屋」の新鮮な魚が好物であった。
新鮮な魚や肉をぶらさげると、2本足で結構歩き、目が真中によるのであった。イカの魔力は特に強いようなので、イカのかわりにちょっと形の似た「寒天」を食べさせると、これが結構喜んで食べるのだということは発見であった。
 マタタビを与えると、一旦は何の反応もなく無視するかのようなのだが、直後に突然へなへなと奇妙な動きを一瞬してまたなにごともなかったかのようにもとに戻る。
 カマボコは食べるが、別寅よりも紀文が好みのようだ。
 ミャーたんは、成長すると時たまスズメをつかまえるようになった。たまに捕まえると見せびらかしに来るのはうれしくないが、当猫としは自慢したいのだろう。捕まえたからにはちゃんと食べてほしいのだが、ほったらかしになるときもある。
 ミャーたんは、台所の引き戸を器用に前足で開けて入ってくる。冬など、部屋が妙にスコスコ寒くなったかと思ったら入ってきているのだった。いくら開けたら閉めろといってもそれは出来ないようだ。
 外から部屋の中へ入りたいときはドアの外でかりかり音をさせたりしながらじっと待っている。部屋から外に出たくなったときはドアの前でドアの方を向いて(我々には背をむけて)、じっと座っている。
 ミャーたんは部屋の中では安心して仰向けになって寝る。足で腹をさわったり、すぐ傍をずたずた歩いてもまったく安心しきっている。あおむけにして足をさすって「のびた、のびた」をすると全く無防備に体を伸ばす。
 ミャーたんは、普通の猫同様丸くなって寝ることもあるがその時でも、しばしば顔だけがあお向けになっている。あごの下が真っ白な柔らかい毛で、ちょっとカエルのようである。寝ていると口元がゆるんでいて何か寝言をつぶやいているかのように動くときがあるのが可愛い。
 ミャーたんは冬は車の下が好きである。夏の暑いときはひんやり鉄のマンホールの上が好きである。
 ミャーたんのハイウエイは隣りとの間のブロック塀の上である。塀の上を行き来しているのがさぞ、お隣の庭からよく見えただろう。
隣りの庭も縄張りとしていたようだ。後になってわかったのだが、ミャーたんが捨てられていたのを隣りも気づいていたようだが結局、うちが拾ったので一件落着という次第だったようだ。
お向いなどあちこちで愛想振り撒いていたようだ。
冬は部屋の中も床の上は寒いので、ソファやイスの上が好きである。部屋の中で最も快適な温度の場所を確保する。
 ミャーたんは雌猫であるから、避妊をした。みかんの網袋に入れて連れていくものらしいがそんなことは知らなかったのでダンボール箱か何かに苦労して入れたように思う。
 ミャーたんは柑橘類が嫌いである。目の前でみかんやはっさく、レモンなどを食べるとちかちかするのか、むこうへ行ってしまう。柑橘類の皮を近くに置かれるだけでも嫌らしい。
 ミャーたんは女性の来客は大好きであり喜んで現われるが、「おっちゃん」は苦手なようだ。改築で大工さんが来たときはおおいに警戒した。
 甥と姪がやってきて、ちょっかいを出すのだが、ミャーたんは平然として抵抗しない。悠然と腹を見せてねる。
 ミャーたんは、風邪をひいたのか非常に衰弱して何も食べない危機的状態を2度ほど経験しているが、父が蜂蜜などを無理やり口に入れるなどして回復させた。
 近所の黒猫にかなり縄張りを侵されることがしばしばあり、猫小屋の食べ物を横取りされることが晩年になるにつれ多くなった、ケンカをして耳に大怪我をしたことがある。
 私が5年ほど転勤で実家から離れていた間は、ミャーたんに会う回数が減ったが、やはり長い期間があいた時は、最初ほんのちょっと思い出す時間が要るのか違和感をもつようだ。
 地震の時は相当ショックを受けたようだ。
 ミャーたんは、今年、2000年になっても元気であったが、さすがに老猫となり、やはり一時の元気な勢いはなくなった。それでも、毛並みも目も美しいままで、見かけは老いた感じはなかった。
9月になって数日姿を見せないということがあり、またふらふらと戻ってきたが、もう、ホタテの生の貝柱以外には何も口にできなくなった。この頃、実家に立ち寄った際に猫小屋にいるのを見たのが私は最後になったが、一見したところそれほど弱っているようには見えなかった。また数日間姿を消し、とうとういなくなったと思っていたところ、母がいる台所にふと現われた。ちょうど出かける寸前で、あら、こんな所にいるじゃないと思いながらもすぐにはかまってやれず、落ち着いてから構ってやろうともう一度見ると、もう姿はなく、呼んでも現われなかったという。
最期にもう一度お別れを言いにやってきたのだろうに、忙しくて構ってやらなかったのがとても残念と母は言う。
2000年9月15日のこの時を最後にミャーは姿を消してしまった。
17年家に居たのだから長生きだろう。
猫は最期は姿を消すというが、本当であった。家の周辺、あちこち見て回ったがついに見つからなかった。
2000年10月30日記
近藤浩平

お向かいさんが寄せてくださったミャーたん追悼の五句

























































































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