20世紀の100名曲 作曲家別リストへ戻る

ルイージ・ダラピッコラ(ダッラピッコラ)
Luigi Dallapiccola  
(1904−1975イタリア)

ダラピッコラの代表作である2つのオペラ「囚われ人」「夜間飛行」が、2000年3月24,26日に大阪音楽大学ザ・カレッジ・オペラハウスで上演され、私は26日の公演に接することができた。
1幕のオペラ「囚われ人」は1944年から1948年に書かれた。
この日の公演プログラムの高橋浩子氏の解説を引用すると、「13歳の時ダッラピッコラはオーストリア政府によって一家ともどもグラーツに強制移住させられ」「15歳の時に、スペインの専制君主フェリペ2世を描いたユゴーの詩に出会い、ダッラピッコラ少年はフェリペ2世に自分たちを強制移住させたカール・フォン・ハプスブルグの姿を重ね合わせ、さらにヒトラーやムッソリーニにそのイメージを重ねたのである。ナチスの思想と侵略行為、狂信的な人種差別、それに同調したムッソリーニの政策は、ダッラピッコラの生活を直接脅かすものとなった。彼の妻はユダヤ人であったため、ダッラピッコラも一時は隠れ家に潜む生活を余儀なくされたという。」
 「囚われ人」の舞台は、1570年の宗教裁判所の地下牢。母親との最後の面会の後、看守は、「兄弟よ」と囚人に語りかけ、政治状況の変化のつくりばなしをして、自由への希望をいだかせ、脱獄の手引きをするかのように独房の扉の鍵をはずす。自由への希望をいだいて脱出をはかった囚人は、庭にたどりつき野外の空気に自由を確信し、アレルヤを唱え神による自由への救済を賛美する。しかし、そこで待ち構えていたのは、先の看守の「兄弟よ」という声。彼に希望をもたせた看守こそが異端宗教裁判官であり、「つまるところ囚人は彼の陰湿な心に翻弄され、希望という最も残酷な拷問を受けたことを悟るのだった」(高橋氏の解説)
囚人の最後の問いは「自由?」。
 このオペラに接し、私の頭には「権力は甘美な言葉で語りかける」「宗教はアヘンだ」「全体主義は一種の宗教だという3つの言葉がぐるぐると回った。
このオペラは12音による作曲法を基本とした様式で書かれているが、調性的な部分を多く含んでいる。
無調調性的要素が同居する劇的作品の多くで典型的な手法は、調性的な要素「人間的な」「感情的な」あるいは「平和で安穏な世界」または「回帰すべき故郷・伝統」「優しく包み込むような愛」「居心地よい場所」「連帯感」「生命」といったもののシンボルとし、無調の部分を「不安」「恐怖」「未知」「不気味」「孤独」「威嚇」「非人間的」「冷たい空間」「人工的」「死」といったものを描くものとするものである。
 ベルクのヴァイオリン協奏曲では、調性的なバッハのコラールが最後に救済のようにあらわれる。原嘉寿子のオペラ「脳死を越えて」においても終幕には美しい調性的なアリアに至る。R.シュトラウスは恐怖と緊張に満ちた「エレクトラ」で無調に近づきながら後の作品でノスタルジーをもって調性的な世界に戻っていく。バルトークの「弦楽器と打楽器とチェレスタのための音楽」などの作品の最終楽章はなぜか突如、調性的なあるいは全音階的なものになる。シュニトケの多様式も、本人の意図は単純ではないとはいえ、聴衆に心地よい調性的なものと驚きと緊張をもたらす無調的なものがせめぎあうように聴くことができる。ヤーコブ・ドラックマンの多様式もノスタルジックな調性的素材と斬新で未知な音響の組み合わせである。武満徹の音楽でさえ、後期の作品において調性的な響きがいわば回帰すべき故郷のようにあらわれる。
映画音楽でいえば、「2001年宇宙の旅」においては人間の故郷の音楽である調性的なワルツに対し、モノリスとともにあらわれるジョルジ・リゲティの無調的音楽が「未知」なものの響きを象徴している。もっと単純な例でいえば「B級恐怖映画」の恐怖の場面に、無調の威嚇的リズムの音楽がついてくるという常套手段もある。
大多数の聴衆にとって調性の響きは快く、無調は未知で不安な音響と受け取られることから、聴衆の心理を考えた劇的演出として、ごくまっとうな使い分けといえるだろう。
 ところが、ダラピッコラ「囚われ人」では、自由を求める主人公の囚人はほぼ無調的であるのに対し、残酷な不条理を強いる権力である看守は調性的な甘美な声で話しかけ、伝統的拍節感をもったリズムで、自由への希望を盛り上げる。宗教権力は甘美な言葉で語りかけるのだ。
 「囚われ人」での権力は「異端審問」という宗教的権威である。看守は最後に法衣を着て宗教裁判官として登場する。
宗教における「異端審問」とは、宗教権力が正当と認める「一つの価値」「神と名づけられたイメージ、神の解釈」への帰依を求めるものだ。全体主義(ファシズム)「一つの価値=(国家、イデオロギー)」への帰依を要求するものという点で同様の構造をもっている。「神」「国家」「イデオロギー」に置き換わったものだ。ソビエト型共産主義では「イデオロギー」と「指導者」が神格化され、異端審問が生まれた。
「国家」が「人間生活に必要な社会的機能としての道具」としての意味を超え、「尊ぶべき一つの価値」としていわば信仰の対象として強要されるものを「国家主義=(全体主義=ファシズム)」というと私はとらえている。
しばしば忘れられがちになる事であるが、「全体主義国家」の国民の大多数は、「全体主義的価値」を不快とは思っていない。むしろ、社会の一体感、同質性への安心感を感じ、集団的高揚感の中で「快感」さえ覚える。
ムッソリーニの時代のイタリアにおいて、多くの音楽家は、強い抑圧を自覚していたとはいえない。カセルラオペラ「征服された砂漠」をムッソリーニに献呈し、レスピーギマリピエロ、ピツェッティ等、政治的立場の明確でない作曲家達も、この時代「イタリア人」としてむしろ国家的高揚感をもっていた節がある。かのウェ―ベルンでさえ、ナチスにある種の希望を感じていたという。日本においても、戦前から戦中にかけ、国家主義とともに日本の作曲が奨励され民族主義的作風の作曲家はいくつかの恩恵を受けた場面がある。
 甘美で心地よい歌を起立して共に歌う一体感は、個人として疑問をいだかなければ集団の一員としての充実感と高揚感をもたらす。大多数の支持する「価値観」を推進することは多くの人の利益に一致する。「価値観」共有「正しい道徳」として耳障りよく権力によって語られるものである。
 ダラピッコラが、権力である看守=宗教裁判官を、耳に快い調性的な響きで語らせているのは、このことを警告しているようにも思われる。

 第2次大戦後ドイツやイタリアの作曲家は、伝統的調性を非常に忌避した。このことには、西洋の調性音楽の響きからの社会的・文化的な連想の希薄な日本人には実感しにくい意味があるように思われる。
 ドイツやイタリアの作曲家にとって、敗戦は戦前の価値観の崩壊であった。ファシズムの時代に奨励された音楽=ワーグナーやブルックナーなど発達した調性音楽は、否定された戦前の価値観に結びつくものとして忌まわしいものに感じられ懐疑的に見られた。
ダラピッコラ甘美な調性と盛り上がる拍節感に「残酷な権力」としての意味をもたせたのもこういった時代背景があるからではないだろうか。
 現代ロシアの作曲家が、調性的で平明なスタイル=(社会主義リアリズムとして認められた様式)を、いわばソヴィエト時代の音楽的価値観として忌避し、西欧の前衛や非西洋的な音楽に強い関心を向けるのも似た構図といえるだろう。
日本でも、戦前ー戦中の音楽のある部分、例えば山田耕筰橋本国彦信時潔のこの時期の音楽は、語られることも演奏されることも稀だ。さすがに交響詩「神風」や「海道東征」がとりあげづらいのは、もちろんだが、いわゆる民族主義的様式(伊福部昭、清瀬保二など)も少々「うさんくさい存在」として割を食うこととなった。
 一方、アメリカ合衆国イギリスでは、このような価値観の喪失が起こらず、戦後も調性が激しく忌避されることなく、いわゆる保守的なスタイルの作曲家が立場を守ったといえる。たとえば、ロイ・ハリスクレストン、バーバー、ヴォーン=ウィリアムス、ブリテンなどである。英米で旧来の価値観が動揺するのはベトナム戦争時である。
 20世紀後半ドイツ・イタリアのシリアスな音楽は、聴衆の喜ぶ調性を、過去の価値観とつながるものとして避け。ダラピッコラ最高の声楽的メロディの作者でありながら、12音による作曲技法をとり、「調性」に対して一種の「距離感」「客観的視線」を保とうとした

 この日「囚われ人」のあと、上演されたダラピッコラの美しいもう一つのオペラ「夜間飛行」1937−1939年の作品。仕事という「価値」を追い求め、美しい犠牲を払いながらもつきすすむロマンが歌われる。音楽としてのこのオペラの美しさは、聴衆と恍惚とさせるほどのものだ。とくに、厳しい自然と対峙させられた人間の心理と畏怖を音楽によってここまで描ききったものを私は他に知らない。通信技師が伝える操縦士ファビアンの最期の体験は、壮絶な美しさだ。高度5000mの場所の空気と青く黒い空間を伝える音楽、私は高度5000mの所を歩いたことがあり、また突如敵意を剥き出しにしはじめたかのように天候が急変する雪山も少し垣間見たことがあるが、まさにその時の畏怖感を思い起こさせる音楽だった。
 サン=テグジュペリ原作の台本は劇的に申し分ない。しかし、1939年の完成から、1944年の「囚われ人」着手までの5年は大きい。ある「価値」の追求のための「美しい犠牲」、「未来」を信じてつきすすむ「男のロマン」を、もはや5年後にはダラピッコラは、これほど屈託なく描くことはできなかったのではないだろうか。
2000年3月27日
近藤浩平 記


20世紀の100名曲 作曲家別リストへ戻る

山の作曲家、近藤浩平のページ トップページへ戻る