雨降りしきる表銀座縦走
何故?降りしきる雨の中、傘さして一ノ沢を登る。中房へは昨晩の豪雨の為に道が閉ざされ、穂高の駅で呆然とする私達と、北鎌尾根を登りにきた男性とで、仕方がないので常念を目指したのだ。雨具を着ると暑苦しいので傘にしたら、後で肩がとても凝った。
この道は、前回2時間ほどで駆け下ったことがあり、登りも3時間位、「?」ながらも楽な道だ。常念小屋は広くて居心地の良い食堂あり図書も揃い、好きな所である。今回気に入ったのは、強力な乾燥室だ。すごい勢いで服や靴が乾いていく!
さて、翌朝も雨の中、大天井経由して燕山荘まで歩く。そう、昨日の予定が一日遅れ、何故か?常念経由で予定の餓鬼岳を目指したのだ。
常念〜大天井岳の間は二人共初めて、展望ないがコマクサがいっぱい、猿の群れも見る。「会うのは雷鳥と猿ばかり」とこぼす登山者ともすれ違う。雷鳥は羽は黒い夏毛だが、足だけは白いので斜面をよたよた登っていく姿は股引きを履いたおやじのようだった。
朝8時半頃、客のいない大天荘のロビ−にスト−ブが点いていたので休み、雨具を乾かす。1時間半位休んですっかり乾いた雨具を着て出発する。乾くと撥水力が回復するし、濡れた服を再び着るのほど心地悪いものはない。北アルプスならではの技なのだ!ああ、快適!!
雨も霧雨くらいになって、コマクサ他のお花達、燕岳と同じ花崗岩の白い岩肌続く表銀座の平坦な主道を、2時間も歩けば人気の燕山荘に着く。中房への道が開通したらしく、空いてないのは残念だったが、昨晩は「50人位で閑散としてた」との事。
持て余す時間にケ−キを食べたり、本を読んで過ごす。雨が上がった夕方、正面の有明山が雲間に覗き、白砂の稜線に美しい御影石の濃灰色の岩群が尖立し、やっと燕岳がそびえ見えたのだ。ブロッケンに喜ぶ人々、槍が出てくるのを待つ撮影隊(結局、出なかった)で小屋前は華やいだ。
恒例の小屋オ−ナ−によるアルプスホルンの演奏会は、実は初心登山者向けの講演会で、何故ゴミを持ち帰らなければいけないか(キツネが上がってきて雷鳥が全滅した話、合戦小屋のスイカに味をしめた熊の話)、登山道をそれてはいけないか(踏み後が道となり雨を集めて地肌を浸食する、コマクサの種が定着しない)、高山での初日の過ごし方(着いてすぐ寝ない、アルコ-ルを飲み過ぎない)、簡単ストレッチ、トレ−ニング方法等々、懇切丁寧分かり易くお話ししてくれる。そんな地道な教育努力が実ってか、雷鳥も戻り、何よりもコマクサの復活は見事!である。まるで栽培養殖!?しているのではないだろうかと、疑ってしまう。
次の朝越えた北燕岳は特に、斜面が正に「ピンクに染まる」。しかしまた雨は降る。
東沢乗越へは「ここは南アルプスか!?」と、思う程ど−んと下って行く。最低鞍部から登り返す道は、きれいに刈り払われ、東沢岳へは以外に早くて助かった。
山頂は静かな良い所だ。雨も上がり、東餓鬼岳へ草原の尾根を張り出し(道はないが歩きやすそう)、行く手に剣ズリの岩峰が槍のごとくそそり立つ。餓鬼岳からやってくる登山者(合計たった7人!)ともすれ違う。青空も広がる。
標高やや低いだけに、この緑の山稜は、燕稜線の白砂はないが、同じ様な岩峰が立ち並ぶのだ。その間を縫って樹林帯に潜ったり岩に取り付いたり梯子を伝ったり、やっとの晴天に私達はゆっくり喜び楽んで進んだので、小屋が少し遠かった。
そこから5分の餓鬼岳、静かな山頂を二人で独占する。だが、燕岳やより高い峰々には、ず−っと雲が張りついていて望めなかった。
小屋にいた数人は全てスタッフ(4人)で、客はなんと私達二人だけ。隣の燕山荘とは大違い!小屋には本もなく(薪付け用雑誌はあった)、山の自慢話しあう相手もなしで寂しい。広−い部屋に二人きり、夕食はちらし寿司とお吸い物で美味しい。けど、人の残したおかずまで頂く、大食漢の私達には、たっ足りないよ…。
後で外で夕陽を見ながら、フリ-ズ雑炊など作って食べていたら、蚊の襲撃に遭った。低いだけに、虫が多いのよね。
翌日唐沢岳を往復して下る予定は、管理人に止められてしまい(軟弱そうに見えたかな)、夫一人でひとっ走り行ってきてもらうことにした。唐沢へは往復5時間20分、上り下り多く、その後白沢へ下りも急で4−5時間かかる。初日に中房に入れたら、ここに連泊して私も行ったのに…。
雲一つない快晴の朝、夫を送った後、槍の穂先が赤く染まったのを小屋前の樹の間から見た。私も急いで餓鬼岳山頂に登ると、夫の咆哮が響くのだった(私が見えたらしい)。
山々は、昨日までのべ−ルを剥して存在し、朝日に嬉々と輝く。正面の北燕の上から槍ガ岳が突出し、その奥手に笠ガ岳、対岸の大きな野口五郎の尾根奥に薬師の一部、立山、剱、針ノ木ら近く、鹿島槍目立つ。頸城の山塊、浅間山、八ヶ岳、富士山、南アルプス…、夫がいたら、総ての峰の名前を言い当てることだろう。
楽しそうな彼の咆哮が何度も聞こえる。きっとすぐ帰ってくるだろうから、良さそうな眼前のピ−ク迄、私も往復しておこう。道に転がる礫石らが角張ったままなのも、歩く人の少なさを証明し、道真ん中にもコマクサが咲くからうっかり出来ない。
唐沢岳への道も山も、人の手垢なく、ワイルドでダイナミックだったようだ。山頂は大岩で、その展望は燕岳が横にどくので槍北鎌尾根が正面に立ち、他の北ア主要峰らがより近く迫力あって見えるそうだ。
また彼の咆哮が聞こえ始め、餓鬼のコブで踊る彼の姿を発見する。 結局3時間半(30分は山頂で休む)で、誇らしげに戻ってきた。止めた人の鼻を明かしたのだ。小屋ノ−トにもそのことを記して、餓鬼の頂きで寝ていた私を呼びに来る。
そして9時半頃、小屋を後にした。下りはやはり急だったけど、もっと長くて辛い所は他にも沢山ある。整備行き届き、樹林は綺麗だし、立派な滝もあり、変化富む下り
だったが、登ってくる人はいなかった。
大阪から帰りの阪急電車の中、私の緑のザックに山からついてきたらしい、緑の尺取り虫が右往左往してたので、そっと捕まえて、家の近くの森に放した。彼の天寿が完うされることを祈りたい。
<行程>8/15新大阪ー名古屋→松本→穂高ータクシ-→一ノ沢→歩…→常念小屋<泊>
/16…歩→表銀座縦走…大天井岳…燕山荘<泊>
/17…歩→北燕岳…東沢岳…剣ズリ…餓鬼岳往復、小屋<泊>
/18…(夫のみ唐沢岳往復)→白沢、タクシ-→大町→名古屋→新大阪