鳥海山にて
●岩木山 1625m●八甲田山 1584m(大岳)●八幡平 1613m●岩手山 2039m●早池峰 1917m●鳥海山 2236m(新山)●月山 1984m●朝日岳 1870m
深田久弥氏の名著「日本百名山」は、空前のブ−ムを呼び、猫も杓子も踊り踊らされ、その体験談などの本は巷にあふれかえっている今日、杓子の私なぞが何をか語らんであるが、私の青春を賭けた山への情熱の原点となったこの「百名山」を自分なりに整理してみたい。
深田久弥氏の名前も知らずその本も「眠い」だけで読み取る力もなく、山の知識や深い洞察力もなくただただ素人だった私が、楽しいだけで夢中で登り始め、一山毎に経験を積み少し自信を深めることができた。踊る阿呆にもそれなりの価値はある。初めから玄人の人はいない。目標を持つのは良いことだと思う。どのような形で山を楽しもうとそれは自由だ。しかしながら、人様に読んでいただくのに、余りに稚拙では申し訳なくも仕方なく、ご不満もあるでしょうが、お許しいただきたい。
それは旅から始まった、東北の思い出深き一人旅たち
まさに「踊る阿呆」化すべく青森ねぶた祭りにやって来た。前年は祭りで大暴れ、跳ねすぎて膝を痛めてしまい、登山に非常な支障を来したので、この年はどちらも穏やかに過ごしたい。バスとリフトを乗り継ぎ九合目までズルさせてもらう。
途中から見受けた山はなるほど津軽富士の秀麗なスマ−トな形をして、津軽の花桜の頃、もう一度拝んでみたいと思ったものだ。98年GW近く迄来たとき、異常に雪の無い年で桜も散り、思い描いた姿とは違った。しかし98年白神山から見た朝陽に浮かぶ姿形はやはり美しい。
頂上は急な岩礫でなっており、この日は晴れ霞で、ぼんやりと周りの山々や日本海の海岸線が見えただけだ。下山は百沢コ−スを下るとミチノクコザクラがそこかしら咲き、可愛らしい。 樹林帯に入ると一人で、何となく荒れた道で無気味に感じ急いで岩木山神社に下山した。
1999年8月再登、近藤夫妻の山旅[いずこの山もそれぞれ」記録参照
NZでの就職先、コロミコトレックのツア−に一人参加。集合場所の酸ヶ湯は千人風呂で有名だが、完全男女混浴で、初めて入った時、ショックの余り硬直して、石鹸等の手荷物をほりだして裸のまま、脱衣場へ逃げ帰った。23歳のうら若き?乙女の頃…。その後は何度も入っている。
9月は台風シ−ズンで天気が悪いのだがそんなこと考えもしたことがなかった。雲行き悪く、メンバ−はベテランぞろいの20人くらい。かたや私は、富士山に一度登っただけの、ど素人だった。
酸ヶ湯からこれが人の歩く道か!と思いながら必死で付いていくが、雨もあり何度も滑って転んで置いていかれる。景色を楽しむ余裕などあるはずがない。何となく紅葉していた気がするし、仙人岱で休んだ記憶もある。
高田大岳を往復した後、ガスで白い八甲田大岳で記念写真を撮り、毛無岱へ下る。
ちょうど陽が差し込んできて、眼下に広がる紅葉したその湿原が鮮やかに輝いて非常に感激した。毛無岱は沢山の池塘が点在した高層湿原(岱、田代)で素晴らしく、八甲田山中の岱の中でも規模は大きいだろう。他にも沢山ある。
こうした高層湿原は、東北や上越の山の特徴である。以後、(といってもだいぶ後のことであるが)私の最も愛する山域となった。そして特に秋の頃が好ましい。
翌日、大雨の中、早朝猿倉温泉から櫛ガ峰を目指す。道は細く急で水が溢れ川となり背丈以上の笹を漕ぎながら進む。おそらく駒ヶ岳で引返したと思うけど、一人動けなくなったおじいちゃんに付いていたので、下山は夜9時頃。ツア−のお客さんにはいろんな人がいるし、一応社員と思われていたので仕方がない。
それにしても初めての登山でこんな経験をしてよくもこれから先続けられたものと今でも感心するばかりだ。
1999年8月再登、近藤夫妻の山旅[いずこの山もそれぞれ」記録参照
十和田湖で上記ツア−と別れ、観光のつもりで一人向かう。るるぶを片手に、頂上までバスで行く。
黄金色に輝く広大な湿原が緩やかに傾斜し、その向こうの濃緑のアオモリトドマツ等の林との対比は鮮やかで美しくただ感動するばかり。八幡沼他、池塘は青空を写し、気持ちのいいことこのうえない。源太森から茶臼岳に向かう。
エメラルドグリ−ンの笹の海に点在する紅や黄色の樹々や濃緑のアオモリトドマツら針葉樹、白いダケカンバ。このような景色は今まで見たことが無く、今思えば、那須などに感じる洗練された森とは、これに相通じるものがある。が、もちろんその時は、何にも名前さえも知らず、眼前の岩手山さえをも知らず、喜んでいたのだった。
平ヶ岳の頂上で幕営したとき、隣人だったのが彦根にお住まいのK夫妻で、この縁で何度か同行させていただく。この山も、彼らの車セコビッチ号に乗って、えんえんやってきた。前日は、名物わんこ蕎麦を食べたり、名湯花巻温泉に寄ったりと、車、多人数ならではの旅だ。
岩手山は南部富士と呼ばれ、活火山でこの翌年噴火して一部登山禁止になった。いかにも火山らしい砂礫帯や熔岩もあり、かと思えば高層湿原に湖あり樹林帯ありと変化に富んだ山で、登山口網張温泉は露天風呂もありただで楽しめる。 さて、リフトに乗って犬倉山に上がると、なだらかに続く八幡平が広い。黒倉山では大地獄谷と湖の眺めが良く、緑の笹と白いダケカンバの斜面が美しい。この谷は硫黄色をしているが沢の水は冷たい。
木道のある小さな湿原から小さく神秘的な御釜湖と御苗代湖を往復する。この辺りの森も静かで綺麗な場所だ。やがて熔岩で出来た巨奇岩帯の鬼が城に出て火山砂礫の急坂を登り切ると頂上だ。
盛岡北部の平野が見渡せ、お鉢周りの中心火口が黒々として迫力ある。所々黄葉した草が生き物のように見え、おもしろい。名残惜しみつつ、がれて急な御神楽坂を下ると若干紅葉した林に出て道に突き当たる。すぐ居たタクシ−に乗り網張に戻ったのだ。 今年の紅葉が悪いのかと聞くと、(事実紅葉不発の年だった)この辺は色が悪く、色彩が素晴らしいのはあの八幡平や秋田駒の辺りとの事。
翌日は天気が悪く、早池峰をあきらめ南下する。美味しい元祖喜多方ラ−メンを食べ、磐越に入り只見の温泉に寄る。そして何故か、その翌日は志賀高原の笠ガ岳に登ったのであった。
お花で有名なこの山だが、どこでも花は7月が良い。だからか、この時それ程のお花畑とも思われなかっし、東北の山は派手な花畑が多い。有名なウスユキソウなど、地味な花は目立たないのだ。もちろん、見る目のない私であったが。
樹林帯を抜け巨岩が累積する山頂に続く山稜はハイマツ等の緑の原が明るく広がり、所々小さな黄色や白い花が咲いていた。頂きは、早池峰神社奥宮の祠があり、西には気持ち良さそうな緑の尾根が続き、正面は黒々するような深緑の薬師岳が立派だ。巨岩群の一つに腰掛け、お昼をとり、葉書を書いたり、横になり青空を見上げて時を過ごした。こんな時間が好いのよね。下山は岩地の急坂で恐々下るとコメガモリ沢で、水の音を聞いて歩くのは気持ちがいい。
河原坊でバスを待ちながら、関西から来てたおじさんと、東北の山ピ−クハント談義に花を咲かせたのだ。
「♪あの日あの時あの場所で君に逢えなかったら〜」の記念すべき山である。
前日より降り続く雨風に吹かれ怖じけづいた私は、経験者っぽいおじさんにお願いしてご一緒してもらう。一面のガスで何も見えず、ほうほうの態でたどり着いた小屋は、二百人の予約が二十人程度の人だった。しぶい親父ばかりの中、こんな可愛子ちゃんが目立たぬはずはない!?二人で来ていた現夫とその友人は翌日の同行動の約束を取り付けたのだ。
翌日は雨が上がり、火山の岩間を抜って山頂に立つと荘厳なご来光を拝み、雲海の切れ間から覗く日本海と緩やかに孤を描く男鹿半島が美しい。凍りついた雪渓を横切る時、二人(主に夫)が真剣にキックステップで道を作ってくれている間、私は無邪気にも写真撮り撮りして遊んでいた。青空も時々広がり、白い残雪とみずみずしい緑の稜線に、沢山の鮮やかな花が咲き乱れ、本当に美しい。
鳥ノ海と呼ばれる火山湖は残雪を残し、神秘に湛えている。休んで昼食を食べた。歩き出した頃、ガスにまかれて視界がなくなるが、慌てず騒がず冷静な彼の判断により、道を見失うことはなかった。尊敬。御浜神社周辺はニッコウキスゲの大群落だ。こんなに大規模だったのは、翌日の秋田駒ヶ岳で以外ではお目にかかったことが無い。秋田駒のそれは、青い田沢湖が背景でまた素晴らしいのだ。時期も良かったのだろう。
賽ノ河原付近で、彼は雪渓の雪に蜂蜜をかけたかき氷も作ってくれた。何もかも初めての体験で感激しまくったのは言うまでもない。鉾立のバス停で、下山のビ−ルを乾杯。(それまで彼らは下山のビールを飲むことがなかったらしい…)
翌日は私が昨々日登った月山に向かうらしく、私は秋田へと別れたのだが、必死に手を振る私が印象的だったそうな。
後年、この山を飛行機から見下ろした時いつも、その姿麗しく、「円錐型の優美な裾野を日本海に降ろしている」だ。眺めても、登っても、良い山の代表格だろう。
この年の一月にハイキングの会「ユ−トピア」に入会したのだ。「日本百名山」いうのがあると教えてもらったのは会員のU氏からだった。この頃は行けるとは思っていなかったが、青森ねぶた祭りに向かう途中で、私でも行ける山としてこの月山、鳥海山、秋田駒ヶ岳を選んだのだ。
初めて一人で出かける私は、鶴岡の駅で大きな荷物の人達とは違うバスで不安だった。後から聞いた話によると、月山は死者が登る山らしい。なるほど白装束の団体さんが沢山登っていく。修験者のいでたちなのだろうが、天気も悪く不気味だった。
バス停の店先で、「一緒に行こう」と誘ってくれた人たちも、いきなり登山口で迷うものだから、不安にかられ早々に別れて、雨風ガスの中一人立ち向かう。山の同行者は、仲間と言えど選ばなければならぬ、命に関わることだから。
コバイケソウが沢山咲いていたと思う。途中からは風とガスで恐くて一人で進めなくなり、ベテランそうな人に付いていった。雪渓を歩くのも初めてだし、持ってる地図は雑誌の付録だし、コンパスさえも持っていない(持ってても使えないが)。思い返しても、危ない登山者だ。無事、湯殿山神社にたどり着くまで生きた心地はしなかった。山の景色や印象など何も覚えていない。
この山は有史以来の信仰を集め、湯殿山、羽黒山と共に出羽三山として栄え、人気は高い。
大きな荷物を持って鶴岡の駅に降り立ったとき、数年前とは違う私を見いだして、ちょっと誇らしかったな。結婚しての初単独行。
朝日連峰は、飯豊連峰と並ぶ東北の広大で重厚な山岳地域である。東北の山の中で、或いは日本中で見ても珍しく宗教色の無い山で、重い空気がなく、明るく爽やかなイメ−ジだ。そして避難小屋とは思えない程それぞれの小屋が立派で綺麗に整備されている。ただ誰もが言う通り、地図に記載されたコ−スタイムは非常に無理があり厳しい。朝日鉱泉を未明に出て大朝日岳を踏んで日帰りする登山者が半数位もいて、余りにもったいなく思う。二泊三日分の荷物はそれなりに重いが、価値は充分だ。
稜線に出るまで大幅に時間がかかり不安になる。朝日岳他、雲がかかりどんよりとして残念。翌日は雲海の上でご来光を待つ。北にあの月山鳥海山が、南に残雪とお花畑が随一の飯豊連峰が浮かぶ。荘厳な夜明けのシンフォニ−が始まると、今日行く白と緑の稜線、寒江山以東岳も雲の切れ間に見えてくる。どうぞ素晴らしい一日でありますように。
西朝日岳から見る大朝日岳は平岩山、中岳を従えきれいな三角型に尖り迫力がある。行く道は花花花、ハクサンシャジン、トラオノ、マツムシソウ、チングルマ、ハクサンフウロ、イワオトギリ、シシウド、クルマユリ、他名前わかりません、紫、黄、白、ピンク、青、特に寒江山〜北寒江山は絶品だ。白いハクサンコザクラ!もあった。
午後からはまた雲がかかってきたが、翌日のご来光がまた素晴らしかったこと!以東岳から北、切れ落ちた東側に残雪を残し続く緑の主稜線の果てに大朝日岳がピラミッド状にそびえ、朝陽が染めていく。見渡す東北の主な山々は、思えばその山もあの山も向うの山々も天気に恵まれず、ここへ来てやっと何もかも報われた気がする。
「ああ、山はいい。」(注)これから先の人生でどんなに辛いことがあっても山がある限り、幸福があるのだ。以東岳からは熊の皮を広げた形の大鳥池を見ながら下る。
(注)金久昌業氏の教えより、近藤夫妻の山旅「いずこの山もそれぞれ」記録参照