ペーター・スハットの「天国」〜オーケストラのための12の交響的変奏曲 作品37(De
Hemel 12 symphonic variations for orchestra
Op.37)は、1889年から1990年に書かれ、1991年に初演されている。
大阪シンフォニカーの第67回定期演奏会(2000年3月9日大阪、ザ・シンフォニーホール)において、日本/オランダ交流400周年シリーズVのメインプログラムとして作曲家臨席のもと日本初演がなされた。本名徹次指揮による演奏は、大阪シンフォニーカーのこれまでの演奏の中でもおそらく最も優れた演奏だったと思われ、聴衆にも好評で、鳴り止まない拍手に作曲家は何度もステージに呼び戻され、オーケストラは古い舞曲をアンコールに演奏した。
なお、この定期演奏会のプログラム前半は、芥川也寸志の舞踊音楽「蜘蛛の糸」、向井山朋子を独奏に迎えての一柳慧のピアノ協奏曲第2番「冬の肖像」という意欲的なプログラムであった。
ペーター・スハットの「天国」は、20世紀屈指の変奏曲であるが、旋律的テーマとその変奏という旧来のものとはまるで異なったものである。
この音楽は、旋律的なテーマが順番にいろいろなやり方で飾られたり崩されたりして作曲家の変奏ボキャブラリーの開陳が続いていくという変奏曲形式の作品がしばしば与えがちな、ある種の堅さ、システマティックな、あるいは順列組み合わせの並列的な印象を与えることなく、壮大な移ろいの印象を与える。
和声は、いわゆる前衛音楽・現代音楽的な冷たく硬い攻撃的な響きやクリスタルな感触ではなく、ミニマルや実験音楽系の音楽に多い、乾いた旋法的響きでもない。メローといってしまえるような美しい響きであるが、19世紀のロマン派の調性音楽の和声進行を連想させるところはない。ポスト無調主義のドイツなどのいわゆる「ニュー・ロマン主義」や多様式的の音楽が、しばしば18、19世紀の調性音楽の断片のデフォルメやコラージュといった「失われた過去への、現在からのコメント」という内容を持っている場合がしばしばあるのに対し、スハットの音楽は過去の調性音楽への反発や懐旧の感情といったものによらず、過去の調性音楽に匹敵する美しい「響きの良さ、豊かな旋律的動き、極めて柔軟で変化に富んだ線の織り地、転調に匹敵する各部分の和声と響きのコントラストを実現している。
楽器の扱いは、伝統的といってよい非常に自然なもので、特殊奏法などによる新奇な効果をねらうことはなく、縦の響きの単調さや音高の変化(旋律)の乏しさを特殊楽器や目新しい打楽器などでごまかすようなオーケストレーションもない。
金属打楽器の余韻などでもったいぶることもなく、まっとうにオーケストラの通常楽器のオーケストレーションによって新鮮な変化を生み出していく。
音楽的クライマックスは、自然に音楽がふくらんでいくようなもので、ある種の現代作品にありがちな、複雑な現代技法を開陳しながら実は盛り上げ方は単純なオスティナートであったりコケオドシ的不意打ちやカオスであったりするようなことはなく、極めて洗練された味わいをもっている。
スハットは、新しい和声の構築と、豊かな線的動き、変化に富んでいながら人工的技巧臭を感じさせない効果的で複雑な対位法、多彩なリズムの組み合わせによって、新ロマン主義的過去の張り合わせではなく、調性音楽のような豊穣さと自然な表現を実現している。各部分で素材となる音程の組み合わせをプランし、音楽が変化するところで使われる音楽素材のグループを変えていくことで、一種の和声進行の変化、転調のように対照性を確保しているのだろうか。
ブーレーズなどのセリエル音楽のような断片化された音が空間に散らされるのではなく、新しい連続する和声と旋律とリズムで音楽的持続をつくっていくので曲の冒頭では手堅く保守的なスタイルの折衷主義的大家なのかなと一瞬思わせるのだが、実は、テクスチャーの豊かさ、リズムの組み合わせの豊かさ新しさには、スティーブ・ライヒの1980年代以降の作品などにも通じる斬新な要素が含まれている。和声もあえて連想するなら例えばオーストラリアのバリー・カニングハムなどを思わせるような、晴朗でよく響き、透明感のあるもので、つややかな感触をもっている。しかも過去の調性音楽の何かの作品を連想させるものがない。
作品全体は、ゆっくりと時間を追って変化していく自然の光景のような印象を与えるが、どの瞬間も極めて変化に富んでいて単純な繰り返しはなく絶え間なく変化していき飽きさせない。とくにリズムの柔軟な豊かさは特徴だ。
この作品の前に演奏された一柳慧の作品の音楽的持続と緊張の造り方の本質の意外な単純さ、その前の芥川也寸志の音楽のストレートさを、非常に際立たせる結果となった。
当日のプログラムによれば、ペーター・スハットは「オランダの12音音楽の創始者キース・ヴァン・バーレン」に学び、後にはバーゼルの高等音楽院でブーレーズにも師事したとあるが、その経歴を思い起こさせるものは、この「天国」にはなかった。
この日の演奏に先立ち、ステージに作曲家があがって作品について語った。ただ耳と心を開いて楽しんでほしい、ニュージーランドの浜辺で着想した音楽で、1日の太陽の動きととそれに伴う様々な営みについての「太陽の音楽」であるという趣旨を語り、現代音楽の多くの作曲家が好む難解な文学や哲学や科学用語の思わせぶりな引用も、新しい様式を生み出す画期的な作曲技法を解説することもなかった。「太陽が昇るのは最初から3時間ほどの所です」という楽しいコメントもあった。
当日のプログラムから作曲家自身の解説を引用する。
[「天国」の着想は、私の本の英訳の仕事でジェニー・マックロイドとニュージーランド滞在中に生まれました・この作品はオヒワの浜辺でみた太陽の周期を描いています。
「海」があり「大地の歌」があり、今度は天空の曲をと思いました。アムステルダムにもどってから、アット・スフラーヴェサンデとオランダ・フェスティバルの委嘱を受けて作曲にかかりました。また、ベン・ファン・デル・メール(ハーグ・フィルハーモニー管弦楽団)の助けを受けました。
12の交響的変奏のためにオペラ「シンポジオン」と同様「トーン・クロック」の12の時を使いましたが、今回はとぎれがないひとつの楽章です。
作品は陽が昇り、次の夜明けが来るまでの太陽や月、風そして雲の動き、早朝から昼、夕焼け、日暮れといった天空の動きに霊感を受けたものです。」]
2000年3月10日 近藤浩平 記