民族音楽?ブラジル音楽?
20世紀前半、バルトーク、コダーイ、ヴァーン=ウィリアムスなどにおける民族音楽、中央ヨーロッパの芸術音楽以外の伝統音楽の再発見、研究と、ヴィラ=ロボスのブラジル音楽との関わりには大きな相違がある。
バルトーク、コダーイが民俗音楽を収集したとき、すでにその音楽は、失われつある伝承音楽として保存を急がなければならないものであった。ヴォーン=ウィリアムスやホルスト、グレインジャーが収集した民謡も同様に失われつつある伝承音楽であった。
20世紀前半は急速な都市化による人口移動と資本主義的音楽産業=(レコード・放送)の成長によりローカルな伝統音楽が衰弱し、伝統音楽の喪失への危機感がしばしば民族主義と結びつきながら表明された。
日本でもマスメディアの発達と音楽供給の産業化、地域共同体の衰弱に伴い、伝統音楽や民謡は多くの人の日常生活に登場する機会を失い、あるいはしばしばNHKの民謡番組等で出会うように歌謡曲化し、音律や拍節が西洋音楽化し、地域性も失われつつある。
松平頼則の「雅楽」への着目は特殊であるとしても、伊福部昭、小山清茂、清瀬保二、間宮芳生等が対峙した民族音楽もやはり失われつつある伝承音楽・古典音楽であった。諸井誠、三木稔等の現代邦楽も、現代に生きている日本音楽ではあるのだが、それでもなおかなり限られた世界の中で継承されている「邦楽」の再生の試みという状況が現実ではないだろうか。三善晃が「響紋」で引用した「かごめかごめ」も失われつつある過去の音楽である。
民俗音楽?ポピュラー音楽?
ヴィラ=ロボスの場合、バックグラウンドとなっているブラジルの音楽は「民族音楽・伝統音楽・古典芸能」として固定化され保存され研究されている音楽ではない。
ヴィラ=ロボスの代表作に「ショーロス」の連作(1920年〜1928年)があるが、「ショーロ」とはまさに彼の同時代のブラジルポピュラー音楽(MPB)の人気ジャンルそのものずばりのタイトルである。
ショーロの代表的な音楽家、ピシンギーニャ(1897−1973)は、「ブラジル・ポピュラー音楽(MPB)の父」といわれる。竹村淳氏の著作「ラテン音楽名曲名演名唱100」および「ラテン音楽パラダイス」によれば、1919年にオス・オイト・バトゥータスを結成、1922年には約半年間ヨーロッパに渡りパリを中心に演奏活動を行ったという。ピシンギーニャの名曲「カリニョーゾ」は1917年あるいは1932年の作曲と言われている。この頃がショーロのひとつの最盛期であり、ピシンギーニャはショーロの完成者と言われている。(ちなみにヴィラ=ロボスがパリへ乗りこんだのは1923−1930年にかけてであり、評価を確立したのは1927年のリサイタルだという。Pierre VidalによるCD解説)
例えば、ブラジル音楽の中でもとくに広く知られているサンバの、第1号のレコード化とされている名曲「電話で」は、ドンガ(1899−1974)によって1916年に作曲され1917年に録音されたということも竹村淳氏によるCD解説に紹介されている。
ショーロやモディーニャやカンサンはヴィラ=ロボスと同時代のポピュラー音楽であり、ヴィラ=ロボスはまさに生まれつつある同時代のポピュラー音楽の動きと極めて深い繋がりを持ちながら活動していたのだ。それはバルトークやメシアン、スカルソープ等芸術音楽のエリート達による「民族音楽の再発見と研究」とは大きく異なる。
我々がブラジル音楽というとき思い起こすサンバもバイヨンもショーロもボサ・ノバも前世紀から今日までつづくポピュラー音楽が変化し発展しつづけているその時々の姿であり、伝統古典音楽として残存し保存されている「民族音楽」ではない。
こうした面で、「ショーロス」におけるヴィラ=ロボスの立場はガーシュウインのようにポピュラー音楽とクラシック・現代音楽の境界を越える位置にある言うことができるだろう。
プログレッシヴなショーロ?
ヴィラ=ロボスの「ショーロス」は、ショーロがMPBのジャンルとして最も活発で創造的であった時期に同時に生み出されたものである。完成された過去のPOP音楽のスタイルをクラシック系の作曲家が借りたというレベルではない。ショーロの側にある音楽家が、クラシック音楽の演奏メディアと作曲に進出してきたとまで言えるものだ。
リーバーマンの「ジャズバンドとオーケストラの協奏曲」や1920年代のヨーロッパ、アメリカの多くの作曲家に見出されるポピュラー音楽やジャズの借用、あるいはベルク、ヘンツェやベリオ、マックスウェル・デイヴィスなどの一部の作品にも見出される、現代音楽に「現代的社会性」をもたらそうとする努力の痕跡としての「ポピュラー音楽」的な音楽素材の借用(あるいは引用)とも異なっている。より彼自身の音楽性の深いところでヴィラ=ロボスはショーロの側にいる。
しかも、高級な洗練されたポピュラー音楽として扱われることの増えた今日のジャズやボサ・ノバとは異なり、「シダージ・ノーヴァ(リオの新開地)を温床として生まれ」たショーロは、当時の現地では「上流階級の連中からは下賎な音楽として白眼視された」「低級」(竹村淳氏の表現)とされた音楽である。19世紀後半に生まれたとされ、当時人気のあったポルカをフルート、カヴァキーニョ、ギターというトリオでジョアキン・アントニオ・ダ・シルヴァ・カラード(1848−1880)が演奏したことにはじまるという。シダージ・ノーヴァとは竹村淳氏の著書「ラテン音楽パラダイス」の解説によれば「市の北方の湿地を埋め立てて拓かれた新開地である。ここにはバイーアなどの地方から少しはましな生活を夢みて出てきた貧しい人たちが住みつき、住民は黒人が圧倒的に多かった。」という。
ヴィラ=ロボスは自身は「ショーロス」において、リズム、オーケストレーション等作曲技法的にも当時として極めて先進的な大胆さへ進んでいる。とくにショーロスの8〜10番の大胆さは、ストラヴィンスキーやバルトーク、ミヨーの同時期の音楽に匹敵する。同時代のMPBであるショーロをそのままタイトルにした「ショーロス」の連作がいかに大胆な野心をもって生まれたものであるか、今日想像する以上のものであるのではないだろうか。
ロックのミュージシャン達がクラシック音楽/現代音楽の大規模な楽曲構想と様々な音楽技法、多様式的な思考、オーケストラを代表とする大編成の演奏メディアや今日の音響技術を想定した大規模な音楽空間構想に接触しながら生み出してきたプログレッシヴ・ロックになぞらえて、私は、ヴィラ=ロボスの「ショーロス」は「プログレッシヴ・MPB」「プログレッシヴ・ショーロ」ともいえる側面が強いと受けとめている。
ショーロ以外にも2巻からなる歌曲集「モディーニャとカンサン」(1933−1943)、「ブラジル風のカンサン」(1919−1935)といったMPBの曲種そのものをタイトルとしたものもある。モジーニャとは、竹村淳氏の著書の解説によれば、「アフリカとヨーロッパの民俗音楽が完全に融合して生まれた最初のMPB。その成立は17世紀というが命名されたのは18世紀後半になってからだった。」
奥地の民俗音楽?
ヴィラ=ロボスは、リオ・デ・ジャネイロなど都市の音楽だけではなくアマゾンやブラジル北東部などにも旅をしており、ブラジル各地の民俗音楽の反映も彼の音楽には見られるはずであるが、残念ながら私自身、アマゾン奥地等を含め各地の音楽についての具体的知識に欠けており、各地の音楽と音楽作品の関連について具体的にここで触れることができない。ヴィラ=ロボスの作品には「アマゾン川」(1917)、「ブラジルの密林への郷愁」(1927)、「奥地の思い出」(1930)、「侵食ーアマゾンの水源」(1951)、「熱帯林の夜明け」(1954)、「アマゾンの密林(緑の館)」(1958)といったタイトルをもつ作品が生涯のすべての時期にわたって作られている。
ヴィラ=ロボスの音楽には、MPBとして馴染みのあるブラジル都市部のポピュラー音楽とはずいぶんと違ったリズムと旋律があるのだが、こういったところにその源泉があるのだろうか。ヴィラ=ロボスの音楽が同時代のMPBと大きく異なる音楽性を含んでいるのは、バッハなどヨーロッパのクラシック音楽の影響との融合だけではなく、こうした民俗音楽に由来する要素も大きな位置を占めていることも大きな理由と考えられるだろう。
ラテン音楽?民俗音楽?ポピュラー音楽?
ラテン・アメリカにおいては民俗音楽も同時代の生きたポピュラー音楽として発展を続けた、たとえばアルゼンチン・フォルクローレを代表するアタウアルパ・ユパンキは過去の音楽の伝承者というよりも自作自演の音楽家であるし、今日でもフォルクローレには次々と新しいスタイルのミュージシャンが現われてポピュラー音楽の中に位置を占めている。フォークロ―レとポピュラー音楽の境界、民俗音楽(あついは民族音楽)とポピュラー音楽の境界はラテン・アメリカにおいては比較的希薄だ。ヴィラ=ロボスがブラジル各地で接した様々な民俗音楽は、かって「民族音楽学」が研究・収集の対象と想定したような純粋な地域の伝承音楽形態というよりも、もともと雑種である現地のポピュラー音楽が大部分であったのではないだろうか。アマゾン奥地の周囲と隔絶した部族の固有の音楽や、特別な伝承団体によって保存された伝統音楽をフィールド・ワークするような学究的な態度ではなく、アマゾン奥地に入りこむ白人、ムラート、メスティーソ、黒人、インディオたち歌い奏でる雑多な日常の音楽を聴いていたのではないだろうか。
今日の日本や欧米では「クラシック音楽」と、「ポピュラー音楽」と、伝統的な民族音楽、古典音楽、たとえば「邦楽」「雅楽」「民謡」「伝統芸能」とはほぼはっきりとわかれている。ところがブラジル音楽やキューバ音楽というとき私達が思い起こすのはラテン・ミュージックとして現代のポピュラー音楽の中に位置を占めている同時代音楽である。ヨーロッパ中心部の音楽様式や欧米系のポピュラー音楽が一方的に流入する一方で、孤立した形で意図的に純粋さを守るように特別な団体や個人によって伝統音楽が継承されているというような家元制邦楽的状況や無形文化財化とは音楽の社会的位置も流動性も異なる。
(今日、残念なことに欧米の資本をバックに世界的に産業化した欧米のポピュラー音楽がブラジルにも大量に流通し、世界中の人達が同じヒット曲を買い求めるという画一化が、MPBを圧迫する状況も出てきているらしい)
クラシック音楽?ブラジル音楽?
ヴィラ=ロボスは、このようにブラジル音楽の内側にいる音楽家なのであるが、同時にバッハをはじめヨーロッパのクラシック音楽も音楽的故郷としていた。1920年代の「ショーロス」の連作に対し、1930年から1945年に書かれた「バッキアナス・ブラジレイラス」の連作では、バッハの音楽やヨーロッパのクラシック音楽により近づいている。1945年から1954年までに書かれた5曲のピアノ協奏曲や、1953年のチェロ協奏曲第2番では、より19世紀クラシック音楽的なスタイルに近づいている。何故、「ショーロス」であそこまで前衛精神とMPBを融合させていながら、1930年代からの実作において次第に「クラシック音楽化」が進んでしまうのか。バルトークやヒンデミット、ストラヴィンスキーの1930年〜1940年代の作品に見られる音楽様式の新古典的保守化と共通する要因でもあるのだろうか。
ヴィラ=ロボスは、クラシック音楽を尊重する家庭環境で育った。ショーロを聴きに行く事も家庭は歓迎しなかったという。アマゾン奥地など各地の民俗音楽に接する旅も家庭や社会的立場から奨励された「民族音楽研究」ではなかった。クラシック音楽から見て在野にあった若い作曲家であったヴィラ=ロボスにとって、「ショーロス」の連作は、「ヨーロッパのクラシック音楽」に対抗する自分の音楽、音楽的価値観を認めさせようとした挑戦的野心作であった。その為にはヨーロッパの芸術音楽の作曲界に衝撃を与えるほど大胆な作風をとることが得策であった。ショーロを認めない家庭への反発心もエネルギーになったのではないかと想像される。
ロックを認めないクラシック音楽一辺倒の家庭環境で育った若い音楽家が、ロックで音楽的成功を得て親にぎゃふんと言わせてやれ、ついでにロック的作風の現代音楽で音楽コンクールにも入賞して「クラシック音楽の権威」からの評価ももぎ取ってやれと意気込むような心情があったのではないかと想像する。
一旦、「ショーロス」でブラジルを代表する国際的作曲家としての評価を得てしまえば、ヴィラ=ロボスの興味は自分の2つの音楽的故郷(あるいはクラシックとショーロと奥地の民俗音楽の3つ?)をどう折り合いをつけ融合していこうかという方向へ向かったとも考えられる。「バッキアーナス・ブラジレイラス(ブラジル風バッハ)」の連作において、その方向性は明確である。
あるいは、1940年から1950年代にかけてブラジル北東部のバイヨン(ルイス・ゴンザーガの「白い翼」(1947)が代表的名曲)が大流行し、ヴィラ=ロボスの原点であるショーロが一時期それに押される形で勢いを失っていたこともショーロのタイトルのもとに連作を続けなかった要因かもしれない。
膨大な背景
ブラジルの文化そのものはアフロ・ヨーロッパ・インディオの文化が融合したムラート文化である。(竹村淳著「ラテン音楽パラダイス」P129参照)とくにショーロはアフロ系の要素を強くもった音楽である。ブラジルの対岸はアフリカであり多くのアフリカ人が奴隷として連れてこられたため、とくにブラジル北東部はアフロ的な文化が色濃いという。奴隷として運ばれた時、黒人たちは出身地ごとには分けられずばらばらにされたであろうから、アフリカの各地の文化の地域性は、彼等の間で混合しただろうと想像する。
MPBは、ボサ・ノヴァの時代を待つまでもなく、早い時期から欧米のポピュラー音楽やジャズなどとも接触し、すでに国際化した音楽である。
竹村淳著「ラテン音楽パラダイス」によればショーロの「発端は1840年代半ばから人気のあったポルカを新しい楽器編成で演奏したときに遡る。木製のフルート(メロディ担当)、カヴァキーニョ(ハーモニー担当)、ギター(低音の対位的なメロディで伴奏を担当)というトリオがその編成で、このスタイルに挑戦したのはムラートの天才フルート奏者ジョアキン・アントニオ・ダ・シルヴァ・カラード(1848−1880)。」だという。ショーロの代表的音楽家ピシンギーニャは1922年の渡欧の際にはジャズを聴いていたことも同書に触れられている。
リオのカーニバルも竹村淳氏の同書の解説によれば1641年のポルトガル皇帝ドン・ジュアンW世の王位継承を祝う総督の騎馬隊のパレードに発端があり、1855年にブラス・バンドが登場、当時はポルカやマルシャ(マーチ)が中心だったらしい。「1888年の奴隷開放後、黒人たちが打楽器を手に参加するようになり」「今世紀に入って楽隊の音楽にラグタイム、チャールストンが導入されたり」したという。サンバは「バイーア地方独自の輪になって踊るバツーキの一種、サンバ・ジ・ホーダがリオのシダージ・ノーヴァに伝えられ、様ざまの要素がまじりあって19世紀後半に生まれたとされている。」 そのバツーキとは「アフリカからブラジルに伝えられ、当初は祈祷所で踊られた民俗的な踊り。」であるという。ヴィラ=ロボスの作品にも輪踊りやカーニバルはしばしば登場する。
そもそもブラジルへ渡ってきたポルトガル人の音楽、イベリア半島の音楽もヨーロッパの音楽とイスラムの文化の雑種である。イベリア半島の音楽は、中東・アラブの音楽文化とヨーロッパの音楽の雑種であり、しかも、北アフリカや地中海を経由することで北アフリカ音楽の要素などが複雑に混ざりあっている。
ポルトガルはスペインとともに最もローマ・カソリック教会の影響力が強いところであり、ラテン・アメリカ諸国もカソリック教会の影響力は大きい。当然ながらローマ・カソリックの教会音楽も入っている。ヴィラ=ロボスにも「聖セバスチャンのミサ」(1937)、「アヴェ・マリア」(1938および1948年作曲の2曲)「マニフィカト‐アレルヤ」(1958)などの合唱作品がある。
Pierre
Vidalは、ヴィクトリア、バッハ、ドビュッシー、デュカス、ダンディ、プッチーニ、ワーグナー、ストラヴィンスキーをヴィラ=ロボスが称賛していた作曲家としてあげている。ヴィクトリア(1548−1611)はパレストリーナ等の教会音楽とスペインの神秘主義を結びつけるルネサンス末期最大の教会音楽作曲家。バッハはスヴェーリンク(ネーデルランド1562−1621)や、ブクステフーデ(ドイツ1637−1707)、フレスコバルディ(イタリア1583−1643)、ヴィヴァルディ(1678−1741イタリア)にまで広がるヨーロッパの南北に広がるバロック音楽の総合者である、デュカスはフランス近代音楽とドイツ音楽の双方の伝統をひく独自の立場にある作曲家である。ドビュッシーの20世紀の旋法と和声と構成法の開拓者でありインドネシアのガムランに触発された要素もある。ダンディはフランキストであり、プッチーニはイタリアオペラにヴァリズモや異国趣味、さらにフランスオペラ的要素や、印象派の和声まで持ちこんだ作曲家であり、ストラヴィンスキーの背景にはリムスキー=コルサコフなどロシア5人組、ロシアの民俗音楽、またロシア正教がある。
雑種性と既視感
ヴィラ=ロボスの音楽は、音楽史上でもかってありえないほど雑種である。様々な音楽文化に由来するものがヴィラ=ロボスという坩堝の中で融合している。あるヴィーン古典派を至上のものとして称賛する文章に、ヴィーンは東西南北の文化の交流点であり、とくにモーツアルトはヨーロッパ各地を旅し、ヨーロッパ各地の様々な音楽様式と音楽文化を吸収し総合したということが他の地域の音楽に卓越する特別な普遍性をもつに至った理由としてあげられているのを読んだことがある。
その理屈に従えば、ヴィラ=ロボスの音楽は、人種や大陸の範囲を越えてヴィーン古典派を遥かにしのぐ範囲の文化の坩堝となっており、より広い普遍性があるということになる。
ヴィラ=ロボスの音楽はしばしば初めて聴いたときからある不思議な既視感をもたらすことのだが、これはその雑種性に起因するのだろう。ラテン音楽の中で育った人、バッハを聴いて育った人、プッチーニなどイタリアオペラのアリアを普段聴いている人、フォークロアあるいは民俗音楽に親しむ人、ストラヴィンスキーやフランス6人組の音楽に親しんでいる人、どの聴き手もヴィラ=ロボスの音楽になんらか親しい既知のものを見出すだろう。
一方、この徹底した雑種性が、ヴィラ=ロボスの音楽を、どのカテゴリーにも所属することのできないようなものにしている。
プログレッシヴなMPB?西洋芸術音楽?
ヴィラ=ロボスの「ショーロス」は、MPBとしてのショーロを完全に逸脱している。ヴィラ=ロボスの「ショーロス」のどれかが、例えばガーシュウインやクルト・ヴァイルのソングがジャズのスタンダードナンバーになるようにはショーロのスタンダードナンバーの一つとなることはなさそうだ。
MPB関係の音楽家達が、例えばアメリカのポピュラー音楽のミュージシャンがガーシュウインを語るような親近感をもってヴィラ=ロボスを話題に出し、アレンジし、自分たちのスタンダードとしている場面にはほとんど出会ったことがない。MPBを聴く人達、サンバやボサ・ノヴァや、トロピカリズモ(カエターノなど)、さらにエグベルト・ジスモンチやミルトン・ナシメントを聴く人たちが、ヴィラ=ロボスをブラジル音楽のスタンダードとして日常的に聴いているわけでもなさそうだ。MPBのミュージシャンがヴィラ=ロボスをとりあげたアルバムは私はまだ知らない。
MPBの側から見ると、ヴィラ=ロボスは、あまりにヨーロッパ・クラシック音楽を指向した作曲家なのだろう。あるいはヴィラ=ロボスの音楽には、現在のMPBとは直接つながらないブラジル(とくにアマゾンなど)の民俗音楽に由来するものが多く、現代のブラジルの都市の有力なポピュラー音楽とは遠く隔たっているのかもしれない。
ヴィラ=ロボスはMPBと、MPBにつながらなかったブラジル(とくにアマゾン流域など)民俗音楽、ヨーロッパの芸術音楽(現代音楽、クラシック)の間で、そのどれにもおさまらず、「コウモリ」のように見られているのだろうか。
理想的なヴィラ=ロボス演奏?
ショーロスをはじめブラジルの音楽は、即興性とリズムの楽譜に書ききれない間合いとアンサンブルを求める音楽だ。ヴィラ=ロボスの作品には、譜面をなぞり忠実に音価を再現するだけでは十分に本来の姿で立ち現われないリズムとインタープレイ、スイングがある。
ピーター・バスティアンの「音楽の霊性」(工作社刊)という著書に、リズムについての実感にあふれた文章があるので引用する。
「多くの異なるビートが一緒になって一つの包括的全体を作りだし、それがサンバをスイングさせる。私たちは次々と様々な多くの音を聞くが、経験されるのは統一、サンバだ!だから音楽家はビートに全力を投入し、微妙な表現に注意深くならざるを得ない。サンバの場合なら、最初の拍は重く、そして3番目の拍は常に他のものと比べて少し遅れて来る。どのくらい遅いのか?有機的と感じられるほどにだ。だから一歩も近づくことはできない!
リズムを遅らせないで、一拍めと二拍めに強いアクセントを置いて、まともな調子でサンバを歌ってみるといい。それはフランスの行進曲のように、サンバとは縁もゆかりもないもののように聞える。・・・」「リズムは数学的、メトロノーム的な正確さからの逸脱のなかでその性格を獲得する。測ることのできない差異がドラマーをして「正しくノラせ」たり、「四つ遅れてノラせ」たり、「どんぴしゃでノラせ」たりする。」
「ノリのいいバンドで、勘どころにぴたっと収まってマラカスを演奏することは驚くほど満足のゆくものだ。何一つ努力は必要なく、それはひとりでに続いていく。だがスイングしなくなった瞬間、それは全ての演奏者にとって肉体的にも苦痛なものとなり、リズムを呼び戻すにはとてつもない集中力が必要になる。奇跡が突如として起こり、「さあ燃えてきたぞ!」ということになれば、演奏者も聴衆も共に舞い上る。
ノルかノラないかのどちらかしかない。サンバのオーケストラが、「もうちょっと」のところまできていたら、私達は立ちあがって「そら、どうした」と声援を送るが、スイングしていたら、ただ意識の状態を変えて、エネルギーの次元における高揚を経験する。突然、音楽は個人的なものになり、私達は精神エネルギーの内なるダンスを経験し、どの素晴らしいダンスを続けるためにはただ体でついていくだけでいい。」
「サンバの例が示しているのは、「音楽を音符に書きしるすことはできない」ということだ。リズムをスィングさせるためには様々に異なるリズム的要素の的確なバランスが必要であり、従がってスイングするある一点に対するスイングしないサンバの数は無限にあるということになる。スイングを保証するに足るだけの情報を音譜のなかに盛り込むことは不可能だ。サンバを事前に知っていなかったら、作曲家がその使用に供されるべくいかに多くの記譜上の猿知恵を盛り込もうと、私たちはこれぽっちもサンバの真の感覚を伝える演奏をすることはできいだろう。」
ヴィラ=ロボスの作品は、ショーロの演奏のような自発的で即興的ノリをもったインタープレイが前提となっている。リズムは、ノルことのできる本来の1点をもったような音譜には書ききれないリズムであり、持続時間の数値さえ正確に守れば再現できるようなものではない。リズムもノリも多種多様な音楽文化の蓄積を背後にもっている。
現在の交響楽団のメンバー、多くのクラシック演奏家は、たとえばワルツを知っているようなレベルではラテン・アメリカのリズムを知ってはいない。
現在、接することのできるヴィラ=ロボスのとくに管弦楽作品の演奏において、大多数のメンバーはラテン音楽のノリを身につけないまま楽譜を音にしている状態にある。これは今までワルツを聞いたことのない人に3拍子の譜面を渡してワルツを再現しようとしたり、ショパンの音楽を聴いたこともないというピアニスト(実存しないと思うが)に、マズルカやポロネーズを譜面だけから再現させようとすることに近いのではないか。
ヴィラ=ロボスの音楽は、とくに大編成の管弦楽曲などは、彼のバックグラウンドとなっている音楽をひととおり知っているメンバーから成り立っている理想のオーケストラを待っているのではないだろうか。
ブラームスの音楽は、ベートーヴェンもハイドンもシューベルトもシューマンもヨハン・シュトラウスも日常的に演奏しドイツやオーストリアの民謡にも接している人たちによって演奏されるので、その音楽的内容が十分に開陳され100%発揮された演奏を聴く事ができる。しかし、ヴィラ=ロボスに関しては、まだまだその音楽の内容が十分具体化された演奏に恵まれていないのではないだろうか。
ヴィラ=ロボスの管弦楽作品が、クラシック音楽の古典が演奏される際の要求水準と同等の深い理解をもって理想的に演奏され、すべてのパートが生命をもったノリを獲得したとすれば、どれほどの強く豊かな音楽として立ち現われるだろうか。バッハ、ベートーヴェン、モーツアルト、シューベルト、ブラームスなど西洋音楽の最高の古典とされている音楽作品と、十分に対抗しうる豊かな音楽ではないだろうか。
ヴィラ=ロボスの音楽は、ショーロをはじめとするラテン音楽からバッハ、フランス音楽まで全てを自分の音楽として演奏できるメンバーによるる理想の演奏を要求しその音楽の力が100%音として具体化される時を待っている。小編成の作品の場合には、ほぼそれを実現した素晴らしい演奏を聴く機会もある。しかし、オーケストラなど大編成のものでは現実にはそれは極めて実現に困難な要求だ。全楽員がショーロからアマゾンの民俗音楽にまで広がるラテン音楽のノリを完全に獲得し、同時に、ヴィクトリアやバッハからストラヴィンスキー以降の20世紀の新しい音楽までを完全に自分のものとしている交響楽団というものは存在しうるのだろうか。
ヴィラ=ロボスについてのおすすめサイト:おけらのたわこと
ラテン音楽を知るためのおすすめの本:竹村淳著「ラテン音楽名曲名演名唱ベスト100」、「ラテン音楽パラダイス」
ヴィラ=ロボスのとくにおすすめのCD:
・ヴィラ=ロボス自作自演集「ブラジル発見」「バッキアーナス・ブラジレイラス1〜9番」「ショーロス2、5、10、11番」ほか 6枚組 EMI CZS 7 67229 2
・"Forest of the Amazon” Villa=Lobos/Symphony of the Air and Chorus, Bidu Sayao(Soprano) EMI 7243 5 65880 2 8
・Choros 1〜5,7番ほか Harmoniamundi LDC278 835
・Choros 8、9番 Kenneth Schermerhorn/HongKong Philharmonic Orchestra MarcoPoro 8.220322
・"Suite Floral","Dancas Africanas","Choros Number7","O Papagaiyo do Moleque","Emperor Jones" Alfred Hellet(Pf),Villa=Lobos/Symphony of the Air ERECTRA KTC 1216
2000年5月27日
近藤浩平