自作が再演される機会があった。初演とは演奏者も異なり、解釈もかなり違っていた。作曲は脚本を書くようなものであり、誰がどのような声でどのように演じるかは正解は一つではない。
それぞれの演奏を聴くと、それぞれの良さがあり、どちらが自分の意図に近いとは言いきることは出来ない。
それぞれの演奏はそれぞれの演奏者の音楽。
コンサートのプログラムにこんなことを書いた。
「音楽は、音楽家が、その時間的、地理的、社会的位置にあって持つにいたった価値観、美意識、世界観といったものの表現であって、他の立場の音楽で代用することは決してできない。
世界には様々な音楽があり、クラシック音楽もそのひとつに過ぎない。
ところが、20世紀、もともとクラシック音楽が生み出した表現手段は、世界中の様々な地域の様々な文化を背景とした音楽家が、”自分達の音楽”の表現手段として使うことができるものになってきた。」
作品の解説はこのように書いた。
近藤浩平(1965−)「青と緑の稜線Op.38」
自由に移り変わる旋法と、ピアノの打楽器アンサンブル的用法。ラテン系のリズムが潜んでいる。山と森の空気と生命力を伝える音楽。1999年1月初演。
来聴下さった某作曲家氏の感想。「中南米あたりのごつごつした荒野を、猛烈な速度で突っ走っていて、ここでこけたらサボテンの針にぶつかるぞ、という感じ。」
1999年11月11日記
近藤浩平