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空虚5度、平行5度は何故禁則なのか

空虚5度、平行5度という教科書的には禁則となっているものが、なぜモーツアルトや他の作曲家の実作には使われているのか。それは、どういう意味があるのかというような質問をいただいたので、私が大雑把に考えるところを返答として書いてみました。

空虚5度、平行5度は何故禁則なのか
 モーツアルトやペルトが使う空虚5度ですが、機能和声の教科書を見ると、空虚5度とか5度平行は禁則になっていますね。空虚5度という言い方は、3和音があたりまえという発想での呼び名で、 3度を省略してしまって、長3和音か短3和音かどちらかわからんということと、 5度があまりに協和的なので、2つの声部が一体化して強い音になってしまい、パート間のバランスを崩してしまうという理屈で、15世紀頃から避けられるようになって、和声の教科書的には禁則になってしまったものです。

時代によって変わる禁則
 作曲の規則は状況がかわれば無効です。音楽史についての本や音楽事典 を見れば書いてあることで、実際にいろいろいろな古楽を自分で聴き楽譜を確かめたわけではないので正確ではないかもしれませんが、9世紀〜11世紀頃、ヨーロッパの教会音楽に多声音楽がはじめて登場してきた頃、まず、定旋律(グレゴリオ聖歌)に平行4度で重ねて歌う平行オルガヌムというのが出てきます。この時代の教会音楽は4度、5度平行、空虚5度ばかりで、これこそが正しい音とされ、 3度などは濁った音と捉えられていたわけですね。これが12,13世紀頃から多声音楽は急速に発展して、ゴシックのノートルダム楽派、フランドル楽派になるとデュファイなどずいぶん、 3度などいろんな音程の響きが豊かに使われるようになりますので、現代の一般の音楽ファンにも、あまり違和感のない音楽になります。どの世代も、音楽については前の時代のものを否定したがるもので、 15世紀頃からは、空虚5度や平行5度は避けられるようになり、 17世紀までにはほぼタブーになってしまいます。

象徴としての5度
 空虚5度、あるいは4度平行、5度平行というのは、中世の教会の音楽の響きを、もろに西洋人には連想させるはずです。宗教改革以降のルター派のコラールの4声体みたいな、より近代的なものに対立する、古い教会の典礼や権威、中世のキリスト教社会のシンボル、西洋近代の啓蒙主義や個人主義以前の中世社会を象徴する響きであったのではないかと思います。啓蒙主義の時代、中世の暗黒社会というような不気味な、古い恐怖のような否定的連想もあったと思います。
  ストラヴィンスキーは詩編交響曲などで4度平行がお好みですが、彼はロシア正教ですから、宗教的には、西洋近代以前に根ざしていると思えますし、ペルトも、西洋近代以前の宗教社会への憧憬が、空虚5度などの響きへの好みになっているのかと思います。ホルストも宗教的作品で5度平行、4度平行、空虚5度をひんぱんに使います。バルトークの平行5度は、もうちょっと理屈っぽい出所かもしれません。
  宗教音楽を書くとき、作曲家は、古風な様式を使う傾向があり、一時代前の平服が、今日の礼服になっていくようなところもあります。モーツアルトなど古典派の宗教音楽に、バロックやそれ以前の様式が出てくるのも、特徴です。パレストリーナなど、20世紀になっても宗教音楽のモデルですね。レクイエムなどでも、とくに信仰の長い歴史を意識したものほど、古い空虚5度など、使ってみたりしますね。グノーなどは、逆に空虚5度など中世的なものは避けて、同時代の甘美な音で書いてしまいます。
2001年9月9日
近藤浩平

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