演奏家への手紙3

自立した表現者

現代には過去とは異なった文化があり価値観があり美意識、感情があり、一方、過去には現代とは異なった文化があり価値観があり美意識、感情があったに違いありません。
 19世紀までのヨーロッパの古典音楽のみで音楽生活を営んでいる演奏家や聴衆がいるなら、それは、音楽的感情や価値観、美意識において19世紀までのヨーロッパに住んでいるのか、あるいは、音楽を、現代に生きる自分という存在のトータルな自己表現として、深く自分の生き方と関わるものとして、真剣に捉えてはいないということでしょう。現代という時代に生きる人間の自己表現として全面的な要求を音楽につきつけることなく、100年から300年前の音楽の内容から、現代でもほぼ共通のものとして享受できる音楽美だけを取り出して鑑賞する態度です。現代人としての感情や美意識や価値観や問題意識を全面的に代弁するものとしての役割を音楽に期待しようとはしない態度です。
 いわゆるクラシック音楽のレパートリーが現在のように古典中心であるかぎり、クラシック音楽は、全面的な自己表現のメディア=アーティストが自己表現するものではなく、古典芸能の継承、習い事でありつづけるでしょう。これは、画家の創造活動の場としての機能を失い、大金をつぎこんで過去の名画を買いあさる美術館で、評価の定まった過去の名画を鑑賞することに安住することと同じ態度です。
 「私もあの人みたいにこの曲が弾けたら良いのに」というだけでは、一人の自立した表現者の活動とは言えません。「私はこの音楽は重要だと思うから演奏して人に伝える」「私は、この曲を演奏曲目として選んで、このような美意識、文化があることを伝える意義がある」というところまでの意識があってこそ一人の創造的表現者としての演奏でしょう。
(1999年8月)

演奏者への手紙4へ進む

演奏家への手紙2へ戻る

演奏家への手紙1へ戻る
 
山の作曲家、近藤浩平のページ トップページへ戻る