クラシック音楽の再発見
外国旅行をすると、日本の特徴や美しさにあらためて気付くように、様々な地域、時代の様々な音楽を知ると、ヨーロッパのクラシック音楽が、いかに特殊で、独特な美点と構造を持った音楽なのか気付くに違いありません。クラシックの演奏家、聴衆には、もっといろいろな音楽への広い視野をもっていてほしいものです。
世界中には実に多種多様な音楽が玉石混交の状態であふれています。その中の一つとして17−19世紀のヨーロッパの貴族や有産階級を主な支持基盤として発達したクラシック音楽は当然、表現内容や美意識、価値観において彼等のそれを反映したものです。もちろん、時代、地域を越えて共有される人間の普遍的感情や美意識や倫理観があるので、クラシック音楽は現代においても人に感動を与えます。
しかし、オーケストラ、ピアノ、和声や記譜法といったクラシック音楽が生み出した表現手段、メディア、道具、音楽言語は、20世紀の間に、世界の実にあらゆる人達が、自分の音楽の表現手段として使うことができるものになってきました。
私は、オーケストラもピアノもその他の楽器も、作曲技術、演奏技術も、ヨーロッパの古典音楽の再現に奉仕するだけのものではなく、同時代の音楽の表現手段としても徹底的に利用すべきだと考えます。
世界中の様々な地域の様々な文化を背景とした音楽家が、もともとクラシック音楽が生み出した表現手段を、自分たちのものとして使いこなしていく時代がやってきました。オーケストラや室内楽や独奏のコンサートの場にも、アジア、アフリカ、オセアニアなどを含め様々な地域の作曲や演奏が入り込んできます。非常に大きな出費と労力によって維持されている音楽演奏の場やオーケストラなどの演奏団体を、もはや、17−19世紀のごく限られたクラシック音楽の名曲の再現の場として独占させるわけにはいきません。
21世紀には、オーケストラやピアノや室内楽のコンサートの演奏曲目のうち半分が世界のあらゆる地域の同時代の様々な作曲家の表現活動の場、4分の1が20世紀の音楽、残る4分の1が19世紀以前の古典を回顧するものという程度の、バランスのとれた構成比になるべきでしょう。
ちょうど、美術館において、古典的名画を見る巡回展と、世界の同時代の作家を紹介する企画展と、日展や二科展やさらに新しいグループの同時代の発表の場、県展など地域レベルの発表の場、その美術館の個性である収蔵品による常設展などが、バランスよく配されるように、クラシックの演奏会が、創造的活動の場として機能していくことを期待したいものです。
有名演奏家をカネで呼び、演奏家の希望を無視したプロモーター押し付けの画一的名曲プロを、ブランド志向小金持ちの気取った場として売り込み、売出し中のCDと同じ音を消費者に聴かせる、何の驚きも企てもないコンサートは、まるで、ブランド物を買いあさり、エッフェル塔の前で、添乗員の指示どおりの記念写真をとる観光旅行のようなものです。
もちろん、そういったものを望む聴衆が多いのが実情でしょうが、予想のできない新しい出会い、自分の世界を広げてくれるような体験を、より期待してくれるような聴衆が、増えるよう、できる工夫を、今から始めなければならないのだと思います。
(1999年8月)