八ヶ岳の硫黄岳頂上の風の音。
晴天の元旦。標高2700メートルの稜線で風の音と、足元できしきしと鳴る乾いた雪の音、アイゼンが岩に当たるカチカチいう音、ザックやヤッケの紐がパタパタ風に震える音など聴いた。
下山して最初に聴いた音楽は、モーリス・オハナのギター協奏曲をナルシソ・イエペスが弾いたCD。
1月4日、今年はじめて聴いたコンサートは、大阪のザ・シンフォニーホールにおけるジャパン。ヴィルトゥオーソ・シンフォニー・オーケストラで、滝廉太郎「荒城の月」が最初の曲目。
この日の世界初演が、三枝成彰作曲、2008年大阪オリンピック招致テーマ曲「2008年の夏」。
前後の曲目、ストラヴィンスキー「火の鳥」組曲とムゾルグスキー/ラヴェルの「展覧会の絵」にはさまれてこの曲が鳴らされるのは過酷。
オリンピックが招致できなかったら、この曲だけが招致活動の成果か・・・
「20世紀は音楽がなかった世紀」「シェーンベルク以降の聴衆の聴くに耐えない現代音楽の世紀」という三枝氏の抵抗のコメントが虚しい。
20世紀の半ば以降でも多くの優れた音楽があってこれからも演奏されて残っていくだろうが、この曲は残らないだろうなあ。わかりやすく景気よく鳴る音楽を作ること以外何も目標の感じられない音楽。
スターリン以上に保守的な耳を持った聴衆というものを専制者として仮想して生まれた音楽。
アンコールに演奏された「すみれの花咲くころ」が、阪神間、とくに宝塚に住む私にとっては身近な「宝塚歌劇」のシンボルのような曲であり、“豊かな文化的生活を享受する大衆゛という聴衆層を生み出したいという夢とロマンをもった音楽であるのとは対照的だ。
2001年1月27日
近藤浩平