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自然の音と調性

読経を含め、人の話し声の抑揚・音の高低は、ドレミファソラシドにははまってませんね。
ヤナーチェクがやったみたいに試しに採譜しようとしてみたらよくわかると思います。

不快ではない音といえば、鳥や動物の鳴き声も、別に、西洋音階にはなってませんね。
メシアンが鳥の声を採譜しているののは、ピアノで弾ける音階にデフォルメしてる。

私は、登山をして、何日間も全く人間の音楽を聴かないことがありますが、自然の中で、長調や短調にはまった音を聴いたことは滅多にないですね。
せいぜい、竹が風に吹かれてひょうひょうと鳴る音が、どれかの音程に近いという程度。

森のざわめき、雪崩の音、風の音、落石の音、谷川の水の音、獣の音・・・・
どれもとくに調性はありませんし、不快でもありません。

人間が竹の筒を切ったり、糸を作って、
それを、2分の1とか、3分の1とか、単純な整数で切ったりして
細工し、調律してはじめて調性の基礎になる音階が鳴らせますね。

2002年4月11日
近藤浩平

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