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シドニー・オリンピック開催便乗企画

オーストラリアの作曲家達(オーストリアではなく)

シドニーオリンピックの開催でオーストラリアに関する話題は多いだろうが、クラシック系のシリアス・ミュージックの分野で、オーストラリアの音楽が話題になり演奏される機会はまだまだ少ない。ごく限られた情報による簡単な紹介ではあるが、オーストラリアの代表的作曲家について触れてみたい。

スカルソープカニンガムグレインジャーイーストン

オーストラリアの数多くの作曲家についての詳細な情報は、Auatralian Music Centre で探す事が出来る。

ピーター・スカルソープ
Peter Sculthorpe
(1929−オーストラリア)

20世紀オーストラリア現代音楽を代表する作曲家として、ピーター・スカルソープの音楽はいくらか耳にする機会がある。
入手しやすいCDとしては、クロノス・カルテッの演奏による「弦楽四重奏曲第8番」がある。(Nonesuch WPCC-3657)
国内盤としても入手できるあの有名なジミー・ヘンドリックスの『紫のけむり(Purple Haze)』も入っているアルバムの冒頭なので聴いたことのある方はかなり多いのではないだろうか。
1970年大阪万博の際には、「日本への音楽」(Music for Japan)というおーケストラ作品を書いており、音楽作品名辞典に出ているだけでも「琴の音楽」(1973−1976)、「3つの俳句」(1964)といったタイトルをもつ作品があり、日本との接点も多い作曲家だ。

 ピーター・スカルソープは非西洋音楽の生命力に極めて強く関心をもつ作曲家で、1969年作曲の弦楽四重奏曲第8番も、バリ島の音楽(ketunganおよびarja)が素材となっているが、作品そのものは非常に抽象的で、素材のもつ民族色地方色などのコンテクストに依存しないものになっている。
 はじけるようなリズム、アタックの生々しい力強さ、神秘的なまた儀式的厳粛さ、音色と触感の豊かさは、西洋音楽と非西洋音楽といった分類を越えた「伝統」の永続的エネルギーに満たされていて、「現代音楽」の閉塞感を感じさせないものであり、現代世界でも屈指の大作曲家である。
 スカルソープは「イルカンダ」というアボリジニの言語をタイトルにもつ作品群も書いているとおり、オーストラリアのネイティブであるアボリジニの音楽・文化への関心を強く示している作曲家であるが特定のローカルな文化を主張する「民族主義的」な作曲家という立場に単純に分類できるような作曲家ではないようだ。オーストラリアのネイティブの音楽(アボリジニの音楽)と移民である西洋人の音楽を融合して「オーストラリアの国民音楽」をつくろうとするわけではない。
スカルソープの音楽探究の範囲はオーストラリアにはこだわらず、バリ、日本などアジア・オセアニアの音楽に広がっている。スカルソープが目指していることは、インターナショナルな現代音楽に、非西洋音楽に見出されるような強烈な生命力や豊饒さを獲得することなのだろうか、作曲家としての非常に実際的・現実的探究として非西洋音楽に学ぼうとしているように見うけられる。

 21世紀になってから20世紀後半を振り返ったとき、スカルソープは「シリアス・ミュージックの世界化」を代表する非常に大きな存在として認識され、演奏機会の多い作曲家になると私は予測している。

スカルソープについては、オーストラリア放送のスカルソープ生誕70周年記念のサイトがあるので、おすすめする。

2000年9月15日記
近藤浩平

バリー・カニンガム(カニングハム)
Barry Conyngham
(1944−オーストラリア)

1944年シドニー生まれの作曲家、カニンガムは日本との関わりの非常に深い作曲家である。
10代でジャズ演奏家として活動した後に、スカルソープに個人的に学び決定的な影響を受けている。
カニンガムはアジア(インドネシアと日本)の音楽への強い関心を、スカルソープから学んでいる。

 1970年大阪万博の際、カニングガムは日本を訪れ、武満徹に学んでいる。「武満徹に学んだ」というのがどういう形だったのか不明だが、経歴に「武満徹に学んだ」とはっきり書く唯一の作曲家である。
1970年の大阪万博では、シュトックハウゼン、クセナキス、ルーカス・フォスにも出会っている。
日本に関わる作品「水、足音、時(Water...Footsteps...Time)」(1970)、「氷の彫刻」(1971),コントラバス協奏曲「能の亡霊(Shadows of Noh:Concerto for Double Bass)」(1978)、「芭蕉(Basho)」(1981)がある。
また、協奏曲として、「ピアノとDX7とオーケストラのための協奏曲(Concerto for Piano,DX7 and Orchestra)」(1989)という作品があり、これはヤマハのキーボード(Yamaha DX7)を独奏楽器として作曲されたもの。独奏者はピアノとDX7の両方を演奏することが求められている。

 カニンガムは、オーストラリアの広大な風土、ランドスケープを主題とした作品を書き続けている。多数移民の西洋人の持ちこんだ西洋音楽・文化が圧倒する一方で、少数のネイティブであるアボリジニの音楽・文化があるという状況下、ネイティブの文化と西洋の文化の混交により「オーストラリア独自の音楽文化の性格が成熟し生まれてくる」ということが社会の構造上、実現してこなかったオーストラリアにおいて、たとえばラテン・アメリカの作曲家達やアメリカの作曲家が、フォークロアあるいはジャズやポピュラー音楽などの混合文化を反映させて、自分のネイティブな音楽性を音楽作品に結実させるという方法は困難だったと想像される。
 オーストラリアの社会には、アメリカにおいて白人の音楽、黒人の音楽、各地からの移民の音楽が混交して雑種となり新たな音楽文化として成熟したようなポピュラー音楽(ブルース、ジャズ、ロック、カントリー・・・どれもそういった雑種だ)に相当するスタイルがまだ生まれていない。ラテン・アメリカにおいてヨーロッパ人の音楽とインディオ、黒人の音楽が混ざり雑種化して生まれたラテン・アメリカポピュラー音楽あるいはフォークロアに相当するようなオーストラリア音楽が成熟したものとしてまだはっきりとした姿を見せていない。アボリジニの文化をバックグラウンドとしたロス・インディなどが注目を集めはじめるなど、個々のムーブメントが次第にオーストラリアのポピュラー音楽の今後、大きな流れをつくりだしていくのだろうか、あるいは、アメリカ等のポピュラー音楽の世界的流通にのまれてローカルなスタイルをはっきりもたないままとなるのだろうか。ともかく、現時点までのところ、ガーシュウインやヴィラ=ロボスがとったような方法はオーストラリアの作曲家には可能性としてなかった。

 カニンガムは、オーストラリアの風土、ランドスケープ、地理的な位置と、一人の人間として徹底的に対峙することで、「オーストラリアの音楽」の性格を生みだそうとしている。
「空(Sky)」(1975)、「蜃気楼(Mirages)」(1978)、「南十字星(Southern Cross)」、大作であるバレエ音楽「広大さ(Vast)」(1988)といった作品が生まれている。
「Vast」は4部からなる作品で各部は「海(The Sea)」「海岸(The Coast)」「内陸部(The Centre)」「都市The Cities)」というオーストラリアの風土の4つの典型をタイトルにもっている。
広大なランドスケープを描くカニンガムの音楽は、茫洋とした風景を描くBGMになりかねない危険な路線を敢えて辿り、あるいは東洋の文化の幽玄と繊細さの欠如した「武満の亜流」に陥りかねない危険な場所を通りながら、「オーストラリアの風土から生まれた音楽」を探究しつつある
2000年9月16日記
近藤浩平

カニンガムの音楽を聴く事ができるCD

2つの協奏的作品を聴くことができる。演奏も作品も鮮やかで透明な南半球の色彩感。
・Southern Cross
・Monuments

Geoffrey Simon/London Symphony Orchestra
CALA CACD1008

大作バレエ作品「Vast」の全曲。作品はやや大味か。
・Vast
John Hopkins/Australian Youth Orchestra
ABC Classics 432 528-2 (Australian Broadcasting Corporation)

その他のオーストラリアの作曲家

パーシー・グレインジャー(Percy Grainger1882-1961)はオーストラリア出身だが、活動はイギリス中心であり、またブゾーニグリーグディーリアスとの関わりの深い作曲家である。1914年渡米し、1919年帰化。
収集し素材としたた民謡もイギリス民謡であり、オーストラリア音楽として語ることは難しい。

マイケル・イーストン(Michael Easton1954-)は、Naxosから作品集が出ているのでCDの入手は容易。
UK出身で、いわばフランス的新古典主義者ともいうべきレノックス・バークリー(Lenox Berkley1903−1989)に学んだ後もっぱら音楽出版に関わった、1982年にAllans Musicのヘッドハンティングにあってメルボルンへ移り、たちまち作曲家、アレンジャーとしての地位を築いたというのが、CD解説に紹介されている経歴。
ピアノ・デュオ、音楽評論でも活躍。児童のためのオペラや、映画、テレビ、ミュージカルの音楽など多数手がけているということなので、現地のメディア・教育などの分野では知られた人なのだろうか。
 作風は全く調性的で、師レノックス・バークリーの影響か、フランス6人組プーランクとミヨーラヴェルジャズの影響が強いと解説されている。聴いてみると、イベール、フランセの標題音楽的軽めの作品や、時にブリスやカバレフスキーオーリック、サティなども連想させるエンタテインメント性の強い音楽であるが、これら20世紀前半の作曲家の醒めた知性と洗練や密かな毒気の見出すことは難しい、サービス精神いっぱいの健全な音楽である。様式的には非常におとなしく、フランス6人組のような実験精神は見られない。
オーケストレーションは、独創的とはいいがたく、フランス近代の1910−1930年台に学んだ効果的で巧みなものといえばいいだろうか。
 岩代太郎か山本直純の音楽作品のような位置をオーストラリアのメディアで獲得しているのだろうか。
「パリのオーストラリア人」といったタイトルのものがあることからも想像されるとおり、人を楽しませるサービス精神を発揮し、手際良いオーケストレーションで効果的に聴衆を喜ばせる術を持った作曲家ではあるが、フランセやイベールほど面白さと繰り返し聴くに耐える永続的音楽的個性を持っているかといえば疑問だ。
 とはいえ、実演、放送、舞台など老若男女その場のすべて聴き手を楽しませ喜ばせる力量は大きい。
ナレーションのついた「Beasts of the Bush」はアボリジニの伝説に題材をとったもの。「ピーターと狼」のように、親子コンサートなどで演奏すれば楽しく意義のあるコンサートになるだろう。台本が良いもののようだし、音楽は変化に富んでいる。実演なら、少々上品すぎるプーランク「小象ババ―ル」よりも、がやがやした子供達を引き込むことができるかもしれない。「Concerto for Piano Accordion,Piano and Strings」も音色の組み合わせが楽しく気がきいている。
CDは、Naxos 8.554368

2000年9月17日記
近藤浩平 

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