日本100名山登頂記録一覧表へ戻る

紀子の日本百名山体験記〜上越   1999年9月記

●魚沼駒ヶ岳 2033m●平ガ岳 2141m●巻機山 1967M●谷川岳 1977M(オキの耳) ●雨飾山 1963m苗場山 2145m●妙高山 2454m●火打山 2462m●高妻山 2353m

●魚沼駒ヶ岳 2033m 98年8月1〜2日 単独/曇雨

 今は越後駒ヶ岳と呼ばれるこの山は、なかなか縁遠い位置にあり(関西からは特に)、容易ではない。八海山、中ノ岳と併せて越後三山と言い、この三山駆けをした者はその経験を語る時、誇らしさと言うより、苛められてネジ曲がった心根ちょっぴり披露しつつ、意地悪く人にも同じ体験を勧めるのだ。要するに辛い山なのだ。私も三山駆けに憧れるけど、単独だったので、二山に止め置いた。
 駒ヶ岳には一番楽な枝折峠から入る。眼前の荒沢岳は事故が多いと聞く急峻な岩山である。その奥に奥只見湖がきらめく。駒ヶ岳は、緑々しい。うねうね進み、登りきると突然小屋が現れる。裏には雪田があり、小川が流れている。
 この年は全国的に雪がない年で、水がないと聞いて、沢山担いできたのに、無駄だったのね…。まあ、ともかく水は、縦走の鍵を握り、三山駆けの辛さは、この先の笹薮と喉の渇きに集約される
 GWに縦走した友人K夫妻でさえ、水に苦労したのに、辿り着いた小屋の、毒舌だったらしい前のおやじから「夏でないと縦走の価値が無い」とコケにされた?そうな。わが夫は、ちゃんと暑いお盆の最中に行き、辛苦をなめて、連れ立った友人から「岩場、お花畑、雪、と物は(北アルプスのように)そろっているのに、心湧かない山」と見放されて、以後同行してもらえない。小屋付近だけが唯一のオアシスだそうだ。
 さて、山頂には宗教色濃い石祠などあるが、ガスに覆われて展望の無い、一人きりの寂しい登頂であった。しかし百名山ブ−ムを反映してか小屋は賑わう。山から見下ろすとお花咲く草原台地の端に小屋は建ち、後が切れ落ちた谷底から沸き立つ雲間に浮かぶ様である。今の若い管理人は優しく、彼が撮った駒ヶ岳への愛あふれる写真集には感銘した。  

 翌日、中ノ岳へ縦走する人は私一人の様だ。霧雨が深く、次第に頭上を越す笹薮を漕ぎ漕ぎ平泳ぎ、足元の道を外すまいと気をつける。迷い人が多いのか、幾筋にも道が分かれているのだ。ひたすら泳ぐ。
 突然、前方下から声がして、それに応える声が後方からする。誰にも会っていないのに、どうして挟まれているの?私は正しい道を歩いてきたはず…。確かめようにもガスが濃くて、何も見えず、言葉が聞き取れないが、呼び会う声はお互い近づきつつある。別筋の道を歩んでいるらしい。
 中ノ岳を下り、
兎岳からの合流点で、本日最初の、正真正銘、人の姿に出会った時は心底嬉しかった。駒〜中ノ岳ほど、淋しかった縦走はない。兎〜丹後山へ道はお花多く良いらしい。ちなみに、八海山への道はまた凄い笹薮だそうだ。
 私は
十字峡に下る。主稜線の雨雲群から抜けると、雲間に覗く中ノ岳八海山の五竜岳の山腹の険しさに、惚れ惚れする。
 するとまた突然、左崖の下から青年が血相変えて上ってきた。何でも、休もうと道に置いたザックが、転がり落ちたそうだ。全財産ごとなので、必死で探しているが見つからない。見つからないと帰れないので、お金を貸してあげて別れた。まだ探すらしい。
 道は両側とも切れ落ちた急な尾根道で、途中で会った、草刈りに来てた陽気なおじちゃん達(夕方の宴会に誘われた)に事情を話して、彼が滑落行方不明になどならないように頼んでおいた。
 それにしてもこの急坂長い道には閉口する。辛かった下り道の5指には入るね。しかもガクガク着いた
十字峡からバス停迄、車道を1時間以上小走りせねばならなかった。
 六日町から翌日八海山を目指す。リフトに乗って往復する計画だったが、山麓から見上げる山は、雲に覆われていたので、登るのはさすがに止めた。。八海山こそが三山のメイン、日本有数の信仰の霊山であり、激しい修業道場として栄え、スリルあるもの凄い鎖の道が楽しめるそうだ。この日は長岡の有名な花火大会さえ、中止になったくらいだから仕方ない。またいつか…。
 尚、青年は無事ザックを見つけだし、後日お金と礼品を送ってくれた

●平ガ岳 2141m 96年10月6〜7日 同行夫/快晴

 これがまた辛い山なのだ。山小屋がないので野営装備を担いで、登り6〜7時間。軽荷だと10−12時間かければ往復でき、鷹ノ巣に止まった登山客らは日帰りの様子だ。
 実は皇太子殿下が登った時の裏道というのもあるが、林道は整備されず通行止めのはず。にもかかわらず、地元の人は利用して、山頂付近にのみ、人が多かったぞ。
 私達は、前日の会津駒の疲れを引き摺って、重荷に振られながら、休み休み登る。
下台倉山への急登やせ尾根道は、岩と松の道で、良い松の根に座っては、展望を楽しむ。
 錦秋深く、山斜面を彩る鮮やかな紅葉素晴らしい道を行ながら、双耳の
燧岳の雄姿を眺めては感嘆する。それから長い暗い樹林帯のねかるみ道、やっと笹原へ出ると越えてきたなだらかに展開する広い森に感慨を寄せるが、さすがの夫もバテバテだ。私はといえば、青空の下、輝く緑の原に点在する灌木の真っ赤や黄の色彩美にもう有頂天、嬉しくてたまらない。
 やがて茶褐色の湿原が広がり、
池ノ岳から姫ノ池。ああやっとやっと、その名の通り平らな平らな平ガ岳を眼前にして、この上越の大好きな高層湿原、空映す池塘群が光る秋模様に、歓声をあげるしかない。まさに山上の楽園!
 そして木道少し下ると、シラビソ等に囲まれた小湿原の中の野営地。重い荷物におさらばして、飛ぶように山頂へ。夕方の誰もいない頂に二人、この広々とした平らな湿原にまっすぐ木道は伸び、越後三山や尾瀬方面の山々ら名だたる山にぐるりと囲まれるのだ!!
 そして、この山の不思議、
玉子石に向かうと、例の裏道登山者がぞろぞろ。泊りは三張テントが並び、お隣こそがよく登場する彦根の友人K夫妻、最初の出会いである。翌日下山して米原迄乗せてくださった。
 それにしても紅葉バカ素晴らしく、
平ガ岳は名山であった。

●巻機山 1967M 95年9月9日 同行長岡M氏/晴

 この頃、百名山の数稼ぎに必死であった。1回で二山以上稼ぐ為に、ここと谷川と駆け足で登ったのは残念だったな。
 長岡のM氏は、そんな私によくつき合って下さった。私と登るのがとても楽しいと、可愛がってもらった。毎年百山以上登っているベテランである。私達はお山の父娘である。
 さて、
巻機山は日帰りで登るには歩行時間のかかる山で、入山時刻が遅かったが、そんな訳で天気も良さそうなので、登ることにする。この山も特に沢コ−スは事故が多いと有名らしい。ヌクビ沢を行く。危険箇所、捜索された場所などを教えてくれる。こんな季節でさえ、大きな雪塊が残っている。ニッコウキスゲも。山は緑緑しく、次々美しい滝が現れる。こんなに大きなナメ滝を登ったのは初めてで感激した。巻機山の四峰の一つ割引岳に到着したのは午後3時過ぎ、ビ−ルで乾杯。
 稜線は上越らしい草原を、所々木道の道を横切って進む。まだ紅葉前の黄緑色の草地の中に白い花が風に揺られ、なだらかな斜面が続く。もう既にガスに覆われていたので展望はない。巻機本峰を途中であきらめて、階段の井戸尾根の道を下った。

 下った集落の清水は、重要な峠の宿場町として昔は栄えたらしく、泊まった宿は氏が「宮大工の従兄弟?に見せてあげたい」と言う程立派な造りであった。今は交通など隔世された冬の暮らしぶりなどが、NHK番組に収録された時のビデオを見せてもらった。日本昔話のようだった。

●谷川岳 1977M(オキの耳) 95年9月10日 同行長岡M氏/晴

 「魔の山谷川岳は、遭難死者の数が世界で一番多い山である。尤も冬期や一部の沢ル−トに集中するから、無知な人が「危ない山」と止める程ではなく、多くの登山者が楽しんでいるのだ。唯、気象が非常に難しく、周りが晴天でももこの山だけは例外だったり、その逆もあるのか、私達が行った時には予報に反して青空が見えたりして幸運であった。
 
天神平から往復する。樹林帯の斜めでよく滑る木道のトラバ−ス道を行き、灌木帯から急登が続く。途中見晴らしの良い岩場で休み、目指す緑の谷川岳や、深い谷間など見下ろす。吹く風が心地よい。
 やがて道はガれて
肩の小屋に立つと山頂トマの耳はすぐ。西側はややなだらかな草原広がり、切れ落ちた東側よりはなだらかな山稜が続く。もうガスがたってきて、遠望はないが、北アルプスみたいな緑の稜線に感動、切り立つ露岩の上に立ったりポ−ズをとって遊ぶ。 双耳のもう片方、オキの耳まで行くが、憧れの縦走路には、わらじやロ−プが乾してあったり、私ら一般登山者とは違ういでたちの、何処から来たんですか?と聞きたくなる、沢や岩から?の、いかめしく見えた山岳部員らがいて、まだちょっと腰が引けた。
 一般道である
西黒尾根も鎖が切れていたり、整備が乏しいと聞いた。う−む、この頃の私にはやはり往復コ−スが無難で良かった。病み上がりのM氏は急登では苦しそうだったが、ベテランの技を披露してスルスルと華麗に下っていく姿はさすがである。本当にお世話様でした。今年の秋こそは縦走するぞ。
1999年10月再登、「いずこの山もそれぞれ」記録参照

●雨飾山 1963m 95年10月14日 同行長岡M氏/快晴

 紅葉が素晴らしかった山として、三指中には挙げたい、いやベスト1かも。その鮮やかすぎる色彩美を語る術はないが…。
 
小谷温泉からとにかく、天抜ける青空に、燃え立つ様な山々に囲まれ、木々は赤や黄に色放てる限りの力で彩り、見上げては歓声を挙げつつ写真を撮るので登りの辛さがない。
 殊に
荒菅沢付近、蒼天高く、布団菱の白い岩壁が突き上げ、同質の白い大岩転がる河原を、濃淡の緑色と紅葉の樹々が取り巻いて壁へと押し迫るのだ。興奮してファインダ−だけを覗いてると足元が危うい。対岸の尾根に取り付く道は急で滑落事故もあるらしい。
 登山者で渋滞しながらも、見飽きることのない風景に、気分は高揚しっぱなし!!
笹平に出ると、なだらかに笹の原続く先に雨飾山がそびえる。青く輝く日本海へは小さく鋭い岩峰群が伸び、反対に金山の後に焼山火打山が頭を覗かせ、妙高へと縦走できた事や、焼山の火山活動などM氏に教わる。
 山頂からは雲一つない
北アルプスの山波が大きく広がる。もう、嬉しくて御機嫌 御満悦 顔の私しかいない。

●苗場山 2145m 97年10月12〜13日 同行夫/曇

 やや傾きながらも平らな卓台の様な、広大な台地を山頂に持つ山である。そこは高層大湿原に花咲き乱れ、点々と池塘が青空映して輝く、私の最も愛する山風景が在るものと憧れ抱き続けたのである。
 秋のベストシ−ズンを選び、大期待を胸に、
小赤沢を出発する。濃霧の森に出現する大木達は幽玄な趣はあるが、山頂台地の一角に出ても天気はどんよりとし、歩む木道周辺の湿原は干上がって荒れていて、どうしようにも気分の盛り上げ様がない。
 あまつさえ、辿り着いた頂の三角点地は
山小屋遊仙閣の裏のゴミ置場ではないか。この山頂への敬意の無さには泣けてくる。
 気を取り直して夕方の散策に出るが、荒涼と続く草原を区切る濃緑の針葉樹の一群がまた、北国の冷厳さを写してただ寂しく風に吹かれるばかり…。それはそれで風情はあるが、何かこう、気品というか、毅然さがない。
 苗場山よ、貴方はこんなではないはず、私達の行った時だけ悪かったのでしょ!?貴方はもっと良い山…よね?次に登る時こそは、本来の爽快な山姿を見せて下さい。

 翌日下った平太郎尾根は、整備悪いが、やや紅葉した樹林(そういえば、この年の紅葉は悪かった)に囲まれた小湿原は、ピンクの小花が咲いてひっそりと華やぎ、森の中は色々なきのこがあって楽しい。
 翌日鳥甲山に登る予定は曇天と疲れの為中止し、泊まった
秋山郷は車行き交い、秘境の趣、感じられない

●妙高山 2454m 94年10月15日 同行長岡M氏/晴

 笹ガ峰牧場周辺は紅葉の真っ盛り。登山道の両端の林床のみ笹の緑を残して踏み分ける落葉や見上げる樹々は全て赤や黄色に染まり、黒沢の清流にカメラマン達が所狭しと三脚を並べていた。
 
富士見平位まで素晴らしい紅葉の森を、きれいな楓葉拾い拾い、ウキウキ進む。やがてネマガリダケ一帯を越すと、前週の縦走楽しかった後立山の山波が見え、連週の幸福に感謝せずにはいられない。黒沢池湿原、木道を歩く。
 枯れ原をとり囲む笹緑の山斜面に紅葉の灌木や落葉した白い樹肌のダケカンバが美しい。風雪に耐えた姿なのか、この木らの一本一本、身や腕をよじりながら成長しようとする幹、枝ぶりに味があるのだ。枝先だけが赤いので遠目にも立体感と華が生まれ、
妙高の稜線近くまで彩る。
 
大倉乗越から見下ろす長助池付近の色彩が一番華麗で、鮮烈に思い出せる。そして重量感と気品ある山容が眼前に現れる。頭は桃割れて少し窪んでいる。急登上ると、南北の峰とも岩塊が転がる広い頂だ。展望良かったが、私は山頂に立てただけで、ただ無邪気に嬉しい。
 この中央丘を中心に、外輪山が「まるでかごめかごめの遊戯のように」取り巻いて雄大な裾野を広げる様を
越後富士と称すのだろう。





●火打山 2462m 94年10月16日 同行長岡M氏/曇

 黒沢池ヒュッテは八角形のド−ム型で、寝るのは吹き抜け中央から放射状に並び、朝食はクレ−プと、異彩を放つ忘れられない小屋であった。高谷池に立つヒュッテも三角形の目立つ小屋だが、周囲の景色によくあっている。
 ここの湿原一帯も美しいが、火打の売りは「
天狗の庭」だろう。赤い草紅葉彩る岩の点在する、枯れ湿原の木道の先に火打山が見え、続く秋深い茶褐色の広い原に、静かに風が吹く。大きな池塘にその山姿を映す。火打、裏火打、焼山と三つの三角の山が尾根を平行に、伸ばして並ぶ。優しそうな山容だ。途中のダケカンバの森も好い。触ったりよじ上ったり抱きつかずにはいられない。
 そうして登っていくと、庭が見下ろせ、
妙高の頭と外輪の山々、遠く北アルプス谷川連邦など指されるままに眺めつつ写真に納める。山頂からは焼山の噴煙が上がり雨飾山には雲がかかっていた。
 火打は「残雪の山スキ−によい」と聞いた。素人目にもなるほどと思うなだらかな斜面を下りながら、いつかはと憧れ抱きつつ未だにスキ−だけはど下手なままだ。

●高妻山 2353m 94年11月4−5日 同行横浜M氏I氏/晴

 11月になってもまだ山に登れると聞いて、付いていった。彼らはこの9月の南ア北岳間ノ岳単独縦走の時、お友達になりお世話になった横浜の人達だ。
 晩秋の
戸隠牧場から、一不動小屋を目指す。避難小屋に泊まるのは初めて。山はうっすら雪化粧。途中の岩場は凍りつき、鎖は短く切られたのが、数間隔で垂れ下がる。「帯岩」と言う、普段でも滑りやすい一枚岩をトラバ−スするのに、何でつながってないの?どう頼って進むべきか、今だあの鎖の付き方は謎である。なのに、たくましい山男達のお陰で、ただただ脳天気な私だった。
 最後の水場で、3人で10L位の水を担ぎ上げる。「山の食事への執着心」は、グルメなこの人達から受けた影響大である。
 
一不動に重荷を置き、二釈迦、三文殊、四普賢、と石祠を順にたどり登れば五地蔵岳だ。飯綱山との間に戸隠高原が広がり、「かごめかごめ」の妙高と立ち並ぶ火打、焼山はまっ白い。眼前に迫る高妻山はこんもりと樹氷の木々に覆われて、青空に笹緑と白雪の混じる色彩が何とも言えぬ美しさだ。
 雪付きの急斜面は、ネガマリダケを掴みながらよじ登っていく。
六弥勒、七観音、八薬師、九勢至と続いて高妻山の山頂は十阿弥陀如来という訳だ。樹氷の花々輝く先に白い妙高の中央丘が覗く。北アルプスのシルエットがそびえ連なる。岩壁鋭く屏風のように広げた戸隠の峰々は見下ろす形になる。
 仏経臭い石祠らはこの
戸隠の関連に違いない。日本有数の修験場として栄えた戸隠山の御裏山として高妻山、十一阿閃、十二大日、虚空蔵菩薩乙妻山が続く。
 一大展望パノラマを楽しんだ後、
一不動に戻る。途中、出たブロッケンがとても綺麗で感激。夜は美味しい関東風お雑煮を作ってくれた。
 翌日その
戸隠山へ。更に冷え込んで周りの山々は白さ深まり、朝日に照らされる。標高の低いこちらには雪はさほどない。何より、高妻山がスックと立ち上がり、秀麗な三角錐の気品ある山容が、ちょっと北岳にも似て忘れられない。この先、八方睨からがやせた岩峰稜線の有名な修験場続く表道だが、そこまで行かず、小屋に戻って楽しいお餅焼き大会、元の滑る沢道を下り、牧場ではお蕎麦大会と続くのだった。