ニールセンの交響曲には、警告を発するような木管のシグナルや、突然、記憶によみがえってくるような小太鼓の響きがあらわれる。
自らがおかれた状況の記憶と結びつく、これらの象徴的な音の記憶が、交響曲の大きな音の空間に出現し、音楽の進行を転換する決定的な役割を演じる。
最初はかすかな予兆のようにあらあれ、警告のように姿をあらわし、たちまちのうちに、激しく状況を一変させてしまう。
こうした音の記憶は、ニールセンが置かれた20世紀的状況と強くむすびついている。
第1次世界大戦を経験したニールセンの場合、個人をいやおうなく巻き込んでひきずっていく戦争や政治状況といった、今日的な不安感、恐怖感とむすびついている。ベートーヴェンやブラームスの交響曲の伝統をひく、意識的個人の=精神=感情の表明といった西洋近代的人間表現は、20世紀的社会状況との対決を強いられる個人の良識、意志の表現へと変質している。
ニールセンの音楽は、こうした意味で、ショスタコーヴィチの音楽と近いところにある。
ショスタコーヴィチの場合、全体主義的な社会の中に置かれた少数派の良識的個人としての絶望的な孤立感、他人に容易に本音を明かすことのできない恐怖が強く感じられるのに対して、ニールセンの場合、自分の良識、意志を共有できる人々がより身近に多くいるといえる社会にいたためか、ショスタコーヴィチにおけるような孤立感の恐怖はほとんど感じさせない。ニールセンの音楽には、より楽観的な人間信頼が感じられる。
ニールセンの交響曲第1番にはブラームスの影響が大きい。ベートーヴェンからブラームスとつづく交響曲の伝統の延長上からニールセンの交響曲は出発していると言える。その点、同時代者シベリウスがチャイコフスキーなど19世紀ロシア音楽の影響を受けながら出発しているのとは、地理的な位置の違いを示している。
ニールセン以前のデンマークの交響曲を代表するニルス・ガーデも一見、メンデルスゾーン、ライネッケの系譜につながる穏健な作風ながら、ピアノ独奏付きの交響曲など独特な試みをしている。この傾向をひきついだのか、ニールセンの交響曲のうち古典的枠組みの作品は1番のみで、2番以降、
とくに3番以降は、それぞれに独特の形式、構想で書かれている。
主要作品:
交響曲第1−6番、歌劇「仮面舞踏会」、「アラディン」、「クラリネット協奏曲」、「フルート協奏曲」、「木管5重奏曲」
「ヴァイオリン協奏曲」、序曲「ヘリオス」