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Ottorino Respighi 
(1879−1936イタリア)

レスピーギは、ロシアで管弦楽法の大家リムスキー=コルサコフに学んだ作曲家であり、各楽器の響きと特徴を最大限にひきだしながら朗々と色彩的に旋律と和声を鳴り渡らせる管弦楽法によって多くの聴衆を魅了し、オーケストラの奏者に鳴らす喜びを最大限にもたらす。
ヨーロッパ中心部、しかもイタリアの作曲家でありながら、リムスキー=コルサコフのオーケストレーションの最大の後継者である特異な存在といえる。

 同門の
ストラヴィンスキー「火の鳥」(1910年)において、リムスキー=コルサコフの豊かに響く色彩的な管弦楽法、異国趣味的なケバケバしさ、管弦楽のマッスの力を最大限に引き出す狂暴なまでに強調されたリズムの推進力といった路線を最大限に推し進めた後、「春の祭典」でまず朗々と豊かにブレンドされて響く管弦楽法から逸脱し、さらに「結婚」以降は、音楽構造の骨格を明確に聴かせる、いわゆる新古典主義的な楽器編成法へと転向してしまう。
一方、
レスピーギは1928年の「ローマの祭り」にいたるまで、管弦楽におけるこの路線を離れずに推し進める。

 ドイツ、オーストリアの世紀末前後の作曲家の大オーケストラの作品のように、錯綜とした複雑な線的構造をもったオーケストレーション(シェーンベルクの「ペレアスとメリザンド」やマーラーの後期、リヒャルト・シュトラウス、レーガーなど)でもなく、ドビュッシーのような繊細な音響のモザイクでもなく、ヒンデミットやストラヴィンスキーの新古典的な乾いた骨格の管弦楽でもない、リムスキー=コルサコフの管弦楽の延長上に
レスピーギのオーケストレーションはあり、その路線を1930年頃まで推し進めたという点で稀少な作曲家だ。
「ローマの松」「ローマの祭り」「教会のステンドグラス」「シバの女王、ベルギス」などでは、こうした管弦楽が極限まで実現されており、実演で聴衆を圧倒する力は、音楽史上最大級といってよい。
ロシアでは、プロコフィエフやショスタコーヴィチは、リムスキー=コルサコフの管弦楽法を継ぐものではなく、レスピーギの管弦楽はいわば同時代の中で孤立した存在となっている。

 さて、
レスピーギは、イタリア音楽に器楽の再興が本格的に始動し、ルネサンス、バロック音楽等イタリアの古い器楽が急速に再評価され、研究され、演奏され始めた時期に活動した。
ヴィヴァルディやモンテベルディの研究をすすめた同時代者
マリピエロ(1882−1973)等と同様に、レスピーギイタリアの器楽の復興に強い関心を持ち、16−17世紀の音楽による「リュートのための古風な舞曲とアリア」等、数々の編曲作品も残している。
 とくに、
レスピーギに目立つ特徴は教会旋法への強い関心である。「ローマの松」等、良く知られた華やかな標題付きオーケストラ作品では、それが、ちょうどロシアのリムスキー=コルサコフやボロディンの異国趣味的旋法のように扱われ、ローマ時代など自国の遠い過去の世界を対象としたエキゾティシズムといった様相を呈しているため、多くの人のシリアスな関心を得ないままになっているのだが、レスピーギが教会旋法への新しい探求を求めて残した作品も無視するわけにはいかない。
「ミクソリディア旋法によるピアノ協奏曲」(1925)、「グレゴリオ風協奏曲」(1921)、「ドリア旋法による弦楽四重奏曲」(1924)といった作品がある。
これらの作品は教会旋法を採用したために、機能和声の緊張感を放棄しており、旋法的な線を重視したために、一般的に
レスピーギに期待される流麗、華麗な旋律、華やかなオーケストレーションといったものに欠け、いずれもレスピーギの作品としては不人気なものである
しかし、これらは、モードによる大規模な作品への類例の稀な試みであるだけでなく、モーダルな美しい線が悠々と連なっていく美しい静かな音楽であり、ノーマン・デオ=ジャイオやホヴァネスやカウエルなどの旋法による作品を先取りするような音楽であり、レパートリーとして再検討がなされてもよいと考えられる。

1999年9月20日 近藤浩平 記

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