20世紀100名曲 作曲家別リストへ戻る

ホアキン・ロドリーゴ Joaquin Rodrigo 
(1901−1999スペイン)

フランコ独裁政権時代のスペインを代表する音楽

アランフェス協奏曲による世界的ポピュラリティ
「アランフェス協奏曲」によって、世界的に一般の聴衆と演奏家からのポピュラリティを獲得した20世紀スペインの作曲家、ホアキン・ロドリーゴは、パリのスコラ・カントルムに留学しデュカスに学び、簡潔で近代的な音楽様式は、先行するファリャやとくにトゥリーナ等の新古典的で民族的素材をスタイルを継承している。

透明な新古典的プリズムを通した古いスペインの幻影
ロドリーゴの音楽は19世紀ロマン派音楽の重厚さを避けていて、楽器法はむしろ高音の透明感を強調し、新古典的プリズムを通した18世紀以前のスペインの幻影ともいうべき音の風景をつくりあげている。アランフェス協奏曲の有名な中間楽章の美しい旋律が、様々なアレンジにより非常にセンチメンタルに濃厚な表情をもって演奏されてきたために、あまり気付かれていないかもしれないが、ロドリーゴの音楽の多くは明確できびきびとしたリズムを持ち、いわばモダンに隈取られた民族舞曲・宮廷舞曲・擬似古典・バロック舞曲を基本的性格としている。
ファリャのようなフラメンコの要素や強い宗教性や儀式性・神秘性は目立たず、スペインの古い宮廷音楽や穏健な民族舞曲への憧れが目立つ。

ギターの復興
「アランフェス協奏曲」
はギター協奏曲という一旦すたれていた形態の復活、ギターという楽器の演奏会場での復興というタイミングに対応し、カステルヌオーヴォ=テデスコ(1895−1968イタリア)のギター協奏曲第1番と同じく、1939年に作曲され、1940年に初演されている。ちなみに、マニュエル・ポンセの「南の協奏曲」は1940年作曲、1941年初演で、ギターとオーケストラという組み合わせへの需要がこの時期、急速に生まれたことが察せられる。
20世紀において最も隆盛した楽器といえば、ポピュラー音楽も含めた音楽全般においてはギターであったといえるのではないだろうか。クラシック・ギターのみならず、エレキ・ギターやフォーク・ギターなど含め、20世紀において、ギターは安価で移動が容易なパーソナルな楽器として、また歌う旋律から和音による伴奏、また、パーカッション的刻みの可能な万能楽器として様々な場面で活躍した。ギターの特質は、20世紀のポピュラー音楽の特質に大きく関与している。
ギター再興に大きな役割を果たした
「アランフェス協奏曲」がクラシック音楽の世界だけでの名曲ではなく、ポピュラー、ジャズなど様々なジャンルを横断して愛奏されていることには十分な理由がある

フランコ独裁下のスペイン音楽
20世紀の多くの地域で作曲された音楽には、20世紀の政治状況、社会状況を鋭く反映したものが多い。旧ソ連のショスタコヴィチやプロコフィエフ、ドイツのハルトマン、ヒンデミットやヘンツェ、オーストリアの新ヴィーン楽派、東欧のバルトーク、イタリアのダラピッコラやノーノ、デンマークのニールセン、イギリスのホルスト、ヴォーン=ウィリアムス、ブリテン、ティペット、フランス6人組のオネゲル・・・・・。とりわけ政治的な緊張と困難があった地域からは、それを反映した音楽作品が生まれてきた。
ところが、スペイン近代の音楽については、少なくとも、現在の日本で知られ演奏されているレパートリーに、このような政治的、社会状況へのメッセージ性をもった音楽は目立たない
旧ソ連のような厳しい政治体制下でもあえてそのような性格をもった作品が発表されているのに奇妙なほどである。
スペイン音楽といえば、情熱的・神秘的と形容され民族色エキゾチックな情緒と明るい陽光と南国的夜の音楽のイメージが強く、ファリャ等の作品もそのような側面からもっぱら楽しまれているのが実情だろう。実際の政治・社会の状況としてスペインの20世紀は非常な動乱と緊張の社会であったにもかかわらず、それを反映した近代スペインの音楽作品に出会う機会は皆無といえる。

1931年のスペイン共和革命1936年の人民戦線内閣成立に対し、フランコ1936年7月に軍部・地主・教会の右派勢力を基盤に反乱を起こし、ドイツ、イタリアの援助を受けて1939年3月にマドリードが陥落、フランコの独裁政権が誕生1975年にフランコが没するまでこの独裁体制は継続し、旧共和国政府側の人間、社会主義者、左派への徹底した抑圧が続いた。
有名なピカソの「ゲルニカ」は、このスペイン内乱の1937年に起きたドイツ・イタリア空軍による共和国側の拠点都市ゲルニカの近代兵器による徹底した破壊を描いたものだ。
とりわけ、富裕な大地主階層と、農業労働者=小作人層の対立が激しかったスペインにおいては既得権を守ろうとする階級・教会と、左派・社会主義者の対立は大土地所有の解放をめぐる流血に至る激しいものであったためフランコ政権成立後の左派への反動的抑圧も激しく持続的なものとなった。一党独裁となり言論の自由は抑圧された
内戦終結直前に約50万人の共和派が国外脱出し、1939年からの4年間だけで約19万2000人の共和派が処刑されたというスペインの過酷な独裁政権下の状況は、充分に知られてはいない。
このフランコ政権下、旧共和派の人の中には、30年にわたり潜伏し続けた人もある。
その状況は、ロナルド・フレーザー著、長谷川四郎訳『壁に隠れて』(平凡社刊)でうかがうことができる。この本は、30年にわたり自宅の壁の中に潜伏した共和国側の村長の実話であり、ちょうど今(2001年)、この本を題材にしたミュージカル「壁の中の妖精」(春風ひとみ出演の一人ミュージカル、木山事務所)が上演されているが、これは素晴らしいものである。
フランコ政権は、ドイツ・イタリアのファシズム政権の後ろ盾で生まれた政権であるが、第2次大戦によりドイツ・イタリアが敗れた後も、欧米はこの独裁政権をいわば黙認し旧ファシズム国家とのつながりを不問とし、スペインには大戦後も長く民主主義的体制が生まれることがなかった。今日でさえ、先に触れたミュージカル「壁の中の妖精」をスペイン国内で上演することは、旧フランコ政権側の人間と旧共和国側の人間が隣り合って暮らしている現実があり躊躇されることであるという。まだスペインでは生々しい現実に過ぎ、事実上まだ上演は難しいということである。

さて、スペインの近代芸術音楽である。ファリャは、「アトランディダ」の作曲を1946年まで続けて没した。スペイン内戦終結後の晩年はアルゼンチンに移住したが、これは政治的な理由ではなく、フランコ政権下でもファリャの音楽は何ら支障もなく上演された。
ロドリーゴの出世作である
「アランフェス協奏曲」は、まさに内戦終結、フランコ政権成立の1939年に作曲され、フランコ政権下のバルセロナで初演された。
その後、ロドリーゴの作風は大きく変化することなく、フランコ政権下で、観光がスペインの大きな産業になる1960年代に作曲された
「アンダルシア協奏曲」(1967年)と「マドリガル協奏曲」(1968年)、1978年の「パストラル協奏曲」など後年の作品に至るまで、いわば「アランフェス協奏曲」同様、古き良きスペインの幻影の小世界を描き続け、政治的・社会的なメッセージ性をほのめかすような“重い”題材は見事なまでに避けている
長いフランコの独裁の間、ロドリーゴの音楽は大きく変化しなかった。

旧ソ連や他の国と同様、社会主義の高まりとともに、スペインにも社会的な立場を表明する音楽家は登場した、「世界音楽の時代」(ロバート・P・モーガン編)の第4章(ジェラール・ペアーグ執筆)に、この時期の動きが触れられていて、共和国側の立場で活動し、内戦終結後亡命した作曲家として、サルバドール・バカリッセ、ロドルフォ・ハルフテル、グスターボ・デュラン、アドルフォ・サラザール他の名前があげられている。これらの作曲家の音楽を聴く機会は現在、非常に乏しいため、私自身、彼等の音楽については知らない。
チェリスト、パブロ・カザルスはフランスに亡命、フランコ政権を認めない立場を鮮明に表明し、その立場を表明する作品も作曲し発表した。
しかし、スペイン国内に留まった作曲家で、そのようなフランコ批判を示すような社会性を帯びた音楽を発表し活動した作曲家は見当たらない。ロドリーゴも、続く世代のモンサルバーチェも、新古典的な様式と民族色の折衷による、穏健な作風である。
ショスタコーヴィチやショスタコーヴィチ等が旧ソ連で続けたような、微妙で危険な綱渡りにより、社会的問題作を送り出しながらも生き延び活動を続けるということさえ不可能なまで、フランコ独裁下のスペインは政治的に過酷で厳格な統制下にあったのであろうか
その独裁体制の中で、ロドリーゴは意識してか、無意識にか、数十年にわたり政治的ポリシーには触れず、外国人の憧れる美しい観光地スペインにふさわしい民族色と明るい色彩と抒情性をもった音楽を一貫して生み出し続けた。
ロドリーゴは1936年の内戦勃発時にはドイツのバーデンバーデンに滞在しており、そのままフライブルグに留まった。1938年にサンタンデル(この時点ではフランコの勢力下)の大学の夏季講習の講師に招かれてスペインとの関わりが戻り、パリ滞在を経て1939年9月1日(第2次大戦勃発、ドイツがポーランドに侵攻した日)に、「アランフェス協奏曲」の手稿を携えてフランコ政権成立後のスペインに戻り、最大級の国家的名誉と地位を得て国民的作曲家としての生涯を送った。

しかし、そのことは「アランフェス協奏曲」やその他のロドリーゴの作品の価値が、底の浅い体制迎合のいわば安手の「楽天的社会主義リアリズム作品」に相似する「楽天的フランコ国家主義音楽」に過ぎないということを意味するわけではない。
ロドリーゴの音楽には内戦で荒廃したスペインで、美しく平和なスペインへの渇望と憧れを強烈に歌い、国際的孤立の中、「飢餓の時代」と呼ばれた1940年代スペインの最も困難な時代に、音楽の歓びと音楽への希望を多くの人に与え、歓喜をもって迎えられた同時代の新作だったのだ。しかも、それは、クラシック音楽界の境界線を越えて広がっていくだけの音楽的な力をもったものだったのだ。
2001年10月11日 近藤浩平 記

参考サイト:ロドリーゴのオフィシャルWebサイト

20世紀100名曲 作曲家別リストへ戻る
20世紀の音楽 100名曲序文へ戻る