アメリカの黒人としての誇りとスピリットと、フランス近代音楽的洗練と気品の融合
スティルの音楽の特徴は、アメリカの黒人としての誇りとスピリットと、ほとんどフランス近代音楽的洗練と気品の融合にある。
アメリカのクラシックの演奏会場、歌劇場で最も早くメジャーな地位を確立した黒人作曲家
アメリカのメジャー・オーケストラが黒人作曲家の作品を始めて演奏曲目にとりあげたのは、1931年、ハワード・ハンソン指揮のロチェスター・フィルによる、ウィリアム・グラント・スティルの「交響曲第1番『アフロ・アメリカン交響曲』」の初演だったとされる。スティルのこの交響曲は、1935年にはニューヨーク・フィルによりカーネギー・ホールにおいてニューヨーク初演がなされ、1930年代のうちにアメリカとヨーロッパで34のオーケストラによって演奏された。
さらに、1949年にはオペラ「Troubled
Island」が、ニューヨーク・シティ・オペラによって初演。アメリカの黒人作曲家のオペラとしてはじめてメジャーなオペラ団体によって上演されている。
まさに、一旦道が開かれるやいなや、スティルの音楽は急速にクラシック音楽の演奏会場に受け入れられ、同時代の多くの人々の支持を得たのだ。
今日でこそ、クラシック音楽の演奏家には黒人も多く、指揮者、作曲家、音楽学者としても多くの人が活躍しているが、1930年という時代を考えれば、スティルがクラシック音楽の世界で作曲家としてこれほど急速に支持を得ることが出来たのは驚くべきことではないだろうか。クラシックのコンサート会場に黒人の聴衆が入場することすら抵抗があった都市さえまだあった時代ではないだろうか。黒人作曲家がこのような名誉ある地位を得ることに対するかなり激しい抵抗や妨害もあったと伝えられている。黒人歌手にメトロポリタン歌劇場への門戸が開かれたのがやっと1955年(マリオン・アンダーソン)のことである。
スティルはこの1955年、ニューオリンズ・フィルハーモニックを指揮し、南部において全て白人のみのメンバーからなるオーケストラを指揮した最初の黒人となっている。
アメリカのクラシックの演奏会場で最も早くメジャーな地位を確立した黒人作曲家スティルの音楽には、残念なことに、日本国内のコンサートや国内盤CDで接する機会がはとんどない。もし相応の紹介がされていれば、スティルの音楽はプロからアマチュアまで多くの演奏者と聴衆に広く愛されているはずだ。
W.C.ハンディとの共働 エドガー・ヴァレーズとの師弟関係 2重の伝統
スティルはミシシッピ生まれ。知らぬ人のないセント・ルイス・ブルーズ(1914年)の作曲者でブルースの父とまで言われるハンディ(W.
C.
Handy)と1916年に会い、1919年からはハンディのバンドでプレイヤー、アレンジャーとして仕事している。1920年代にはのアレンジャー、オーボエ奏者として活動し、とくに優れたアレンジャーとして非常に高い評価を得ていく。ブロードウェイミュージカルとして2年にわたるロングランとなったEubie's
Blakeの"Shuffle Along"、CBSの"Deep River
Hour"などの仕事をしている。CBSとの仕事についてスティル自身が語っている言葉がCDの解説(KOCH
3-7192-2H1)に載っているので引用する。
"Deep River
Hour"...The orchestra musicians liked my arrangements so much that they went to
the head of the studio and asked for me as their conductor...It was the Deep
River Orchestra, later called the CBS Symphony Orchestra. It would play from one
studio to another. I couldn't conduct when the orchestra played for NBC,however,
because of my race...
このようにアレンジャーとしての評価と収入を得ることと並行して、スティルはジョージ・チャドウィック等からヨーロッパ志向の伝統的クラシック音楽の教育を受け、1920年代後半から幾つかの賞を得るなど、急速に評価を獲得していく。
1923年からは作曲家エドガ‐・ヴァレーズに学んでいる。スティルは師ヴァレーズの前衛的音響指向は受け継がなかったが、ヴァレーズを通じてフランス近代の作曲家達の音楽の洗練と完成度、独特の高貴な宗教性といったものを受けとっているように思われる。デュカス、フローラン・シュミット、マニャールやショーソンといった人達の音楽と共通するものがスティルの音楽にはある。もちろんヴァレーズの弟子らしく、エネルギッシュな生命力を大胆に表現する場面もある。
ヴァレーズから学んだものについてのスティル自身の言葉をCDの解説(KOCH
3-7192-2H1)から引用する。
I studied with Varese for a
couple of years...Mr Varese opened new horizons for me. Of course I was too
conservative to become an avant garde composer. The "new"did not ever get
control of me,but it did loosen up my music. I tell you, the first time I heard
the work I had written under the influence of Varese, I wanted to go under the
seat!
なお、クラシック音楽界における名声を得た後も、スティルはアレンジャーとしての仕事を続けており、短期間ながらロサンゼルスでコロンビア、ワーナー、フォクスといった映画会社で仕事をし、"Lost
Horizon",Pennies from Heaven","Stormy Weather"といった映画にたずさわっている。"Gunsmoke","Penny
Mason"といったテレビの仕事もてがけている。
スティルは、クラシック音楽とブラック・ミュージックの伝統を2重に受け継ぎ、前衛音楽の地平も、劇場、映画、放送も知っている作曲家なのだ。
「アメリカのチャイコフスキー」になりうる作曲家
スティルの作風は、1944年のNewYork
PostへのJohn
Bridgeの「スティルは、アメリカのチャイコフスキーになりうる。アメリカのチャイコフスキーになることは、アメリカのヒンデミットになるより難しい。」との評が示すとおり、調性的で美しく把握しやすいメロディ、見事に美しくよく響く楽器法と和声など非常にわかりやすく、ほとんどの聴衆に受け入れやすいと考えられる、わかりやすい作風である。オーケストラ曲、バレエ、室内楽、歌曲など、もっと広く知られていれば、合唱のコンサートにおいて黒人霊歌が愛唱されるように、コンサートの日常のレパートリーにおいて、演奏されていく可能性があると思う。
支持者たちハワード・ハンソン、レオポルド・ストコフスキ、カウフマン、
スティルの作品をハワード・ハンソンは非常にたくさん取り上げている。当時の記録によるとかなり集中的に多くの作品を紹介している。
ストコフスキは、1937年にスティルの交響曲第2番「新種族の歌」(Song
of a New
Race)をフィラデルフィア管弦楽団で初演している。ストコフスキはスティルについての次のように言っている。
"Still is one of the our greatest American Composers.
He had made a real contribution to
Music."
また、ヴァイオリニスト、カウフマンとのコラボレーションにより生まれた「Pastorale」「
Suite for Violin and Piano,」「Lyric Suite」「Ennanga
」といった作品はヴァイオリンを含む室内楽のレパートリーとして非常に魅力のあるものとなっている。
両大戦間のクラシック系作曲界の「ジャズ」ブームとの違い
スティルが広く知られるようになった1930年代、ヨーロッパを中心に多くの白人作曲家が、「ジャズ」に影響された音楽を数多く作曲しているが、これらのものの多くは、実際にはラグタイムやフォックストロット、あるい見せもの的ショーの音楽に影響を受けたものである場合が多い。しかも両大戦間の都市の狂騒や退廃、流行、19世紀の重厚長大なロマン的音楽への反動といった時代背景を写しだしたものとしての性格が強く、ほんとうのアメリカ黒人の音楽のスピリットを受けとったものとは言い難い。むしろ「両大戦間の、資本主義社会の狂騒を写す娯楽音楽」として表現主義的なものとなっている。
スティルの音楽はこれらとは違う。スティルは、アメリカ黒人としての立場を強く意識した作曲家であり、「アフロ・アメリカン交響曲」も、ブルースを感じさせ、バレー「サージイ」も黒人音楽の応唱とリテュアルな社会性を感じさせ、歌曲はまさにスピリテュアルだ。しかし、ジャズ的外面的特徴のことさらな強調や、都市の娯楽音楽的狂騒のイミテーション、20世紀アメリカの都市への一種の「異国趣味的引用」といったものはスティルの音楽にはない。
スティルの音楽の特徴は、先に述べたようにアメリカの黒人としての誇りとスピリットと、ほとんどフランス近代音楽的洗練と気品の融合にある。
20世紀音楽へのスティルの影響力
スティルの音楽は、鮮明にアメリカ黒人の音楽であると同時に、常に「クラシック音楽の場」ににふさわしい「上品さ」の内に踏みとどまっている。そういう面では、20世紀の音楽を大きく動かす潮流を作り出す力は弱いかもしれない。デュ−ク・エリントンをはじめジャズの巨人達の方が創造的で大胆な存在として影響力は桁違いに大きい。
21世紀のクラシック音楽へのスティルの影響力
スティルは改革者ではなく「クラシック音楽」のなかに美しい「ブラック・ミュージック」を忍び込ませたのだ。
あるいはスティルは、融合と橋渡しにより新しい文化を目標としたとも言えるだろうか。
スティルが自身の交響曲について語った言葉を引用してみる。
'The "Afro-American"Symphony represented the
Negro of days not far removed from the Civil War. The Symphony in G minor
represents the American colored man of today, in so many instances a totally new
individual produced through the fusion of white,Indian,and Negro
bloods...'
スティルの音楽は今後、「クラシック音楽」の日常レパートリーに広く入ってくるだろう。作曲界も聴衆も驚かせたり怖がらせたりすることなく静かに「クラシック音楽を世界化」していくに違いない。合唱のコンサートで、ごくあたりまえに「民謡」のアレンジや「黒人霊歌」が歌われるように、オーケストラや室内楽やヴァイオリン・リサイタルで、だれもが喜べる日常のレパートリーとしてあたりまえに演奏されていくことで、「クラシック音楽」を開かれたものにしていくという静かで大きな影響与えていくのではないだろうか。
是非見て欲しいスティルについてのWebサイト
William Grant Still Collection
Duke University,
Special Collections
Library
http://odyssey.lib.duke.edu/sgo/findaid/stillgo.html
スティルについての充実した情報がある。ライフ誌に載ったW.C.ハンディと2人で写っている写真、ハワード・ハンソンの手紙、初演当時の新聞評などながめるだけでも楽しいので、英語が苦手でも見て欲しい。
クラシック音楽・シリアス音楽における黒人作曲家の系譜
混血ではあるが黒人として最も早い時期に作曲家として名声を得た先駆者に、イギリスの、サミュエル・コールリッジ=テイラー(1875ー1912)がいる。コールリッジ=テイラーの独唱、合唱、オーケストラによる3部作「ハイアワサの歌」は非常に人気を得た作品で1898年から1900年にかけて各部が順次初演されている。サミュエル・コールリッジ=テイラーの音楽は、時代が遡る分、様式は今日の耳からすると19世紀ヨーロッパの合唱音楽の範囲にとどまるが、非常に美しく独創的な合唱作品である。
アメリカの作曲家としては、ラグ・タイムで有名なスコット・ジョプリン(Scott Joplin1868〜1917)が先駆的で、デューク・エリントン(Duke
Ellinton1899〜1974)などジャズの大物がいるが、いわゆる「クラシック音楽」の作曲家では、黒人霊歌の合唱編曲で知られるWilliam Levi
Dawson(1899〜1990)の「Negro Folk
Symphony」が1934年にストコフスキ指揮のフィラデルフィア管弦楽団によって初演され、後年ストコフスキの指揮により録音されている。
スティルのCD紹介
私が入手したCDを簡単に紹介しておきます。
Works by William Grant Still
・Suite for Violin and
Piano
・Songs of Separation
・Incantations and Dance
・Here's
One
・Summerland
・Citadel
・Song for the Lonely
・Out of the
Silence
・Ennanga
・Lift Every Voice and Sing
Videmus
New World
Records
80399‐2
室内楽、器楽、歌曲の名作を集めた1枚。収録作品、演奏ともベスト。スティルの音楽の最良のニュアンスでの演奏。
Sahdji(Ballet)
Haward Hanson/Eastman-Rochester
Orchestra&Corus
Mercury434
324-2
合唱付きのバレーの傑作。演奏もエネルギッシュ。
Symphony No.1(Afro
American)
Neeme Järvi / Detroit Symphony Orchestra
Chandos
CHAN9154
スティルの最も有名な交響曲をヤルヴィが録音。美しい音の演奏。
併録のデューク・エリントンのSuite from
”The River"も素晴らしい。
Symphony No.2(Song of a New Race)in G
minor
Neeme Järvi / Detroit Symphony Orchestra
Chandos
CHAN9226
ストコフスキが初演した交響曲第2番「新種族の歌」のはじめての録音。
併録のデューク・エリントンのHarlemも素晴らしい。
La Guablesse
Quit Dat Fool’nish
Summerland
Danzas de
Panama
Isaiah Jackson/Berliner Symphoniker
Alexa Still Flute,
Susan Dewitt Smith Piano
Koch3‐7154‐2H1
1933年にハンソン指揮で初演されたバレエ音楽"La Guablesse"を、ストコフスキのアシスタントだったIsaiah Jacksonが指揮。
Folk Suite No.1
From Suite for Violin and Piano
Prelude for
Flute,String Quintet and Piano
Summerland etc.
Alexa
Still Flute, Susan Dewitt Smith Piano, New Zealand String
Quartet
Koch3‐7192‐2H1
フルート独奏を主体にした室内楽作品、あるいはその他の楽器のためのものをフルート独奏主役にアレンジ。
2000年10月5日
近藤浩平 記