ヴァレーズは、18世紀の作曲家達が、オスマン・トルコのエキゾチックな音響をもたらす打楽器をオーケストラに持ちこんで以来の、西洋音楽の音素材(構成要素)の拡大のいわば究極点を目指した作曲家である。
単なるエキゾチックな効果音、賑やかしであった打楽器は、ハイドン兄弟やグルックの音楽で早くも作品の構造の骨格を支える重要な役割を与えられはじめる。ベートーヴェンでは、ティンパニをはじめ打楽器は、作品の骨格を縁取る重要な扱いをされる。ベルリオーズでは、打楽器の音色そのものが音楽の最重要な要素として、しばしば主役を与えられるところまで到達する。
西洋音楽は「音楽作品」を、一貫した論理によった「楽音の組織体」として発展させてきた。しかし、ベルリオーズ以降のオーケストラにおいて打楽器の音色は、作品全体の構成の中で省略不可能な要素となってきた。たとえば、マーラーの交響曲での「鈴」や「ハンマー」の音色は、作品の構造と意味を形成する素材として、他のものでの代用が不可能なまでの重要性を獲得している。事実上、20世紀初頭には音楽は「楽音と噪音の組織体」になっていた。
ヴァレーズは、よく知られた作品である「アンテグラル(積分)」(1924−1925)や「イオニザシオン(電離)」(1930−1933)など1920年台から1930年台には、早くも打楽器のみによる作品を生み出しているのだが、これらを聴いて印象づけられるものは、激しく斬新な音響もあるが、むしろ、噪音を組織しての、ほとんど静的なまでの秩序に従った統一体としての高い完成度だ。
1927年のオーケストラ曲「アルカナ」(1925−1927)では、楽音からなる旋律的に非常に把握しやすいモチーフ(そこはかとなく火の鳥を連想させる金管の強力な低音)が、強く全体を統一しており、多数の打楽器による斬新な音響を重要な構成要素としながらも、17−18世紀のバロックから古典派の音楽に匹敵する鮮明な統一感をもった音楽作品となっている。「アルカナ」における、ヴァレーズの「統一感」への考え方は、古典的なまでの一貫性に基づいたものであったと思われる。
これに先立つ大作「アメリカ」(1918−1922)では、ストラヴィンスキーからの衝撃と、おそらくは未来派からの刺激をきっかけに爆発したかのような、新しい音響と新しい聴取体験への野心がむきだしとなって、作曲年代から見て驚異的な斬新な音響空間を生み出し、統一感や一貫性よりも徹底した音響の多彩さを指向していたように思われるのだが、「アルカナ」からは、より精密な統一体として組織された音響へ向かい始めたように思われる。これは1920−1930年代の新古典的な音楽観と無縁ではなかったということなのか、あるいは、彼が常に関心を持ちつづけた中世からルネサンスの音楽から得たものなのだろう。
「楽音と噪音の組織体」としての20世紀の西洋音楽の構成要素において「噪音」の地位を非常に高く引き上げ、「噪音」を非常に明晰な音楽的論理によって扱い、また素材となる音響素材の拡大へのあくなき探求者としてヴァレーズは先端を走り続けたが、それは、西洋音楽の辿ってきた音響素材の拡大と構成要素への取り込みの道を先頭をきって進んだということである。「組織された音響」という彼の言いまわしは、従来の「西洋音楽」を包含し拡大する概念だ。
ヴァレーズは「デゼール(砂漠)」(1954初演)で管楽器と打楽器と電子音を用い、「ポエム・エレクトロニク」は1958年ブリュッセル万博のコルビジェ設計のフィリップス館で425個のスピーカーから流された電子音響である。
ヴァレーズの音楽は、20世紀の都市の騒音、未来派、ブゾーニ等と関連づけられることが多いのだが、むしろ、その音楽の本質には、ルーセルやフローラン・シュミットの音楽にも見出される、非西洋的な神秘的興奮と生命力へのあこがれが中心にあるように感じられる。
「オフランド(捧げ物)」(1921)、「オクタンドル(8弁雌雄両性花)」(1923)、「エクアトリアル(赤道地帯)」(1934)などの作品では、とくに鮮明に非西洋近代的生命力への指向を聴くことができる。「トゥーランガリラ交響曲」(1946−1948)におけるメシアン、あるいは非西洋音楽の呪術的生命力を目指したジョリヴェ、さらにモーリス・オアナ等が、この傾向を引き継いでいる。
ヴァレーズの音楽においては、例えば「デゼール(砂漠)」における電子音響でさえ、ロマン的なまでの生命力と未知の空間への憧れに満ちている。第2次大戦後のセリー音楽におけるような、論理とシステムと、パラメーターに分解され分析された数値となった孤立した楽音は、ヴァレーズの音楽とは異質なものだ。
ヴァレーズに学んだ2人の著名な作曲家がいる。中国出身の周文中(1923−)と、黒人の作曲家として最初に大きな名声を獲得したウィリアム・グラント・スティル(1895−1978)である。周文中の音楽を私はまだ聴く機会がないのだが、その経歴等から察するに彼は師に忠実に前衛の道を歩み、一方、スティルは、黒人作曲家としての精神と感情と生命力を聴衆に直接的にコミュニケートするため、ヴァレーズの前衛的スタイルから身を引いた。
ヴァレーズは、従来のヨーロッパ音楽以外の音素材に興味を持っただけではなく、ヨーロッパ人以外の音楽的才能に作曲の未来を期待したのだろうか。
参考CD:
Edgard Varese THE COMPLETE WORKS
Riccardo Chailly/Royal Consertgebouw Orchestra, Asko Ensemble
DECCA 460 208−2
エドガ-・ヴァレーズの音楽「アルカナ」「アンテグラル」「イオニザシオン」
ズービン・メータ/ロスアンジェルス・フィルハーモニック
LONDON POCL−2346
1999年12月11日 近藤浩平 記