ヴォーン=ウィリアムスの"Fantasia on Christmas Carols"と"Hodie: A Christmas Cantata"のCDを聴いた。(Richard Hichox指揮 EMI CDC7
54128 2)
ヴォーン=ウィリアムスとホルストのオーケストレーションの違い
あらためて、ヴォーン=ウィリアムスとホルストのオーケストレーションの違いを認識する。
ホルストのオーケストレーションはいわば、板の間に、木の家具が置いてあるようなもので、言いかえれば音は、無音の空間、時に漆黒の無の空間に裸で置かれている。
一方、ヴォーン=ウィリアムスのオーケストレーションには、座布団や絨毯か、あるいは家具の上に布がかけてある。ヴォーン=ウィリアムスは、弦を中心に3度を含んだ和音のクッションを空間に敷き、空虚な空間が音楽の背後に広がらないように安心のネットをかぶせる。管楽器やトゥッティも、3度と4度が縦に重ねられて動き分厚くされる。
ホルストなら、大胆なユニゾンか空虚5度で無音の宇宙を切り裂くように、詰め物の無い無音の空間(あるいは、それを強調するペダル音)に音を投げ出すが、ヴォーン=ウィリアムスは、人間の住む場所の空気、あるいは教会の空間のように、やわらげられた和音の背景を用意する。
ヴォーン=ウィリアムスのスコアには、しばしば並行して動く和音の座布団が敷いてある。初期の作品(「タリスの主題による幻想曲」や"Fantasia
on Christmas Carols")から中期の作品(例えば交響曲第3番「田園」など)にかけては、時にイギリス教会音楽的な、時に田園的な、時にロンドンの霧のような響きのやわらかい"座布団"がはさみ込まれている。
ヴォーン=ウィリアムス自身の言明
「民族音楽論」(塚谷晃弘訳、雄山閣刊)の後ろに収められている「音楽的自叙伝」の最後(P.199)の、オーケストレーションについてホルストからのアドバイスについての思いでを書いた文章がおもしろいのでそのまま引用しよう。
『私は、「ヨブ」の最初のオーケストラの総稽古のあとで、彼がほとんどひざまずかんばかりにして、どうかスコアにつめこみすぎた打楽器の演奏箇所のいくつかをカットしてくれるように哀願したのをおぼえている。スコアにあまり書き込みすぎるのが、私のいつも悪いくせのひとつなのだった。それは、私に十分な確信がない、自信をもつ勇気がないことからくるもので、自分のはだかの姿を、部厚いオーケストラの衣裳でかくさなければならないのだとかたく思っていたわけである。これに反して、ホルストのオーケストラは、余分なもののない、いわば“はだか”のままで、それでもはずかしいということは少しもなかったのであった。」
ヴォーン=ウィリアムスは非常に謙虚な語り口でホルストと自身のオーケストラを比較しているが、この“はだか”でない安心のブランケットが、ホルストの音楽の漆黒の宇宙と、ヴォーン=ウィリアムスの人間の生活空間としての風景の違いを生み、それぞれの個性をつくっているとも言えるだろう。
ヴォーン=ウィリアムスの後期の音
ところが、第2次大戦後の作品、交響曲第6番や7番「南極」など以降の後期の作品になると、この座布団が、しばしば固く冷たいものとなる。時には音楽の骨格を分厚く補強するかのように束になって激しく動く。
ヴォーン=ウィリアムスの後期の作品には、ホルストやプロコフィエフを思わせるような強靭で固く冷たい響きを含んだ部分や、ヒンデミットやオネゲルのような武骨な激しい動きのものがある。
お互いに補完しあうかのようだった同僚ホルストが1934年に没した後、ヴォーン=ウィリアムスの音楽には、ホルストの後期の音楽を引き継ぐような性格が増してくるかのようだ。
1954年のクリスマス音楽
さて、"Hodie: A Christmas Cantata"は、1954年に初演された作品である。
交響曲第7番(1953年初演)の後、交響曲第8番の直前の作曲時期となる。
クリスマス・カンタータであるが、福音書のクリスマスの物語や祈りの言葉だけでできているわけではなく、トマス・ハーディ(Thomas
Hardy)の詩、"The Oxen"が歌われるなど、どういう意図を持っているのだろうか。トマス・ハーディといえば、ホルストが自身で最も評価していた作品「エグドン・ヒース〜トマス・ハーディへのオマージュ」の世界を思い起こさないわけにはいかない。クリスマスの前に、トマス・ハーディの詩が歌われ、孤独な空間が出現するのだが、ヴォーン=ウィリアムスは何を意図したのだろうか。残念ながら、私には、このハーディの詩の意味が充分に読みこなせない。
Z.Hymnでは、天空にきらめく星が現われるが、この箇所は、南極交響曲を思わせる厳しいクリスマス大寒波で、これでは東方の三博士が、寒さで遭難してしまいそうだ。
伝統的なクリスマスの歓びと何か20世紀的な意味合いとが混じりあったような後味を残すカンタータだ。
参照
2001年12月24日
近藤浩平 記
関連項目 ホルストにおける脱西欧近代へ
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