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ホルストは「エグドンヒース」を1927年の暮れに完成させたのち、休暇をとり、ヴィーンとプラハを訪れた。
この時のことが、Imogen Holst"Gustav
Holst A Biograpy"(Oxford University
Press, Oxford Paperback)に触れられているので紹介しておきたい。
ホルストはヴィーンにおいて「フィデリオ」と「マイスタージンガー」を観ている。また、ブルーノ・ワルターが指揮するハイドンを楽しんだようだ。
興味深いところは、ヴィーンの作曲家との接触だが、ホルストは、作曲家・音楽学者エゴン・ヴェレス(1885−1974)の家に招かれている。エゴン・ヴェレスは日本での知名度は低いようだが、シェーンベルクにも作曲を学び影響を受けながら、純然とした12音による音楽や、音列主義をとることはなく、1920年代にはとくに劇音楽を多く手がけて成功を収め、また音楽学者としてはビザンチン音楽、初期キリスト教音楽、バロックオペラに重要な業績を残していること、1938年にはナチを逃れてイギリスに渡り、1943年からはオックスフォード大学で音楽史を教えそのままイギリスに留まったことが、「クラシック音楽の20世紀第1巻作曲の20世紀(1)」(長木誠司監修、音楽の友社刊。エゴン・ヴェレスの項は、永岡都氏の執筆)に紹介されている。イギリスでも好評を得たというシェークスピアの「テンペスト」を題材とした「プロスペローの魔法」(1938)と、「ヴァイオリン協奏曲」(1961)はアルブレヒト指揮のヴィーン放送交響楽団により現在CD化されていて聴くことができる。(Orfeo
C478 981 A)
ビザンチン音楽の研究など関心の対象がホルストと重なるものがあったのか(ホルストはビザンチンの美術と外典聖書に着想を得た「イエス賛歌」(1918)を作曲している)、あるいはヴェレスと交流のあったイギリスの音楽学関係でのつながりなのか、この訪問のきっかけや、この2人作曲家の関わりについては詳しく触れられていない。
ヴェレスの「プロスペローの魔法」(1938)を聴いたところ、とくに第4曲Caliban Unruhigにホルストの音楽、例えば「火星」「ディオニソス賛歌」「リッグ・ヴェーダからの合唱賛歌」あたりを思い起こさせる要素、とくに執拗なリズムの扱いや、和音の大きな流れなどが聴き取れるようにも思われる。この作品はホルストの死の年、1934年に着手されているので、もしかしたら何か関係があるのかも知れない。
ホルストは、ヴィーン訪問の後、プラハを訪れ、微分音音楽で知られるアロイス・ハーバに会っている。ホルストは4分音ピアノを聴き、最初、非常にマイルドに響いたが(At
first it sounded quite mild)、しばらくして部屋がゆらゆらゆれるように感じ、ちょっと船酔いのようになったと、イモージュン・ホルストは書いている。
2000年3月16日記
近藤浩平
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