日本の登山ツアー会社「アルパインツアーサービス」と、「アトラストレック」のツアーパンフレットが送られてくる。本来、旅・登山は個人で企画して行くのが好ましいのだが、日本のサラリーマンの悲しい性「長期休暇が短い」に縛られる夫には、未知なる海外の、しかもリスクを伴う登山を成功させるためにも、海外登山はツアーの企画に乗らざるを得ない。何かのトラブルに対応する手間、時間をかけるのはもったいないからだ。
新婚旅行はアルパインの、1996年「ケニア山とキリマンジャロ」だった。それ以来海外にはご無沙汰、行きたいけれど、二人だとお金もかかるし、いつもパンフレットを見てるだけ。なのに、しげしげ詳細に読む夫に「どうせ行けもしないのに!」とたたきつけたら、「そんなことはない!」と彼の心に火が付いた。
二つのパンフレットを見比べて、登頂の企画が多いアトラスに軍配が上がる。その中でいろいろ検討の結果、時期(お盆)、短期間(8日間)、山(5000M以上)、お値段(30万円前後)の厳しい?条件をクリアーできるのはただ一つ。しかもあの、イランなんて!珍しいことこの上も無く、未知なる物への憧れ人一倍強い私達にピッタリではないか。
早速、申し込む。遂行人数が達しますように…。
ところで、イランといえば「悪魔の国」と、欧米ではあの悪名高き国。イスラム自体、我ら日本人にも馴染みが薄く、そのイスラムの過激な国としかイメージが浮かばない。旅行書を探しても無い。宝塚の図書館で手に入ったのは、NHKのペルシャの文化撮影紀行の本で、要するに「書道が盛ん」という事が解っただけだった。ん?
そこでインターネット、夫の出番である。イランの大使館のホームページを開くと、なんと、あのホメイニ師が微笑んでいる!らしい。(見てみたいような、見るのが恐ろしいような、…)
98年当時、以前から東京には、出稼ぎに来ているイラン人が多くいたそうだが、関西では聞かない。本当に未知なる国だった。後日談だが、英会話教師のアメリカ人が読んでいた英語の「デンジャラス・ゾーン」という本の中で、世界中の危険地域の一つに、あげられていた(アメリカ人にはね・・・、)。
資料として役に立ったのは、夫がインターネットで探してきた紀行文一件。 この作者は、よほどペルシャ語ができるのか、個人で自在に旅を楽しんでいるのがうらやましい。旅行社の案内は、余りに乏しく(ツアーは初めての企画のようだったし、なんと言っても山登りがメインなので仕方ない)、欲しかった女性の服装、お土産などの情報が詳しくて、読み応えがあった。
また当時、新聞をよく読むとちょこちょこ出ていた。簡単にいうと、保守派と改革派の政権の争いがあるらしい。ハタミ大統領は、上記のようなイメージを払拭させるべく、理知的に確実に穏やかにも、改革を推進させてきた。現在も、いろいろ大変そうだけど、99年は、ヨーロッパで大活躍。「文明の対話」を広げるべく、更なる活躍を期待したい。
イランに行ったことのある人の話なども、ちらりと仕入れたりして、旅への期待、気合は高まっていくのだった。
何よりも心配なのは、イスラム教の女性達。どうも、イランでは旅行者も当地の女性同様、顔以外の素肌と髪、体のラインを隠さねばならない。「女性のみ黒系のロングコート、スカーフ着用」とあるだけだったが、調べるにつけ、厳しそうに思えてくる。
夏だし、どうしたモンかと悩んでいたところ、イズミヤで、インド製の涼しそうな黒のストレートラインのワンピースを手に入れた(1980円)。これに薄地の黒パンツ、と義母から借りた黒のスカーフをまとえば、完璧なイスラム女性!?(写真参照)
ただし、スカーフは、もっと風通しの良い生地で白(何色でも良いとあったので)のを一枚持つ。首で結ぶと暑いので、黒のヘアバンドでスカーフを押さえれば、首が開いて涼しい。この格好は、イラン人に「アラビア人みたい」と言われてしまうのだが。
こんなにも完璧に万全にしていったので、当然、旅行者達からは浮いてしまった…。明らかに旅行者と分かるので、こんなに無理しなくて良かったみたい。みんな地味目のパンツ姿で、スカーフで髪を隠す位だった。テヘランであったドイツの団体旅行客もそうだった。(これも改革の成果かしら)
また完璧になりきったつもりでも、私の姿はどう見ても日本人。すれ違うイラン人からは、アジア各地で大人気のテレビドラマ、「おしん」と呼ばれてしまうのだった。
さて、ご当地の女性達は、「チャドル」とよばれる大きな一枚の服?布を頭からかぶり、体全体を覆う。色は深緑が多かったが、エンジ等他、様々で黒一色とは限らなかった。またチャドルの下は、何を着ても良いらしく、裾からはジーパンが覗く若い女性も多い。
事実、このチャドルから、ちらりと覗く部分がおしゃれの見せ所で、若い女性達はブレスレット、アンクレット等に力をいれるらしい。また一歩家に入れば(家族、同性内では)、このチャドルを脱ぎ捨てて、自由な服装をしているとの事だ。
チャドルは頭できちっと止められているので、脱ぎ着が大変そうで、だからか、一人一人トイレが長くて、大変待たされたのがちょっと迷惑だったな。
とにかく、だいたいの日本人は宗教に無頓着というか、無知である。私もそうだ。仏教でさえ、よくわからない。信じる信じないは別にして、知識だけでももう少し勉強しないと、世界で起こる事や人々を理解することは難しい。それに、あまりに無知であるから、怪しい新興宗教などの理論?に引っかかったりするのではないだろうか。もちろん、一概にはいえないけれども。
宗教が分かり難い点の一つに、同じ宗教でも時を経て、沢山の宗派に分かれ、解釈が変わる点がある。仏教然り、キリスト教然り。更に宗派同士の争いもあったりして、ややこしい。当然、イスラムも然り、である。 だから、一部の派が起こす過激な部分だけを見て、全体を見てはいけない。
専門家でない私個人が、変なことを言ってはいけないので、アジア大陸を旅行する上でも、非常に参考になる本を紹介しておく。これは、イランとネパールに旅行した後で、手に入れ読んだので、旅には間に合わず残念だったが、実際行って見て空気を感じたからこそ、理解しやすいし、勉強意欲も湧くというもの。だから、本当に偉そうには言えない…。
潟gラベルジャーナル社発行、旅行講座PART2〔インド・イスラム文化編〕マホメットはなぜ、九人の妻をもてたのか 2060円
さて、イスラムである。上記の本によると、イスラムとは唯一絶対の神アッラーに「帰依したてまつる」と言う意味で、単なる宗教の名前でない。マホメットを最終預言者とし、彼が伝えた神の啓示を記したものが、「コーラン」である。このコーランの教えを守る人達が、「ムスリム」であり、イスラームはその社会、文化全体を包み込む総合的な制度であり、共同体の名称であるらしい。
おもしろいのは、コーランにはキリスト教の聖書を下敷きに書かれた記述がある。同じ話(エデンの園、蛇の誘惑、天地創造、ノアの箱舟他沢山)があり、イエスは預言者の一人としている点である。つまり、元もとの神は同じなんだけど、何事も時代地域背景で変わるのがごとく、このアラビア的なるものに即しつつ、別々の教えになったわけだ。
イエスの教えを忘れ、聖母マリア像はじめ多数の聖人像を拝むようになったキリスト教徒らを批判し、元々の、同じくする基本的思想、唯一絶対神、偶像厳禁などを厳重に引き締めたのである。
7世紀初めに起こり、当時のアラビアの慣習を元に、改革を加えながら、発展していく。今は悪しき女性蔑視と思われる制約も、当時としては女性の地位改善として、改革された制約であり、他生活一般にわたるまでのいろいろ具体的すぎる条文があって、おもしろい。
またイスラムの代表的宗派は、スンニー、シーア、ワッハビーの三派がある。
イランの宗派であるシーア派は、元々はカリフと呼ばれる代表者(事実上最高権力者)の権力闘争から生また。その4代目(シーア派では初代)カリフ、アリー(マホメットの従弟、娘婿)の子孫を正当な後継者としているのがシーア派(アリーの党)である。
結局アリーは退却したのだが、その子孫、後継者にペルシャ朝の皇女の血を受けているらしい話が、イランの民族意識に訴えたという。イランは周辺のアラブ部族とは異なり、アーリア系のペルシャ人(が多数)であり、イスラム以前は拝火教を信仰していた。イスラムの台頭によってペルシャ帝国は滅んだが、輝かしい美術工芸などの伝統があり、イスラム文化の担い手となるのであった。
上記の本の受け売りなので、興味のある方、旅行される方は一読されることを願う。また詳しく知るには、この本はわかりやすくも観光的すぎるので、また機会を持って勉強していきたい。
ちなみに、イランは、アフガニスタンを中心とするタリバーンとは、対立していて、その辺りの事情も複雑なので発言は差し控えたいが、だから「イスラムは危険」などという、固定観念だけは捨ててもらいたい。