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「ホルスト(Gustav Holst)における脱西欧近代」(論文)

近藤浩平

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結論

「ダンス」、「呪文、パターン化、ユニット化についての考察によって、個々の旋律・リズム・音響そのものを神秘的生命力をもつ不可分のものとしてとらえるホルストの音に対する態度が浮かび上がってきた。これは、構成要素を分析・分解・細分して材料とし、音楽の価値をその構成(composition)と形式(form)の内に見出す西欧近代の形式主義的音楽観とは異なった方向性を示すものである。こうした音に対する態度に基づく構成単位の拡大とその自由な組み合わせ民謡収集によって再発見された機能和声から開放された「旋法的旋律」の可能性が、多様で異質なものの共存を可能とし、無調から12音・セリー音楽へと進む必然性を無くしている
 もちろん、ホルストは同時代の音楽の新しい音の開拓から無縁であったわけではない。多調・無調を含めこの時代の最も新しい音と作曲技法と、伝統的なものとを各構成要素(ユニット)のキャラクターとして取りこんでいる。
この為にホルストには作曲技法上の「主義」がない
 多様式が共存し、多様な音が混在する現代にあって、ホルストの音楽は多様なものの並存と調和の可能性として、技法及び様式上異質なものの共存の可能性として多くの示唆を与えている。
 ホルストの音楽は、新しい音と全音階的旋律の共存によって鮮明な印象を与え、新しい響きの音楽として一般的人気を博している。20世紀初頭における調性の崩壊・いきずまりとは機能和声の行き詰まりに過ぎず、全音階的旋律の行きつまりではなかったのではあるまいか。機能和声の崩壊に際し、新ヴィーン楽派は全ての全音階的旋律を分解し無調の音列へと置換えて新しい音を求めたが、和声から自由な新しい旋律とその自由な組み合わせへと進んだホルストには、そのような必然性は無かったのだということが出来る。
 最後に、ホルストがその音楽において表現したものの意味について考察することとする。
ホルストヴォーン=ウィリアムスと共に参加した民謡収集は、個人の創作物ではない「共同体の表現」(注111)である民謡の価値の認識であった。
これによってホルストヴォーン=ウィリアムス特定個人の感情表現を超えた広がりをもつ民族・文化・共同体といったところまでを含めた人間性の表現を目指した。さらにホルストはその思想により、個我(ego)を越える「宇宙」「自然」「神」と直接つながったものとしてのアイデンティティ(注112)の表現へと進み、全体的絶対的存在の表現と人間表現の一致を目指した。表7で言えば、典型的19世紀の音楽の表現の前面に出たのは西欧近代個人の個我における個性・感情の表現であり(注113)表現主義は特定状況下の個我の感情表出であるのに対し、ホルストヴォーン=ウィリアムスの人間表現においてアイデンティティは「共同体」全体へと広がり、ホルストにおいてはアイデンティティは宇宙全体との同一化へと向かう。この過程において肉体による「ダンス」は、感情と肉体とを結び付けアイデンティティを個我から身体へと広げ、「共同体」「宇宙」へと広げていく役割を担う。ケン・ウィルバー『意識のスペクトル』(表8)で言えば、ホルストの音楽において表現されている人間のアイデンティティは自我レベルから生物社会的帯域、実存のレベル、「心」のレベルへと広がっている。このような「自己と非自己の境界」(注114)の外側への移動・消滅は、西洋近代個人のアイデンティティからの脱却である。ホルストの音楽かこうした「宇宙」との合一自と他との連続・交わりの表現を完全に表現しているのか否かは聴く人が判断することとしても、ホルストがこういった方向を目指していたことは第9章ですでに引用した彼自身の言葉が確実に示している。このようなホルストの脱西欧近代を支えたものは、インド思想キリスト教的神秘主義非西欧の音楽の体験といったものに加え、イギリス文化の中にある非西欧近代的なものである。
 神秘主義、あるいは個を超えた表現としての民族主義は、ロマン主義音楽にも存在する特質である。しかし、ホルストが後期に到達した神秘主義は、個人の感情のあり方においてロマン主義音楽とは異なり、日常生活感情における現実主義的神秘主義とも言うべきものに達しているのではないだろうか。
 少なくとも、ホルストという人は、西欧近代における「芸術家」とは異なった人間であったに違いない。
(筆者追記:スクリアビンや山田耕筰の神秘主義における強烈な芸術家個人の自意識と比較すればその違いは明らか)
クリフォード・バックスの文章からの次の引用で、この論文を締めくくる。
'I suspect that he was indeed "a great composer" ;and if the world is a little slow to find out how great he was, it may be well be that Gustav Holst was oriented by convictions which at present are not sympathetic to our intellectuals. He believed, for example, in survival, in reincarnations, in karma. Someday "the world" may agree that he was right.'
(C.Bax, "Recollections of Guatav Holst" Music and Letters II.1939)

脚注

参考文献