「作曲家ホルストの全体像/神秘主義、非西洋、民謡復興」トップページ
初期における非西欧音楽とインド思想の影響
ホルストの1908年頃までの初期作品は、ワーグナーの音楽様式の影響と、インド思想の内容が混交したものであるが、1910年頃の作品から、非常に執拗なオスティナート、パターン反復が見られる。これは、よく知られている「惑星」においても「火星」「水星」などにあらわれている。「ベニ・モラ」「リッグ・ヴェーダからの合唱賛歌」など1910年以前の作品にすでに顕著であり、とくに「ベニ・モラ」などでは徹底した例が見られる。おかしな例えかもしれないが、この曲の後半はほとんど阿波踊りのような世界になっている。 これは、ホルストがこの時期、北アフリカを旅行して接した現地の音楽の影響であり、実際ホルストが採譜を試みたものが残っている。その中には、作品中にあらわれる素材が見出される。ホルストのパターン反復やオスティナートは、ストラヴィンスキー等の影響下で亜流としてあらわれたものではなく、非西欧音楽の直接の影響とインド思想の影響の強いホルストの神秘主義から現れたものと言える
アノニマスな表現としての民謡
同じ頃、ホルストは、ヴォーン・ウィリアムスと共に、イギリスの民俗音楽の収集をさかんに行っている。この時期イギリスでは、民謡や民芸などアノニマスなものへの関心が高まっており、セシル・シャープによる民謡収集や、ウィリアム・モリスの民芸復興などの運動が見られる。ヴォーン・ウィリアムスの著書「民族音楽論」では、民謡というものが特定個人の創作物ではないことを強調しつつ、共同体の音楽としての、その価値を力説している。ホルストは、ウィリアム・モリスのケルムスコットハウスと接触を持っていた。また、民謡を素材とした「サマセット狂詩曲」や数多くのモリス・ダンスの編曲などを残している。 ヨーロッパ大陸では、ロマン主義、感情美学から古典主義的、形式主義的、即物主義的方向へと激しく動いていたのに対してここでは異なったベクトルが見られる。 バルトーク、コダーイの民俗音楽研究が、音楽素材への探求、音楽の構造といった側面への関心を強くもっているのに対し、ホルスト等のそれは、イギリスの民俗音楽といういわば既知のものの価値の再発見と、西洋近代的芸術観への見直しという性格がつよいようである。パーシー・グレインジャーやヴォーン・ウィリアムス等の作品で、特定の個人の特定の状況下の感情の表現という性格が希薄になっているのはこのためといえる。シェーンベルクやベルク等の表現主義の傾向とは正反対の傾向がイギリス近代音楽にあったのです。
独自の神秘主義的音楽へ
しかし、ホルストは、自国の民俗音楽や、同時代の作曲技法、イギリスの古楽への探求により、初期のやや異国趣味的音楽様式から次第に脱出しながら、独自の神秘主義的世界観をより明確に示すようになっていく。「惑星」はこの過渡期に書かれたやや特殊な作品である。合唱とオーケストラのための「イエス賛歌」(1918年)は、神秘主義的な聖書外典がテキストに使われていて、拍節のない単旋聖歌にはじまり、きわめて神秘主義的なダンスに至り、2群のコーラスが同じフレーズの能動態と受動態を歌い、最終的合一に至る。
ホルストの音楽語法
1920年代にはホルストは多調などの技法をイギリスの作曲家としてはあまり見られないほど大胆に使っている。(3重奏曲などは各パート異なった調号がついている。) 1927年の「エグドン・ヒース」では、音列をおもわせるような線的素材が、ブロック状に積み重ねられたりしながら展開していく部分、全音階的な和声をもった民謡的旋律、4度の並行進行とペダル音をともなった神秘的なジークあるいはモリス・ダンスがあらわれて、異国趣味的様式を完全に脱した音楽により、ホルストの神秘主義的世界観が示される。この時期からの作品は、特に傑作が多い。合唱作品ではいくつかのパートソングや「死へのオード」「合唱幻想曲」「合唱交響曲」などがある。これらの作品には、旋法的と言ってよい自由な旋律と、独特な和音連結、控えめな多旋法や、ブロック配置的構成、オスティナートやペダル等が聴かれ、明晰、簡潔と同時にきわめて神秘的な音楽となっている。
20世紀音楽への影響
ホルストの音楽には、音列主義、無調主義的傾向が衰退し1980年頃からあらわれた諸傾向を先取りするような様々な方向性が見られるが現在まで残念ながら、作曲界の関心がむくことがあまりにもなかった。 ホルストの影響はイギリスでは強く、ティペット、、ラッブラ、ブリテン、P.M.デイヴィス、Colin Matthews などに見出される。ジョン・タヴァナーなどの作風にも影響があるように思われる。 なお、Colin MatthewsはHolst Foundationのアドミニストレーターを務めている。
ホルストの立場
感情表現か、形式美かというヨーロッパの芸術上の対立を、東洋哲学と民俗音楽という2つの手がかりから、西洋近代的人間観そのものの変革を試みることで乗り越え、宇宙、世界と合一、調和した人間、世界観を示したホルストの重要性が認識されるべき時期がきているのではないか。 またホルストは、活動期間の全体にわたりアマチュアの音楽活動に指導者として関わり続けており、20世紀における、聴衆と作曲家の乖離の解決、音楽の創造的新しさと聴衆との関係という点でも大きな示唆を与えてくれている。 ホルストの音楽が、19世紀のロマン主義音楽からの距離という点でシェーンベルク等より離れた地点に達しながらも、聴衆へのかかわりやすさを保っているということ。これほどの演奏機会をもつ作曲家でありながら、作曲家個人の一種ロマン的芸術家像を抱かせないということ。西欧的ロマン主義的精神性や感情表現のありかたから結局いまだ脱出することのできないドイツ、オーストリアを中心とした現代音楽の価値観から非常に遠いところにある音楽として、重視すべきと私は考えます。
記:近藤浩平
(1999年8月)