断片的でパターン化された線の自由な累積とそれによって生じる多旋法とポリリズム、独立した音色としての和音、徹底的オスティナートなどは、ホルストの作曲技法の最も先鋭的な局面を示すものである。『土星』の後半部における反復されるパターンの組み合わせ、あるいは『木星』における、小さなパターンの累積によって形成された音響ブロックと和声から独立した旋法的旋律の対置は、パターン化とユニット化の典型である。(注105)
ホルストの音楽に、反復されるパターンが顕著にあらわれたはやい例は、『ベニ・モラ"Beni Mora"』(注106)の"the third Dance"における163小節にわたって同じ音高で反復される旋律であり、これと1908年のアルジェリアにおける音楽体験との関係をイモージュン・ホルストが指摘している(注107)。他方、ストラヴィンスキー等の同時代者の影響や、グラウンド・ベース(バス・オスティナート)の伝統も無視できない。
ここでのパターンとは、全体を構成する要素の単位(ユニット)となっている一定の形をもった音のグループを言う。
ホルストの音楽には、音が明確な性格をもったグループを形成してパターン化し、構成要素として分割されない最小単位(ユニット)となる傾向がある。反復されるリズムと旋律のパターンと、和声に依存しない旋法的旋律、機能から離れた音響ブロックとしての和音、あるいは、パターンの累積によってつくり出された音響ブロックといった各構成要素の独立性が拡大して構成単位(ユニット)となっている。各ユニット(構成単位)は、和声を伴う全音階的旋律、旋法的旋律、音響ブロック、反復されるパターン、無調的音型、さらには12音を一巡するもの(注108)というように極めて多様であり、明確な性格(Character)をもつ個(Individual)としての独立性、自立性を持っている。
これら異質なユニットの並置による鮮明な対照(コントラスト)と同時出現による重層性のために、ホルストの音楽には、個の集積ともいうべき性質がある。個々のユニット、あるいはパターンの性格(Character)の維持と強調の為には反復が多用され、異なった周期性をもつ複数のパターン・ユニットの累積によるズレは、位相ずれプロセスを含むポリリズムを作り出している。
個々の構成要素の著しい独立性・独自性・完結性・自律性の拡大といったユニット化は、ホルストの音楽が個々の構成単位(ユニット)のもつ躍動性、生命力、音色、響きへの依存と信頼の上に成立していることを示している。西欧近代芸術音楽の主流においては、テーマは音程関係・和声構造といったところまで分析・分解されて展開・変奏の材料とされる傾向にある。シェーンベルクは構成の最小単位として1つ1つの楽音と音程を意識し、新しい音をつくる為に旋律線を分解して再構成し、ミュージック・セリエルに至っては、最小単位は1つの音の各パラメーターという所まで細分され、構成の材料とされた。その分解の結果、作曲者の得られる音の多様さは手元にある音素材の多様さと同じレベルになってしまった。単語を全て文字に還元した結果、得られる多様さが文字(キャラクター)の数と同じになるのと同様の結果である。ホルストにおけるパターン化・ユニット化は、構成単位を大きなものにして多様なキャラクターをもつユニットをつくりだし、その集合体としての音楽を形成するという点で、分析・分解・細分化・再構成という西欧近代音楽の主流の展開方法とは反対の方向性を示している。
この背景には、音素材を単なる形式構成・展開のための材料として捉えず、個々の旋律、リズム、響きそのもののもつ生命力、神秘的な力を信じる音楽観と、生命力をもった有機体の集合という世界観があるのではないだろうか。パターン化とユニット化の最も先鋭的な例として『フーガ風序曲"A Fugal Overture"』(注109)の分析表(表6)を参考までに掲げる。この作品を境に個々のパターン・ユニットはより線的なものになり、その自由な累積が多旋法、多調、ポリリズム、位相ズレをつくりだす。第1章第5節参照。
この『フーガ風序曲"A Fugal Overture"』は、1920年代の「新音楽」あるいは「新古典主義」の動きに一致するかのようであるが、イモージュン・ホルストはそれに対して否定的見解を示している(注110)。
『エグドン・ヒース』では、最初のテーマから各パターンが生まれ、緊密な関連性をもつと共に、パターンとして累積されており、先の西欧近代的分解・再構成・展開と、パターン化・ユニット化が共存している。