『エグドン・ヒース、トマス・ハーディをたたえて(Egdon
Heath-Homage to Thomas Hardy Op.47) 』のスコアにはトマス・ハーディの『帰郷(The Return of the Native)』からのエグドンの荒野(注37)についての文章(注38)が掲げられている。『帰郷』におけるエグドンの荒野の意味は、ハーディの思想における「運命の行使者たる内在意思(immanent will)」(注39)である。この文学作品におけるエグドンの荒野とその性格については以下の文章を引用するにとどめる。
「とりわけ『帰郷』は、エグドンの荒野(Egdon Heath)が主役であり、運命の代行者としての「自然」が、途方もなく巨大な生命力をもって、蟻のような人間を、幽遠と永劫無窮の織り成すエグドンの荒野に束縛するその壮大なドラマの迫真力という点では、ハーディ作品中の圧巻である。」「エグドンに生活する者は、エグドンの帰依者も、憎悪者も消極的受容者も、エグドンとは肉体的にも精神的にも無関係たり得ない。エグドンは強大なる勢力をもってエグドンに住む全ての人の前に聳立し、影響力を行使する。すなわち、エグドンは、雄渾壮大にして万古不変で、畏怖感を与える、時間から隔絶された絶対者としての自然である。」(注40)
ホルストの『エグドン・ヒース』には『帰郷』における個々の人間のドラマが描かれた形跡は見られない。また、ホルストの神秘主義とハーディのペシミズムとは、かなり異なったものである。『帰郷』及びその背景となるハーディの思想全体が、この音楽を形成したと考えるよりも、人間と自然の対峙の構図と、「絶対者としての自然」(注40)のすぐれた表現としてハーディの描くエグドンの荒野に関心を示したと考えるのが妥当である。
ホルストが引用した箇所の意味する所は、土地(A Place ,Egdon heath)と人間(man's nature)の完全な一致(perfectly accordant)である。