論文「ホルストにおける脱西欧近代」は、1988年に学士論文として書いたものであり、すでに10年以上が経過しています。このたびWebでの公開にあたり、読み返してみて、疑問のある箇所、裏付けの不足している箇所などいくつか気になる点はありますが、あえて全体の流れをそこなわない為、当時の原文のままにしています。
10数年前も2000年4月現在も、依然としてホルストについてのまとまった日本語の出版物は見当たらないようです。
「惑星」や吹奏楽曲などその音楽が聴かれる頻度からみて不思議なことです。
一部の作品以外が、ほとんど知られていない状況も大きな変化はありません。近年、20世紀前半の多くの作曲家への再評価が進んでいます。しかし、ホルストについてシリアスな関心をよせる音楽学者、作曲家、演奏家の発言は残念ながらまだまだ目にする機会は乏しいままです。
演奏会の曲目解説や放送での解説なども、他の20世紀の大作曲家についての充実した言及に比べ、ホルストについてのコメントはあまりに貧弱な内容であることが多いと私はとらえています。
この現状を見ると、10数年前の一学生としての卒業論文でも、作曲家ホルストの実像への認識に、いくらか役に立つ可能性があるかもしれないと考え、棚にしまいこまれていた論文を公開することにしました。
2000年4月16日
近藤浩平
グスタヴ・ホルスト(Gustav Holst)の組曲『惑星』(The Planets)は今日、非常に大きな人気を博しているが、ホルストという作曲家への関心は低い。西欧近代の芸術作品は必ずそれを生み出した芸術家を意識させるが、何故ホルストの音楽は、聴く人に作曲家を意識させないのだろうか。現代における『惑星』の人気の高さからだけでも充分に考察に価する問題である。
シェーンベルク、アイヴスと同年に生まれたイングランドの作曲家、グスタヴ・ホルスト(Gustav Holst)(1874-1934)は、ヒンズー教をはじめとする諸宗教、哲学の混在した神秘主義的な思想をもち、民謡収集に参加し、非西欧の音楽の影響を受けた。
調性的、旋法的、無調的なもの等、多様なものの混在する独自の様式を確立して新ヴィーン楽派の無調主義とは別の方向に進み、その思想によって表現される人間そのもののあり方を変革していったグスタヴ・ホルストは、西欧近代の芸術そのものの在り方を超えようとした音楽家であるということが出きる。イモージュン・ホルスト(Imogen Holst)はグスタヴ・ホルストの代表作の一つ『イエス賛歌(The Hymn of Jesus)』について以下のように述べている。
「彼は、ありとあらゆる決まりきった信仰から完全に自由であった。彼の『ロ短調ミサ』(注1)についての思いでは、エクスタシーのそれであり、サンスクリット研究は、彼にヨーロッパの境界を超えて思考することを教えた。そして、彼のキリスト理解は、ビザンチンのモザイク(注2)の恐るべき(terrifying)意外さ(unexpectedness)を包含していた。」(注3)
音列主義へ進んだ現代音楽の流れが終着点に達し、ロマン的なものを含め多様なものが混在し、宗教観や人間観そのものも変化しつつある現代(注4)、グスタヴ・ホルストの音楽は一つの可能性として多くの示唆を与えてくれるのではないだろうか。
グスタヴ・ホルストの音楽の形成とその変遷、個々の作品については、イモ−ジュン・ホルスト(Imogen Holst)が、ほぼ全体像をあきらかにしており、緊密な関係を保った作曲家ヴォーン=ウィリアムス(注5)の著述が大きな手掛かりとなる。
この論文では、グスタヴ・ホルストがなぜ無調主義への流れから離れて「自由調性」(注6)へ進んだのか、グスタヴ・ホルストが表現したものは何であったのかについて考察する。
グスタヴ・ホルストは音楽史関係のほとんどの文献において無視または軽視され、現代音楽の主流から孤立した作曲家として扱われているが、ティペット(Tippett)(注7)、ラッブラ(Rubbra)(注8)、ブリテン(Britten)(注9)といったイギリスの20世紀音楽主流の方向を決定づける位置にあり、英米圏における影響力は大きく、実際に演奏される量、広汎な聴衆の支持といった観点からも、現実の音楽生活に大きな場所を占めている作曲家である。