第1節 組曲全体の構成
組曲『惑星』全体の構成は以下のようになっている。
1. Mars, the Bringer of War
『火星、戦争をもたらすもの』
2. Venus, the Bringer of Peace
『金星、平和をもたらすもの』
3. Mercury, the winged Messenger
『水星、翼のついた使者』
4. Jupiter, the Bringer of Jollity
『木星、歓びをもたらすもの』
5. Saturn, the Bringer of Old Age
『土星、老年をもたらすもの』
6.Uranus, the Magician
『天王星、魔術師』
7.Neptune ,the Mystic
『海王星、神秘主義者』
1914年から1916年作曲のこの大曲は、ホルストの中期の代表作である。ここではイモージュン・ホルストが、「『エグドン・ヒース』の荒涼とした広がり(bleak expance)に至るまで彼について回る「荒涼」「孤独」(desolation)がある。(注64)」と述べる『土星』を中心として、『エグドン・ヒース』との比較をしながら見ていくこととする。イモージュン・ホルストが全曲にわたって行っている分析が"The Music
of Gustav Holst"pp32〜41にあるので参考とする。
第2節 『惑星』後半部の分析
・ 『土星、老年をもたらすもの』
『土星』冒頭、27小節にわたり反復される和音動機(譜例25)は増4度、長9度、短6度平行という調性感のない響きと(注65)、2度を行き来するという『エグドン・ヒース』の第1主題の最初の3音と共通する動きを持つ。この和音動機は『エグドン・ヒース』においてエグドン・ヒースの「自然」をあらわした第1主題と同質性を持っている。もちろん、『惑星』においては「自然」ではなく「宇宙」と呼ぶのがふさわしい。
(筆者付記:2度で行き来する動きで「宇宙」「自然」の無人格性と振動が表現されているものとして、私は、シベリウスの第4交響曲(1911年)の第1楽章を思い起こす。だが、この2つの和音の交替というものは、スコットランドの伝統音楽などに見られる「ダブル・トニック」という構造に由来するのかもしれない。柘植元一・塚田健一編「はじめての世界音楽」第二章「ヨーロッパ」高松晃子、音楽の友社刊P54参照)
和音動機に対し低弦にやや悲痛な印象のフレーズ(譜例26−a)が現われ各楽器に引き継がれていく(譜例26−b)。ややあいまいではあるが後述する旋律(譜例27)に似た動きがあり、「宇宙」に対する「人間」を示す要素に属していると考えられる。
練習番号1で低弦のピチカートによるバスの下行する音階進行が現われ、トロンボーンが全音階的な旋律を奏する。(譜例27)
この旋律は完全4度上行に始まる音の動きといい、付点のついたリズムといい、『エグドン・ヒース』の第2主題(譜例4)と類似し、『エグドン・ヒース』の第2主題と同様に、「自然」あるいは「宇宙」に対峙する「人間」をあらわす要素であると言える。
イモージュン・ホルストは『エグドン・ヒース』第2主題に対して使った'sad procession'という言葉を使っている。(注66) また、先のフレーズ(譜例26)とこの旋律(譜例27)との関係について以下のように述べている。
「このトロンボーンによる悲歌(dirge)は、Ex.22中のフレーズ(注67)に基づいている。しかし、それは遠く離れた遠方(注68)を離れ人間の悲劇へと収縮している。」(注69)
練習番号2から、先の和音動機を奏したフルートとバス・フルートにあらたな旋律(譜例28)があらわれ、「無慈悲な規則性で時を刻む足音」の部分に入り、クレッシェンドしてfffに至る。
突然Animatoに変り和音動機(譜例25)が、激しく打ち鳴らされる鐘(Bell)を伴って木管、ホルン、ハープ、弦によってfffで急速に猛烈に反復され、譜例26のフレーズがこれに対峙する(注70)。この部分は「宇宙」の威嚇的で激しい側面を示すもので、『エグドン・ヒース』の第1主題発展部分に相当する意味をもつと考えられる。
この激しい動きが静まって練習番号5でAndanteとなる。荒涼とした響きの和音動機(譜例25)の代わりに穏やかないくつかの反復パターンが「宇宙」を示し、「人間」をあらわすものとして譜例26のフレーズと譜例27の旋律が長く引き伸ばされて相対する部分に入る。
とくに、練習番号6以降の、複数の反復パターンと引き伸ばされた旋律が溶け合う箇所(譜例29)は、二つの対立要素の融和として『エグドン・ヒース』の第3主題群を思わせる(注71)。末尾で新たな反復パターンがあらわれて『土星』は終わる。
ここで気付くことは、これらの反復パターンが『エグドン・ヒース』の反復音型(譜例8)と同様に、小節線と一致しない周期をもっていることである。この箇所はホルストの様式の特徴であるパターン化と反復(注72)の典型を示している。
・ 『天王星、魔術師』
『天王星』は「フォルティッシモのトランペットとトロンボーンによる角張った呪文(譜例30)(注73)によって開始される。『天王星』はこの「呪文」とそれによって呼び起こされる激しい4分の6のダンスに終始する。『エグドン・ヒース』における「モリスの魔術的な儀式の本質を持つ」(注74)ダンスの代わりに『惑星』では'the Magician'のダンスが踊られる。
このダンスはすさまじいばかりの頂点(練習番号7からのfffの部分)に達し「まさに耐え難いものになる時、オルガンのグリッサンドが全てを一掃(sweep
away)し、偽りを一切知らない領域(注75)へと私達を連れ去る。そこでは魔術(magic)そのものが100万マイルの彼方から、まばたきすることなく見つめている。(注76)」静かに「呪文」が繰り返されて『天王星』は終わる。
・ 『海王星、神秘主義者』
『海王星』は全曲がppで演奏される。イモージュン・ホルストが詳しく分析しているので新たに付け加えるべきことはない。E上の短3和音とG♯上の短3和音を中心とした和音の交替のみでほぼ全体が成り立っている。3拍対2拍という持続時間の比で調的に関係の薄い2つの領域に属する和音が交替するが、途中からは2つの和音が同時に重ねられ、ペダル音も伴って復調となり、2つの和音間の音域の交換になる。(譜例31)和音連結が調的機能をもたないので独立した2つの音響として聴く他ない。『海王星』においてホルストは和音から調的機能を引き離し、独立した音響・音色として扱っている(注77)。交替の周期が41小節目から長くなり、各1小節が一つの音響となる。(譜例32)
後半、練習番号5でAllegrettoに変り、木管、続いてホルンに短い上行するパターン(譜例33)が現われる中、舞台裏のコーラスのヴォーカリゼーションがGの持続音で知らない間に加わる。クラリネット、つづいてフルートに初めてはっきりした旋律(譜例34)が現われコーラスに引き継がれるが、最後にはコーラスは3対2の音価をもった和音の無限反復へと至り『惑星』は終わらない。
ホルストはスコアに以下のような注釈を付している。
"This bar to be repeated until the sound
is lost in the distance"
無限反復される「ネプチューン和音("Neptune harmonies")」を譜例35に示す。
『土星』において「宇宙」を示した「2つの和音の交替」(和音動機、譜例25参照)が、この『海王星』では異なった音色をもつ2つの音響(和音)の交替として全体を支配し、反復する。2つの音響の交替、すなわち無限の「宇宙」の振動への人声=コーラスの同化、合流、融合、合一が『海王星』全体の構想である。
『海王星』の無限反復は『エグドン・ヒース』終結部の「空(くう)(emptiness)」と共に、ホルストの神秘主義的ヴィジョンの極致を示すものと言える。本論文第1章第8節で引用したチャールズ・リードによる一文を参照していただきたい。
以上の分析によって『惑星』の後半部、『土星』から『海王星』までの音楽の進行と構成要素の上での『エグドン・ヒース』との基本的共通性が浮かび上がってきた。
第3節 『惑星』の前半部の分析
・『火星、戦争をもたらすもの』
この曲は激しい5拍子のオスティナートと不安定なリズムでうねるように動く和音の流れで構成されている。『土星』や『エグドン・ヒース』のような2つの要素の対立する構成は捉え難いが、標題の通り「戦争」「対立」を示す雰囲気を曲調がつくりだす。
中間部における、イモージュン・ホルストが"pursuit"と呼ぶ管楽器群の切迫した追いかけあいは、ホルストの他の作品、後期の『合唱幻想曲(A Choral Fantasia Op.51)』(譜例36)や初期の『神秘なラッパ手』(譜例37)にも現われるものであり、『エグドン・ヒース』の第1主題発展部分と本質的に同質のものをもっていることが指摘されている(注78)。この部分を譜例38として示す。
・ 『金星、平和をもたらすもの』
ホルンの上行するフレーズに続いてフルートの下行する平行和声とオーボエの上行する平行和声(注79)が組み合わされる冒頭は、『エグドン・ヒース』第1主題のcの部分(譜例2)と類似するが(注80)、より甘美である。この木管の動きが2つの和音の交替の反復(譜例39)へと導く。2つの和音の交替という動きは、『土星』の和音動機(譜例25)あるいは『海王星』における和音の交替(譜例31及び32)といった「宇宙」を示すと考えられる要素、さらに『エグドン・ヒース』における「自然」を示すと考えられる2度を往き来する動き(譜例14、20および第1主題の最初の3音)を思い起こさせる。
ホルンの上行するフレーズ、平行和声が向かい合う木管の動きから「2つの和音の交替」へと続く部分と、シンコペイトされた伴奏を伴って主としてヴァイオリン・ソロが甘美な旋律を歌う部分が組み合わされて進み、最後にはパターン反復の部分(譜例40)、さらに、2度を行き来するまさに『エグドン・ヒース』に現われるものと同じ動きへと至る。(譜例41)
全体に、標題どおりの平和で調和した音楽であり、反復される和音の交替、あるいは2度を行き来する動きと、抒情性をもった滑らかな旋律とがつくりだす調和は、『エグドン・ヒース』の第3主題群呈示部に共通するものがある。
・ 『水星、翼のついた使者』
8分の6拍子の軽快な音楽。B♭上の長3和音とE上の長3和音の分散和音が素早く交替する譜例42と、E majorとB♭ majorの音階の急速な交替(譜例43)に始まり、最初ヴァイオリン、続いてグロッケン・シュピールで36小節にわたって反復される執拗な同音反復によるリズムの反復パターン(譜例44)と、リズミカルな呼び起こすような主題(譜例45)が現われ、2つの小楽節からなるアクセントの交代をもったリズミカルで短い旋律(譜例46)へ導く。この旋律は驚くべきことに同じ音高で12回連続的に反復される。この反復される旋律についてイモージュン・ホルストは、アルジェリア旅行の影響をほのめかしている。(注81)
『水星』は、『天王星』『エグドン・ヒース』における「呪文」とはかなり異なった性格ではあるが、「翼のついた使者」という何かを告知するものとしての意味をもつ標題が付けられ、12回繰り返し唱えられる旋律は「呪文」のようでもあり、『惑星』前半のコンテクストの中で「呪文」に相当する位置を占めているようである。
・ 『木星、歓びをもたらすもの』
細かいパターンが累積された音響ブロックを背景に、金管に独立した全音階的旋律があらわれる。(譜例47)小節線に一致しない反復パターンによってつくられた音響ブロックと、和声に依存しない純粋な旋律線(注82)としての旋法的旋律が対置されるこの部分はホルストの音楽様式上のこの局面における一つの典型である。
次にあらわれる音型(譜例48)は基本的な形をとどめたまま変化していき(譜例49)、練習番号3であらわれる旋律(譜例50)の最初の3音の動きとなる。この3音の動きは、譜例49‐3、49‐4と共に、先の音響ブロックを形成した反復パターンと同じものである。
練習番号5で3拍子のダンスが始まる。この旋律(譜例51)の6小節目の上行する音型に誘われるように、譜例48の変形の4度づつ上行する音型(譜例52)が練習番号6でトランペットに出現し、そのまま反復パターンとなって冒頭部分(譜例47)と類似した音響ブロックを形成して、ダンスと、冒頭の旋律の変形(譜例53)と共にffへと至る。
練習番号7で4分の2拍子に戻り、冒頭の旋律と似たリズムで和音が鳴り、譜例49を素材とする部分を経て有名なAndante maestoso、4分の3の部分に入る。ここにあらわれた広汎な人気を持つ全音階的旋律(譜例54)の各楽節最初の3つの音は、譜例50の旋律の最初の3音、譜例49‐4の音型、さらに冒頭の音響ブロック(譜例47)を形成していた反復パターンと同じものであり、同時に、3拍子のダンス(譜例51)の6小節目の上行する音型とも類似した印象を与える。
このように『木星』では、一見対照的に見える要素が緊密に呼応しあっている。歌謡的全音階的旋律と、音響ブロック、ダンスといった全要素が、楽天的で躍動的な融和をつくり出し、標題の「歓びをもたらすもの」という雰囲気をつくりだしている。
第4節 『惑星』の構造
『土星』から『海王星』までが、対立・調和・呪文・融合あるいは神秘という順序の、『エグドン・ヒース』と共通する進行をもち、前半部『火星』から『木星』もまた、それに似通った進行をたどっていることが、以上であきらかになった。
前半の曲順は「対立」を暗示する『火星』、調和・平和を示す『金星』、「呪文」に近い役割の『水星、翼をもった使者』、そして。ダンスと全要素の融合を兼ね備えた『木星』である。
何故、『惑星』においては、「対立」から「融合・合一」へと至るプロセスが2回繰り返されるのか、何故、『木星』という幸福な解決のあとに、『土星』という「対立」を含んだ音楽が続くのか、ということについては、イモージュン・ホルストの文章からの次の引用が示唆を与えてくれる。
「ホルストは、『惑星』の不完全な上演を嫌った。しかし、3,4曲を抜粋して指揮することに同意しなければならないこともしばしばあった。彼はとりわけ"a
happy ending"にする為に『木星』を最後に置くことを嫌った。なぜなら、彼自身が語るように、この作品においては(in
the real work)、終わりは決してhappyではないからである。」(注83)
1932年のアメリカ演奏旅行の際の、G.Holstの代理人に対する言葉。「もしも『惑星』が求められるのなら、全曲か一切演奏しないかのいずれかです。」(注84)
ホルストは『木星』の楽観的融合=解決を超え、神秘的解決へと進む形而上学的信念を持っていたに違いない。
第5節 『惑星』の統一性
『金星』『水星』『土星』『海王星』といった部分に現われる反復される2つの和音の交替が、一貫して「宇宙」を象徴し、『エグドン・ヒース』第1主題から引き出される2度を行き来する動きや、『イエス賛歌』における2つの和音の交替との同質性をもつ。
この反復は、全曲にわたって散見されるパターン反復と共に、『惑星』全体の和声とリズムに、2つの領域を往復する揺れをもたらし、何か、呼吸する宇宙とも言うべき印象を与え続ける。
「揺れ」の規則性・周期は、もっぱら拍節に支配されているが、これの各曲への配分は、5拍子(2+3)に始まり5拍子(2+3)に終わる表3のようなシンメトリーとなっている。